第38話 迫り来る異変
ダンジョン第6層に足を踏み入れた瞬間、俺は肌を刺すような違和感に立ち止まった。
空気が変わった──湿度、温度、そして風の流れまでもが、さっきまでの階層とはまるで別物だった。
「……何かが違う」
自然とそう口をついて出ていた。
壁に染み込んだ湿気の匂い。どこか焦げたような甘い臭気も混ざっている。フィーナも顔をしかめ、無言で頷いた。
そして敵──第6層に現れたのは《レイジドッグ》の群れだった。凶暴な狼型魔物だが、普通の個体とこいつらは違う。毛並みは抜け落ち、皮膚の一部がただれている。目は血走り、泡を吹きながら牙を剥いていた。
動きが素早くなっているだけではない。群れで連携し、ジグザグに走りながら囲むような立ち回りを見せてくる。まるで、戦いに“執念”すら宿しているかのように。
「来るぞ──!」
俺は気配を読み取りながら、手早く布陣を整える。左側面から迫ってきた1体が跳びかかってくる瞬間、《気配察知》で動きを読み取り、回避と同時に拳を叩き込んだ。
「《心撃》──!」
精神力を一点に集中させた拳が、レイジドッグの頭蓋を貫き、骨が砕ける音とともに沈黙する。だがその間に、別の個体がフィーナに迫る。
「フィーナ、左後ろ!」
「《アイスランス》!」
鋭く詠唱を走らせ、フィーナの氷槍が間一髪で突進してきた魔物の胸を貫いた。凍りついた肉体が倒れ込み、地面で砕け散る。
残りの数体も包囲を仕掛けてきたが、俺は《ウィプスバレット》を連射し、動きを止める。フィーナが追撃を加え、ようやくその場を制圧した。
「ただ強いだけじゃない……。こいつら、何かに導かれてるような……」
俺は膝をついた魔物の死骸を見つめながら、そんな感覚に囚われていた。目の奥から、言いようのない悪意がまだ残っている気がした。
***
次の第7層では、さらに異常が顕著になった。
入り口からすぐ、地図と実際の地形が大きく食い違っていた。
「通路……潰れてます。地図では、まっすぐ行けるはずなのに」
フィーナが困惑の声を上げる。俺も地図を確認したが、どう見ても通るべきルートが崩落によって塞がれている。
「ああ……でも、気配の流れはまだこっちにある。別のルートから回り込めるかもしれない」
俺は《気配察知》を使って微細な反応を探り、崩落した通路の横にある裂け目へと進路を変更した。
割れた岩の隙間から続く狭い通路は、まるでダンジョンが後から歪められたように入り組んでいた。
しばらく進むと、途端に空気が変わる。じりじりと肌を焼くような熱気が押し寄せ、視界が陽炎のように歪んでいた。
「今度は灼熱……エリアか」
周囲の温度は40度を優に超えているだろう。じりじりと熱気が肌を焼き、額から汗がにじみ出る。
遠くから唸るような唸り声が響く。現れたのは《フレイムバット》──火属性を帯びたコウモリ型の魔物だ。
「来るぞ!」
フィーナがすぐに構え、詠唱を開始する。
「《アイスランス》!」
氷槍が音を立てて放たれ、前方の数体を凍結させるも、炎を纏った個体は凍結を半ばで溶かしながら突進してくる。
「ここは俺が通す。《封環陣》──!」
俺が詠唱とともに展開した結界が、周囲の熱気と炎属性攻撃を大幅に軽減する。
封環陣は環境の干渉を軽減してくれる。だが発動中は1秒につきMPを1消費する。あまり長居はしていられない。
俺たちは声を掛け合いながら、高温の中をまるでタイムアタックのように走り抜けた。
途中、落石の罠や《フレイムリザード》の奇襲もあったが、スキルと連携でどうにかしのぎ、前方に出口が見えた瞬間──
「もうひと踏ん張りだ!」
俺はフィーナの手を引いて最後の熱気の渦を突破した。
外気が冷たいと錯覚するほどの温度差に、ようやく一息つく。
「ふぅ……。少し、休憩しよう」
岩陰に腰を下ろし、精神を落ち着かせていく。《瞑想》によって、消耗した気力と魔力を少しずつ補っていく。
HPやMPは休憩していれば自然と回復していくが、瞑想はそのスピードは早めてくれる。
ライナー達から受け取ったアイテムには回復系のポーションもあるが、いざという時のためになるべく温存する方針だった。
地図を確認すると、もうすぐそこは8層へと続く階段だ。この先もっと過酷になっていくだろう。
この異変の正体が、ただの環境変化ではない──そんな確信めいた予感が胸の奥に残っていた。
***
第8層──歪んだ光の空間が広がる。 視界の端が揺れるような感覚、空気の色味まで違って見える。
「空間が……歪んでる?」
マップの情報はここまでで終わっている。この異変を感じてライナー達も引き返してきたのだろう。ここから先は自力で攻略していかなければいけない。
警戒を強めて進んだ先には、大広間のような空間が広がっていた。 そして現れたのは──
「サンドワーム……!? いや、何か違う!」
現れた魔物は、変異型の巨大サンドワーム。 体表がただれ、目は虚ろな光を帯びている。禍々しい瘴気をまとい、その存在自体が空間をねじ曲げているようだった。
「フィーナ、援護頼む!」
俺は即座に《封環陣》を展開。サンドワームから発せられる毒と熱の両方を軽減したものの、それでも圧倒的な威圧感は消えない。
サンドワームの巨体がのたうち、唸り声とともに地を揺らしながら襲いかかってくる。尾の一撃が音を置いていくような速度で振り下ろされ──
「っ──!」
反応が一瞬遅れ、俺の肩にかすっただけで視界が赤く染まる。激痛とともに身体が吹き飛び、岩壁に叩きつけられた。
「アヤトさん!」
すぐさまフィーナが駆け寄り、回復魔法を詠唱する。
「《ヒールライト》──っ!」
淡い光が傷口を包み、猛烈な痛みが少しずつ引いていく。
「……助かった。ありがとう」
俺のHPは呪いの影響で削られたままだ。さっきの一撃が直撃していれば、確実に命を落としていた。
だが、体の鈍さはどうにもならない。あのスピードには今の俺ではついていけない。
起き上がると、サンドワームは再び口を開き、腐食性の唾液を吐きかけてきた。
「下がって!」
フィーナが咄嗟に《アイスウォール》を展開し、前方に氷の盾が生まれる。毒の液体が蒸気を上げながら壁を溶かす。
視界が遮られたその隙に、俺は《気配察知》で動きを探り──地中に潜ろうとする振動を捉える。
「フィーナ、右斜め下に来る! 《ブレイズランス》で牽制を!」
「了解です──《ブレイズランス》ッ!」
炎の槍が地面を撃ち抜き、サンドワームが呻き声を上げて飛び出してくる。
今だ──!
「《ウィプスバレット》ッ!!」
精神を集中し、至近距離から放たれた魔力弾が、サンドワームの横腹を正確に貫く。
密着状態で光弾が爆ぜ肉を打ち破く。黒い体液が飛び散り、サンドワームの咆哮が響き渡る。
フィーナがすかさずレベルアップした《アイスランス》を頭部に打ち出し、仕留めの一撃を加えた。
断末魔の咆哮を上げてのたうつと、やがてその巨体は地面に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……倒した、か」
フィーナと視線を交わし、ようやく緊張を緩める。 ふと、サンドワームに視線を移すと、死骸の中から、黒く結晶化した核のようなものが見えていた。
「これは……?」
精霊言語スキルを使って触れると、かすかに“干渉されていた痕跡”があることがわかった。
ここの魔物は明らかにコアの魔物の影響を強く受けている。一体最下層にはどんな魔物が待っているんだ?
戦いが終わっても、緊張は解けなかった。精神的な負荷が蓄積している。フィーナも額に汗を滲ませ、座り込んだ。
「少しだけ……怖くなってきました」
「……でも、進むしかない。ここまで来たなら、なおさらな」
俺たちは静かに頷き合い、次の階層に向けて歩を進めた。
緊張の糸を張り詰めたまま、そして不穏な気配を胸に抱えたまま──更に下層へ。
リョウタたちとの再会が、目前に迫っていた。