第6話 鍛錬S
次に目が覚めたのは、木造の建物の中だった。天井は板張りで、ほんのり木の香りが漂う。背中に感じる布の柔らかさが、まだ自分が生きていることを静かに教えてくれる。
「ここは……」
かすれた声を漏らし、視線だけを動かす。部屋の隅に、一人の女性が椅子に座っていた。目が合うと、彼女はガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、そのまま外へ飛び出していった。
体は鉛のように重く、筋肉痛と疲労でまともに動けそうになかった。だが、それでもいい。まだ死んでいなかった。
「生き延びた……」
喉の奥が熱くなり、目頭に涙が滲む。何もできず、どこにも辿り着けず、ただ朽ちるように終わるかと思っていた。でも、俺はこうして生きていた。
やがて、先ほどの女性が他の村人を連れて戻ってきた。老人、若い娘、誰かの父親らしき男……見知らぬ人々が、心配そうな顔で囲む。
意識が朧げな俺に、彼らは言葉を交わすより先に、水と食べ物を与えてくれた。口を開く余裕もない俺に、無理に事情を聞くこともなく、ただ、休めと言ってくれた。
数時間が過ぎ、ようやく体が少しずつ動くようになったころ。木の杖をついた初老の男がそっと近づいてきた。目元に皺を刻んだ穏やかな顔立ちで、どこか落ち着いた雰囲気がある。ここのまとめ役とか、そんな立場の人間かもしれない。
「……気がつかれましたか。よかった。私はこの村の村長、ハヌマと申します。ご気分はいかがですかな? ……いや、まずは状況の説明をせねばなりませんな」
ハヌマと名乗ったこの村の村長は、ベッドの横にある椅子に腰かけた。
「村の者が森であなたを見つけまして、すぐにここへ運びました。かなり衰弱しておられましたが……今は、落ち着いておられるようで安心です」
そうだったのか。そういえば川を見つけて崖から落ちたんだった……。そこを偶然この村の人が助けてくれたのか。
「その……ひとつだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか。あなた様は――もしかして、勇者様でいらっしゃいますか?」
その言葉に、胸がきゅっと縮こまる。勇者としてこの世界に呼び出されたのは確かだろうが、今の俺は果たして勇者といえるのか。
「……どうして、そう思うんだ?」
問い返すと、村長は俺の手をそっと取った。そこには、転移の際に刻まれた、あの薄い紋章が浮かんでいた。
「その印……勇者に選ばれた者にのみ刻まれるという紋章じゃ。それに、お主の装いはこの地のものとは違う。異国より来た者と見て、間違いあるまい」
否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。事情を説明したところで、この人達にわかるはずもない。とはいえ、「はい、勇者です」と言おうものなら、どんなことになるか。少なくとも今の俺に勇者として応えるものはなにもない。
「勇者様がこの村に……!」
「すごい、本物の勇者様だ!」
そんな俺の気持ちを知らず、村の人々の間でざわめきと歓声が徐々に広がっていく。やめてくれ……俺は勇者なんかじゃない、そう言いたかったが、結局言えなかった。
彼らの瞳が、あまりにも純粋だったから。
「この村には何もありませんが、今はどうぞごゆっくりしていってください」
村長が深々と頭を下げ、他の村人たちと共に家を出ていく。残された俺は、静まり返った部屋で天井を見つめながら呟いた。
……しばらくしたら、出て行こう。
ぽつりと呟き、意を決して手を上げる。勇者にどれほどの価値があるかはよくわかっていないが、あの反応を見れば何かしら期待されていることは十分に伝わってきた。期待を裏切る前にいなくなった方がいい。
「ステータスオープン」
何度目かその言葉をつぶやく。自分でも諦めが悪いと思うが、すがれるものはそれしかない。這い上がるにはなにかしら変化させないとな。
淡い光と共に、半透明のパネルが目の前に表示された。
≪ステータス表示≫
名前:ハヤツジ アヤト
ジョブ:―――
レベル:1
【能力値】
HP:20/75(+25)
MP:15/75(+25)
筋力:15(+5)
耐久:15(+5)
敏捷:12(+2)
知力:12(+2)
精神:15(+5)
器用:12(+2)
目を凝らして見直す。……数値が、上がっている。
「……!」
思わず、ベッドの上で体を起こした。
レベルは1のままだ。だが明らかに、以前より数値が高い。
リョウタの「オール10、ある意味天才」という皮肉が、脳裏によぎる。筋力、耐久、精神は1.5倍の数値になっているし、他の数値も少しだが増えている。
一体何が起きたのかわからなかった。何をしたらこうなった? 俺はただ歩いてさまよっていただけだ。それに、レベルは1のままなのは相変わらずだ。レベルが上がってステータスが上がったわけじゃないってことか? でも、俺の頭の中にある情報では、ステータスはレベルに応じて増えるはずだ。何か秘密があるはずだ。
穴が開くようにステータス画面を見つめる。そういえば、これ触れるのか? 中空に手を触れると感触はなかったが、ページがめくれ、次の画面が表示された。
……これは……
パネルの上部、見慣れない項目が表示されている。
【ユニークスキル】
≪鍛錬:S≫
「……鍛錬S?」
それはたった一行だけだったが、唯一の希望だった。呆然としたまま、その文字を見つめる。
鍛錬S……なんだこれ? ユニークスキルってことは、俺だけが持っているスキルってことだよな? 鍛錬ってことは……鍛えれば強くなるってことか。レベルアップじゃなく、それが俺が強くなる道ってことか? そうか、それでステータスが上がったってことか? あの草原を歩き続けたあの時間が、もしかして……?
確かなことはわからない。だが、これを活かすしかない。俺に残された唯一の武器だ。
いいじゃねーか。鍛錬でもなんでも、やってやる。この力で──俺は、あいつらの元へ這い上がるんだ。
***
≪鍛錬:S≫
あらゆる経験と行動が、己を鍛え、成長へと導く。
示された道ではなく、踏みしめた軌跡だけが開く、ただ一つの高み。
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