第一話
水滴の音が鳴る。薄暗く、切れかけた電球が明滅していた。
「うぅ……」
男は固定された椅子に縛られている。顔は殴られたのかボコボコだ。血がたれ、地面に赤い点を作っていた。
「それで、喋る気になりましたか?」
丁寧だがどこか影のある声が響く。暗闇から細身で茶髪の青年が顔を出した。黒い瞳は光がない。口元に貼り付けられた笑みは、不気味さを感じる。
ハンカチで拳についた血を拭う彼は──スコープ。特徴的な黒い隊服は、闇に紛れるかのようだ。
「誰が吐くかよ……」
「そうですか残念です。しかし、あなたのお仲間は耐えきれずに吐きましたよ?」
「……っ」
息を呑む彼に、ただスコープは見つめる。
「素直にしてれば解放されたかもしれないのに」
「……は、嘘だな」
「そうですね。少なくとも、苦しまずには済みました」
そう言いながら懐から小さな小瓶を取り出す。小瓶の中には、透明な液体が入っていた。
それを揺らすように見せつけてから、彼はガスマスクを取り出してつけた。
「な……なんだそれ?」
「僕の仲間が作った特別製の毒薬です。すぐに気化して、即効性もあります。ただし、死ぬのに一時間はかかります」
「や、やめろ……っ!」
恐怖で上擦った声を、スコープはただ嘲笑する。
踵を返して、ドアを開ける。
「それでは、楽しんで」
振り向きざまに小瓶を投げる。そのまま興味がないとでもいうように、ドアを閉めた。
室内から痛々しい絶叫が聞こえる。その声を背に、彼は足音を響かせて歩く。
※※※※※※※※※※
「……また殺したのか?」
スコープが大広間に戻ると、ボロソファに腰掛ける大男がいた。顔に刻まれた深いしわに赤い三白眼。口元の傷は縫われたあとが残っている。さらに特徴的なのは右手の義手だ。彼の筋肉質な体には不釣り合いなスマートな造形をしている。
「何か不服かい? フラッシュ」
フラッシュと呼ばれた彼は、スコープの言葉に黙る。
小さく唸ってから、無精髭をなぞるように顎を擦っていた。
「捕虜の無益な殺生は、余計な恨みを買うだけだぞ……」
「それは前時代的な考えだね。“今は他人の命を気にするものなどほとんど存在しない”。それに、“捕虜を抱えているほうがこっちにとってリスク”なのさ」
「うぅむ……」
スコープの答えに、まだ考えるような素振りを見せる。
フラッシュの考え方もわからないものではない。人質としての役割も想定の中ではまだあった。それに、前時代の考え方はそう簡単に変えれるものではない。
別に彼の言葉を真っ向から否定する気はない。
捕虜に対しての利用価値があれば、まだ生かしていた。
しかし、あれは完全に無理だ。
情報を吐く気はない。助けに来る気配もない。だから捨てる判断をしたまでだ。
スコープはガスマスクを外して、空いてるソファに座った。上に釣られている壊れたシャンデリアが、フラッシュの気持ちを代弁するかのように不服そうに揺れている。
「ニャッハーーー!」
そんな静寂を突き破るように、元気な少女の声が漏れた。複数あるドアのうち一つが開け放たれて、女の子が入ってくる。
黒色の髪を片方に結んで肩に垂らしている少女だ。黄色い瞳には、好戦的と好奇心を足して二で割ったような光が宿っている。口元はガスマスクで覆われており、詳しく見ることができない。
戦闘服にプリーツスカート。全体的に黒で統一されているのに、彼女の明るさの温度はそれが似合っていなかった。
「ねぇねぇスコープ! 新しい毒試したんだよね! どうだった? どうだった?」
彼女はスモーク。主に撹乱の担当者で、毒煙のエキスパート。他にも液体毒にも精通しており、彼女が作る毒煙は特別製だ。粒子が細かく、広く普及しているガスマスク程度では防げない構造をしている。
「苦しんでるところじゃないかな? 成果をみたいなら、今から見に行くことをオススメするよ」
「わかった! ありがとう、スコープ!」
それだけ言うと、彼女は楽しそうにスキップをしながら部屋から出ていった。
またしてもフラッシュが不服そうな声を漏らす。鋭い眼光がこちらを睨んでいるような気がする。
「悪趣味な……」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
スコープは足を組んで、ソファに深くもたれかかった。
「……で、情報はバッチリなんだろうな?」
「大丈夫さ。すでにボマーが動き始めてる」
「早いな」
小さく唸りながら、フラッシュがまた顎髭を擦っていた。
スコープは足を組み替えて、リラックスするように腰掛けの上に両腕をかけた。
「しかし、正規軍も落ちたものよ……」
「何がだい?」
「前国軍の生き残りを掃討するのに、我々のような略奪者を使うとはな」
フラッシュの嘆きに、スコープはふふんと軽く鼻を鳴らす。
「略奪者だからだよ」
この世界は狂っている。国でさえ正当化するために、闇へ簡単に足を突っ込む。
そしてそれが正常として回っているのが何よりも狂気だ。
スコープは楽しそうに足を揺らした。鼻歌も自然と漏れてくる。
「楽しそうだな?」
「楽しいさ」
果たして肩を竦めるフラッシュは何を思ったのだろうか。
「ニャッハー! ねぇねぇスコープ! すっごいのすっごいの! 肌がね爛れてて、泡も吹いて、緑色の気泡もできて! 私、少し興奮で濡れちゃった!」
そんなフラッシュの困惑を増長させるかのように、またスモークが入ってきた。
そんな様子に、スコープは微笑む。
「スモーク。下品だよ」
その言葉は静かに闇へと沈んでいく。




