第三節 『虎穴に入らずんば』
結論から言おう。俺はこれから逮捕される。
現在、俺たちは噴水広場のベンチに並んで座っていた。
見据える先は眼前、噴水の向こう。ラノベガス憲兵本部。通称・憲兵隊本部だ。
「──やはり危険では?」
隣に座るアナスタシアは懸念を口にするが、頑なに拒むという感じではない。
あくまでも心配程度の具申だ。
「リスクは承知の上だ。君を送るよりは気が楽だからな」
奴隷時代の過去を俺は知らない。
権力者に対して嫌悪するようになった原因も分からない。
彼女の発した言葉の中から察することしか、俺にはできない。
きっと非人道的行為を受けていたのだろう。
昔を思い出させるような行いを、命じるわけにはいかない。俺の数少ない良心が、強くそう訴えていた。
「……私は、アダム様の護衛です」
だが、アナスタシアは引き下がらない。
そんな彼女に、俺は彼女にしかできない役割を命じた。
「それでもだ。火中の栗を拾うのは俺でいい。君は対岸に火が移らないよう注視していてくれ」
何も俺は憲兵隊を壊滅させたいわけじゃない。
今のところ信用の置けない組織になっているが、都市の治安維持を担っている立派な組織でもある。
軍を保有しないこの国において、彼らは必要不可欠な存在だ。
だからこそ、今回の計画は慎重を期す必要があった。
「────」
ほんの少しだけ、間があった。
感情と理性、個人と役職の間で、もの凄い葛藤があったのだろう。
だが、最後には理性が勝ったようだ。
「……承知いたしました」
アナスタシアは小さなショルダーバックの中から黒い帳簿を取り出す。
そしてそれを俺に差し出した。
「どうか、ご無事で」
「ありがとう」
俺は顧客名簿を受け取ると、おもむろに席を立つ。
それからゆっくりとした足取りで、憲兵隊本部へと進んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
三十段ほどの階段を上り切ると、正面入り口の両端に佇む憲兵が、俺を一瞥する。
顔、服装、そして靴を順に見て、再び視線を前に向けた。
どうやら不審者とは思われなかったようだ。
俺は入り口をくぐり、内部に入る。正面ロビーは吹き抜け構造だった。
中央に受付、その両端から伸びる階段。天井は高く、巨大なシャンデリアが吊るされている。
ロビーを挟んで、東棟と西棟に分かれているらしい。
入り口と受付の中間、床には大きな紋章が描かれていた。
ラノベガス憲兵を象徴する紋章だ。
双天秤の受け皿にはそれぞれ本と、剣が置かれている。
本は法を意味し、剣は秩序を意味する。法と秩序を守る執行機関を表している。
受付カウンターには、制服を着た女性職員が三人待機していた。
彼らの視線が一斉に俺に向けられる。俺は中央に座る職員の前へ進んだ。
「こんにちは。本日はどうなさいましたか?」
紺碧の髪を肩口で綺麗に切り揃える女性職員は、にこやかに微笑んで用件を尋ねる。
「──自首をしに来た」
俺も彼女に倣って、にこやかに微笑みながら言った。
三人の女性職員は一瞬驚いたように目を見開いた。だが、すぐに表情を元に戻し、俺に別の問いを投げかける。
「自首ですか……。どのような罪を犯しましたか?」
「──殺しだ」
俺は何も悪びれることなく、ただ平然と事実を述べた。
「ヘクター・バルグリッドとその一味を殺した」
「────ッ!!」
すると右にいた職員が、非常警報のスイッチを叩いた。
けたたましい警報音が建物全体に鳴り響く。正面入り口および全窓に鉄格子が下りる。これにより、館内にいる全ての人間の出入りが封じられた。
「そしてこれは君らの探しもの──」
俺は踵を返し、双天秤の紋章の上に立った。
「──顧客名簿だ」
言いながら右手に抱える黒帳簿を、その場に落とした。
「──発火」
掌の上に火種を灯し、それを黒帳簿の上に垂らす。
ふわりと滴り落ちる紅蓮の雫。その幻想的な光景は、張り詰めた氷漬けの空気を、ほんの少しだけ、忘れさせた。
「そこを動くな! 膝を突き、両手を頭の後ろへ回せ!」
約三十人の憲兵がロビーに集い、俺を取り囲む。
誰もが剣を抜き、槍を構え、杖に魔力を注ぐ。だが、誰一人として俺に近寄る者はいなかった。
それもそうだろう。俺はヘクター・バルグリッドを殺し、バルグリッドファミリーを壊滅させたのだ。
憲兵隊ですら容易に手を出せなかった連中を。
「────」
そして俺は彼らの指示に従った。
両膝を床に付け、両手を頭の後ろに回し、無抵抗の意思を示した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
俺が勾留されたのは、東棟の地下にある牢屋だ。
ただの牢屋ではない。床や壁、天井は大理石のような艶やかな石材が使用され、鉄格子の代わりに分厚いガラスが使われている。
ベッドも未使用のようで皺ひとつなく、椅子やテーブルも新品そのものだった。
「吸魔石と魔封石の混合石材か。これなら脱獄は不可能だな」
何よりも驚きだったのは、この強化ガラスの材料も同じだったことだ。
「魔力は使えない。だが、魔力以外の力は使える。それを考慮して、吸魔石も混ぜ合わせたというわけか。なるほど、よく考えられている」
「──あんたが件の犯人か」
室内の構造に感心していると、背後から低い声が届いた。
振り向くと、強化ガラスの中央部、胸の高さに小さな穴が無数に開いた部分があった。会話用の通気孔だ。
そこに立っていたのは二人の男女。
一人は黒を基調とした金刺繍の制服に身を包む金髪の男性。
長身で、鋭い眼光でこちらを睨みつけている。
もう一人は、白を基調とした銀刺繍の制服を纏う栗毛の女性だ。
警戒の色を示しているが、睨みを利かせるほどの鋭さはない。むしろ俺を刺激しないよう慎重になっているような気がした。
「君らは?」
「何故、俺たちがお前に名乗る必要がある? 殺人犯のお前なんかに」
「たとえ、俺がどこの誰であろうと、君ら憲兵隊は法を順守する必要がある。名を尋ねられたら名乗れ。それが義務だろう。──君らの」
「何だと、この──ッ!!」
額に青筋を立てて憤る男を、女性が細腕で制した。
そして彼女が先に名乗る。
「──申し遅れました。私は特務課所属のビアンカ・バークレイです」
特務課──。
裏社会の組織や犯罪を秘密裏に取り締まる特別捜査チーム。通常の憲兵では手に負えない危険な案件を扱う部署だ。
いわば、治安維持最後の砦。それが憲兵隊特務課である。
「よろしく、ビアンカ。君とは仲良くやれそうだ」
「それはあなたの態度次第ですね」
「お互いにな」
俺は端的に言葉を返し、すぐに隣を見た。
未だに男は俺を睨んでいる。強化ガラスが無ければ、飛びかかってきそうな勢いだ。
「それで──君の名は?」
俺は答えを待ちながら、男の反応を観察する。
男は歯を食いしばり、怒りに身を震わせる。だが、ようやく観念したのか。重い口をゆっくりと開いた。
「──レオン・ハーグリーヴ。それが俺の名だ」
「よろしく、レオン。俺はアダムだ。フォール街でアヴァロニア金融という小さな金融商会を営んでいる。金に困ったら、いつでも利用してくれ」
「誰がするか! その前にお前は凶悪犯だ! 財産は全てこちらで押収させてもらうし、お前が釈放されることは二度とない!」
大犯罪組織を壊滅させた──という事象は英雄的に見える。
しかしそれが正しい行いかどうかを決めるのは、大衆ではなく法執行機関だ。
個人が勝手にやったことは犯罪となる。
冒険者ギルドなど然るべき機関で正式な依頼を受けるか、自らが法執行機関に属するか。それ以外に免罪の余地はない。
「普通は、そうだろうな」
「随分と自信があるようだな。この状況で、今のお前に何ができるってんだ」
「──司法取引」
俺は端的に答えた。
最もインパクトのある衝撃的な答えを。
「司法取引だとッ!? ふざけるな! 誰がお前なんかとするか!」
レオンは即座に反発する。だが、ビアンカは違った。
「最終判断は取引内容を聞いてからでも遅くないのでは? 彼も商人として不釣り合いな取引はしないでしょうし」
彼女は商売の本質を理解している。
取引を成立させるには、お互いに利がなければならない。
片方だけが得をして、もう片方が損をする──なんていうのは、単なる詐欺だ。
それに相手は憲兵。悪を正す側の人間だ。
彼らに対して、そんな馬鹿げた取引を持ち掛けるなんて、罪を余計に重ねるだけの愚かな行為にしかならないだろう。
「そうだぞ、レオン。話は最後まで聴いた方が良い」
「お前は黙ってろ!」
レオンは俺に向かって指を突きつけた。
「これは俺たちの話だ! 勝手に口出しするな!」
とはいえ、このまま彼のペースで話を進めれば、日が暮れてしまう。
流石にそれは御免被りたい。
「──先にこちらの要求を言おう」
だから俺は彼を無視して話を進めた。
「こちらの要求は、ふたつ」
「おい!」
「まずひとつ──」
「いい加減にしろよ、この野郎!」
「──ラノベガスタイムズ社長、ガウェイン・ジェイソンの釈放」
「おい! 勝手に話を進めるな!」
「それからもうひとつ──」
俺は一呼吸おいて、本当の狙いを打ち明けた。
「──俺に免罪特権を付与してくれ」
全ての罪が免除される最強のカード──免税特権。
それこそが、俺にとっての“虎子”だった。
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