9話 ― 壊れ始めた均衡 ―
闇族領 《ノクス》。
その一角にある訓練場は、異様な空気に包まれていた。
「……また、か」
夜実は静かに呟く。
視線の先。
そこには——
「ははっ……やっぱりこれ、最高だな……!」
黒瀬 迅がいた。
だが、その様子は明らかにおかしかった。
影が、濃すぎる。
いや、“濃い”というより——歪んでいる。
まるで、別の何かが混ざっているような。
「迅」
夜実が声をかける。
「……あ?」
ゆっくりと振り向く。
その瞳は——どこか焦点が合っていなかった。
「何してる」
「見て分かんない?」
笑う。
その笑みは、いつものものじゃない。
「実験」
「……やめろ」
即答だった。
「それ、普通じゃない」
「普通じゃなくていいんだよ」
迅は肩をすくめる。
「強くなれるならさ」
その言葉に、夜実の眉がわずかに動く。
「……お前、そんなこと言うやつだったか」
「変わったんだよ」
軽く言う。
「世界が動きそうなんだろ?」
影が、ざわめく。
「だったらさ、それに乗らないと」
その理屈は——どこかおかしい。
「……誰に聞いた」
「さあね」
はぐらかす。
だが、明らかに“誰か”の影響がある。
⸻
「迅」
夜実は一歩近づく。
「それ、やめろ」
もう一度言う。
今度は、少しだけ強く。
「……なんで?」
「お前じゃない」
はっきりと言い切った。
「今のお前は、違う」
その言葉に。
一瞬だけ、迅の動きが止まる。
「……は?」
だが、次の瞬間。
「ははっ……!」
笑い出した。
「何言ってんだよ」
その声には、苛立ちが混じっていた。
「これが“俺”だろ?」
影が、さらに膨れ上がる。
「強くなってんだよ、俺は!」
「違う」
夜実は即座に否定した。
「それは、お前の力じゃない」
「じゃあなんだよ!!」
一気に、怒気が爆発する。
地面が、ひび割れる。
「弱いままでいろってか!?」
「そんなこと言ってない」
「言ってるのと同じだろ!!」
影が、暴走する。
「お前はいいよなぁ!!」
叫び。
「最初から強くて!!何もしなくても!!」
その言葉に、夜実の動きが止まる。
「……」
「俺は違うんだよ……!」
荒い呼吸。
「追いつくために、何でもするしかねえんだよ……!」
その声は、どこか——悲鳴に近かった。
⸻
「……そんなもん」
夜実は静かに言う。
「必要ない」
「は?」
「お前は、もう十分強い」
それは、本心だった。
「俺が認めてる」
その一言に。
ほんの一瞬だけ。
迅の表情が揺れた。
「……」
だが——
「……だから何だよ」
小さく、吐き捨てる。
「それで満足できるほど、俺は甘くねえんだよ」
影が、完全に制御を失う。
「——《ナイトメア・オーバードライブ》」
空間が、歪む。
今までとは明らかに違う。
“上級”を超えた、異質な魔法。
「……!」
夜実は構える。
「迅、やめろ!」
「無理だね!!」
突進。
影が、牙のように襲いかかる。
⸻
衝突。
闇と闇がぶつかる。
だが——
「ぐっ……!」
夜実が押される。
「ははっ!!どうしたよ!!」
迅が笑う。
「これが今の俺だ!!」
力が、明らかに跳ね上がっている。
だがそれは——
「……歪んでる」
夜実は歯を食いしばる。
「こんなの、強さじゃない」
「うるせえ!!」
さらに力が増す。
地面が砕ける。
空間が軋む。
「認めろよ!!」
迅の声が響く。
「俺はもう、お前と同じ場所にいる!!」
その言葉に。
夜実は、静かに目を細めた。
「……違う」
低い声。
次の瞬間——
「——《アビス・カット》」
一閃。
影が、裂けた。
迅の攻撃ごと、切り裂く。
「……っ!」
迅の動きが止まる。
「同じじゃない」
夜実は、ゆっくりと歩み寄る。
「お前は——そんな力に頼るやつじゃない」
その言葉に。
迅の瞳が、大きく揺れた。
⸻
「……っ……」
影が、揺らぐ。
「……うるさい……」
小さく呟く。
「うるさい……うるさいうるさい……!」
頭を押さえる。
「……消えろよ……!」
その声は、自分自身に向けられているようだった。
「迅——」
「見るな!!」
叫び。
その瞬間、影が爆発する。
「——っ!」
夜実はとっさに距離を取る。
煙が立ち込める。
そして——
そこには、誰もいなかった。
⸻
静寂。
「……くそ」
夜実は舌打ちする。
胸の奥に、嫌な感覚が残る。
——遅かったのか?
そんな考えが、頭をよぎる。
⸻
遠く、闇の奥。
迅は一人、膝をついていた。
「……はあ……はあ……」
呼吸が荒い。
影が、体にまとわりつく。
「……最高だ……」
笑う。
だがその顔は——
明らかに、壊れ始めていた。
「もっと……もっとだ……」
その目には、もう“普通の光”はなかった。
⸻
そして、その様子を見ている存在。
「……いいね」
フレミシア・オールス。
「壊れ方としては、上出来」
静かに微笑む。
「あと一押しで——」
その言葉は、冷たかった。
「完全に堕ちる」
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