第二節 『期待するだけ無駄』
「──入れ」
俺が部屋の前に到着するなり、扉の向こうから声が響いた。
入室許可も降りたので、俺は即座にドアノブへ手を伸ばす。
ゆっくりと捻って、重々しい黒檀の扉を押し開いた。
「やあ、セリア。今日は随分と素直じゃないか。今日も追い返されるかと思っていたよ」
部屋の中央、執務机の向こう側には、革の椅子に深く腰掛ける銀髪の美女がいた。
白い軍服を見事に着こなす女エルフ、セリアは──、
「──白々しい」
不機嫌そうに言い放った。
「貴様が窓を破壊したせいだろうが! それが無ければ今日も追い返していたわ!」
右に視線を向ける。
以前、俺が破壊した窓は元通りになっていた。
「修繕費と賠償金。しっかり払ってもらうからな! もちろん、こちらの言い値でだ!」
バンッと机を強く叩きつけ、そこに一枚の紙を置いた。
「請求書だ。受け取れ」
俺は机の前まで歩を進め、用紙を手に取る。
胸の前辺りで掲げて静かに目を通す。
「修繕費と賠償金、合わせて3560万Vか。妥当な金額だな」
請求書の内容に過不足はなかった。
修繕費は多少高めだが、賠償金は想定の範囲内だった。
「だが、今すぐに用意するのは難しい。一週間、猶予を貰えると助かる」
「問題ないんじゃなかったのか?」
「金額についてはな。ただこちらも今、かなり立て込んでいてな。手続きに時間がかかる」
俺もアナスタシアも、ガウェインの件で手一杯の状況だ。
通常業務すら滞っている。
そんな中で、急ぎの仕事を増やすのは、あまり褒められたものではない。
セリアには申し訳ないが、ここは理解を示して欲しいところだ。
「そうか。ならば、一週間だけ待ってやる」
「ありがとう。助かるよ」
「構わん。貴様は約束を違えるような奴じゃないからな。そこだけは信用している」
真っ直ぐな瞳が、俺を射抜く。
心に訴えかけるような、無言の重圧が全身にのしかかる。
「それで、貴様の用件はなんだ? まさかまた、麻薬関連とは言うまいな?」
向こうの用件が済んだところで、セリアが尋ねた。
今度はこちらが用件を伝える番だ。
「そのまさかだ」
俺は彼女の淡い期待を裏切るように、微笑みながら言う。
ベストの右ポケットから一枚のメモを取り出す。それをそっと机の上に置いた。
「これは、ギルド職員と冒険者の名前……。何故、貴様が知っている」
「彼らは皆、バルグリッドファミリーの顧客だ。それもかなり懇意にしていたようだ。後ろ盾として動くくらいにな」
俺がメモに記したのは、顧客名簿にあった冒険者ギルド関係者の名前だった。
「……私に何をしろと?」
「俺から何かを言うことはない。これは依頼じゃなく、ただの親切だ。前回、俺を庇ってくれた礼だよ、セリア」
用心深いセリアの心を解きほぐすように、俺は正直に本心を伝えた。
「そうか。感謝する」
セリアは謝辞を述べる。そして、ある疑問を口にした。
「だが何故、憲兵隊に伝えなかった?」
「国外にいる人間が大半だ。伝えたところで彼らに出来るのは、せいぜい国内にいる犯罪者の摘発だけだ」
ひと呼吸置いて、俺は言葉を続けた。
「それに、今の憲兵隊は全く信用できないからな」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
用を済ませた俺は繁華街に向かう。
昼食のピークは過ぎている。今ならそれほど混雑はしていないはずだ。
いたとしても国外からの観光客くらいだろう。
俺はマリス市街の小道を進み、ラスエンジェルズ市街の大通りへ出た。
通称、ラスは繁華街や歓楽街が多く立ち並ぶ街だ。
先日、アナスタシアとツバキの三人で食事をした場所も、ここだ。
北の丘上にある白亜の建造物。あれがこの町一番の高級レストランである。
今もアナスタシアと待ち合わせ中だ。
目的地は当然、そこではない。今日は子豚と遊べる喫茶店に向かっている。
なんでも最近オープンしたばかりの新店舗らしい。
どうしても行きたいというので、今日はそこで落ち合うことにした。
「──いらっしゃいませ! お一人様ですか?」
小洒落た桃色の扉を開くと、快活な少女が出迎える。
桃色のエプロンを身に着け、白いワイシャツに紺のデニムパンツ。白のスニーカーを履いている。
年は十代半ばくらいだろうか。成人したばかりのような印象を受ける。
この世界における成人は、十五歳。そう思うのも当然だ。
「ふたりだ。待ち合わせをしているんだが……」
俺は店内を見渡す。
今はそれほど混み合っていないようだ。
二十席ある店内のうち、客は俺を含めて十人ほど。四、五組くらいだった。
「ああ、いたいた。彼女だ」
俺は子豚に夢中のアナスタシアを視界に捉え、手で指し示す。
少女は俺の指示した方を見て、納得の声を上げた。
「へぇ~、素敵な彼女さんですね!」
「……ああ。俺には勿体ないくらいの女性だよ」
なんて口にするが、実際のところ恋人ではない。
彼女から好意を寄せられているだけだ。否定しなかったのは、あえて訂正するまでもないと判断したからだった。
「ご注文決まりましたら、いつでも声かけてくださいね!」
「ありがとう」
店員に礼を言う。
そして俺はアナスタシアのもとへ歩いて行った。
彼女は窓際の席に座っていた。
脚に掛けたブランケット。その上に白い子豚を乗せている。
「やあ、アナ。お疲れ様」
愛おしそうに見つめる瞳が、ふと俺を見上げた。
「あ、お疲れ様です。アダム様」
背中を撫でる手が止まったことで、子豚はピィピィ鼻を鳴らして甘える。
もっともっと──。
と、平らな鼻先を上に向けて、アナスタシアを見つめていた。
「ほら、見てください! 子豚ですよ! とっても可愛くないですか? 特にこのお鼻とか!」
胸元に顔を埋める子豚の鼻先を、ちょんと人差し指で触る。
鋭敏な部分を触られて驚いた子豚が、ピィッと嘶く。でも嫌じゃなかったみたいだ。心地よさそうに、もたれ掛かっていた。
「ん〜♪ ぷぴぷぴ言って、可愛いでちね〜❤︎」
あんなに蕩けた表情を見せるアナスタシアは、初めて見た。
こんな一面もあったんだな……。
なんて思いながら、俺は対面の席に着いた。
「注文を頼む──」
それから俺は店員を呼び、三種のサンドイッチ(たまご、レタスとチーズ、トマトとハム)セットを注文した。
飲み物はホットコーヒー。もちろん砂糖とミルクは入れる。
頭を使うことが多いからか、身体が糖分を欲して仕方がないのだ。
別に苦いのが嫌いという訳ではない。
だから紅茶を飲むときは、どちらも入れずに無糖で飲んでいる。
「──ごゆっくりどうぞ!」
料理が運ばれ、店員が席を離れる。
それを見計らって俺は、対面で子豚と戯れるアナスタシアに声を掛けた。
「今朝、頼んだ件はどうなった?」
「ツバキの情報によると、どうやら憲兵隊は“顧客名簿”を探しているようです。おそらくそこに記載されている名前が知りたいのかと」
彼らの真の目的はそれか。
だが、問題は顧客名簿を手に入れてどうするのか。それに尽きる。
正義のために使うのか。それとも──、
──公表されたら困るのか。
「この都市一番の情報通なら、その在り処も知っていると踏んでの強行か」
だが、残念なことにガウェインは、その在り処を知らない。
バルグリッドファミリーの顧客名簿は俺が持っている。そしてそれを彼に伝えてはいない。知っているのは、アナスタシアだけ。
だから、どれだけ彼を尋問しようと顧客名簿が見つかることはない。
「せめて人道的な扱いを受けていればいいんだが……」
俺は湯気の立つ熱々のコーヒーに、角砂糖を二つ。ミルクを少々。銀の小スプーンで波立たせるように、ふわりと前後に揺らす。
マグカップを人に見立てるかのように、一番負担の少ない方法で掻き混ぜた。
「人権意識の欠落した世の中に、期待するだけ無駄ですよ。元奴隷の私が断言するんです。分不相応な力を持った人間は、どこまでも腐りますから」
研ぎ澄まされた鋭利な刃が、対面から飛んでくる。
しかし、その言葉とは裏腹に、アナスタシアの表情は相変わらずだった。
子豚のぷぅちゃん(♀)の鼻先に、ちゅっちゅと軽くキスをしている。
とても同一人物とは思えないほど、彼女の口と表情には別の魂が宿っているように感じた。
「そうだな」
俺はカップをゆっくり持ち上げ、唇に運ぶ。
煎ったコーヒーの香りがミルクと混ざり合い、角が取れたようなまろやかさを漂わせる。
疲れた脳を癒す甘味がこの後に待ち受けている。そう期待するだけで、心が少しずつ安らいでいく。
「────っ」
そして、ゴクリと一口呷った。
ほど良い甘さだ。クリーミーな味わいが、コーヒー独特の癖を中和している。コーヒーの濃さも絶妙で、水っぽさを感じない。非常に濃厚だ。
「君の言うとおりだ」
俺はその余韻に浸りながら、カップを小皿の上にそっと置いた。
面白いと思っていただけたら、ブックマークと評価していただけると幸いです。
感想もお待ちしております。




