第31話 試練の地へ
辺境伯邸を後にし、俺は門の前でフィーナとミランダと別れることになった。フィーナは祈りの窟の入り口までついてくると言ったが、それは叶わなかった。
「リョウタさんたちは、今朝ダンジョンに入りました。第五層まではマップ情報を持っているようですが、その先は未踏です。最短でも、最深部到達までには二週間はかかるはず。その間も他の冒険者で更に下の階層までのマッピング情報は収集されるはずです。その情報があれば後追いでも、一週間あれば追いつけるかもしれません」
そう言ってミランダは、小さな羊皮紙を差し出した。
俺に残された猶予は1週間か。
「ここにはダンジョンの地形情報が記録されています。戻られたらギルドで最新の情報に書き換えてダンジョン攻略に役立てて下さい」
「貰ってもいいんですか?」
「はい、これは私からのアヤトさんへの餞別です。どうかお気をつけて」
「ありがとうございます。使わせてもらいます」
ミランダが軽く頭を下げてから引き返すと、今度はフィーナが俺の前に立った。
「アヤトさん……」
彼女は小さく息を吸い込み、ほんの少し躊躇してから、軽く俺の腕に触れてきた。
「無事に帰ってきてくださいね。私、信じて待ってますから」
「……ああ、任せてくれ」
フィーナは笑顔を見せようとして、でもちょっとだけ目をそらした。
「ほんとは、不安なんです。でも……アヤトさんなら、きっと大丈夫って思えるんです」
「ありがとう。俺も、ちゃんと結果を持って帰るよ。呪いに負けたままで終わる気はないから」
「うん。……応援してます」
フィーナは少し照れくさそうに言って、ふと視線を落とした。
「……それと――」
そう言って、彼女はそっとポケットに手を入れ、小さな何かを取り出す。
「あの、これ……」
彼女の手のひらには、青い宝石が埋め込まれたペンダントがあった。
「前に母からもらったもので……ずっとお守りにしてたんです。アヤトさんが、無事に帰ってきてくれるように持っていてください」
「……いいのか? 大事なものなんじゃ」
「だからです。これが、戻ってきた証になりますから」
そう言って、フィーナはそっと俺の手にペンダントを握らせた。柔らかな金属の冷たさと、彼女のぬくもりが重なる。
「……ありがとう、大事にする」
「ふふ、アヤトさんなら、ちゃんと返してくれるって信じてます」
彼女はようやく顔を上げ、少しぎこちないけど、今度はちゃんと笑顔を見せてくれた。
そして――
「じゃあ、行ってらっしゃい」
そう言って、フィーナは小さく手を振った。
俺は軽く笑って、それに応える。
「じゃあ、行ってくるよ」
そして、俺とクレアは馬車に乗り込み、〈祈りの窟〉へと向かった。
***
馬車で森の入り口までたどり着いた後、案内役を任されたクレアと共に、俺は森の奥深くへと足を踏み入れていった。空気が、街とはまったく違っていた。木々の間を吹き抜ける風に、神聖な気配が混じっている。
呪いに慣れてきたせいか、体の重さは相変わらずだが、歩く分には大きな問題はなさそうだ。もしかしたらこの神聖な空気がそうさせてくれているのかもしれない。
「ここから先は、精霊≪ウィル・オ・ウィプス≫によって守られている聖域よ。……この一帯には魔物も近づかないわ。この地に満ちるマナが強すぎて、耐えられないの」
「ウィル・オ・ウィプスって……火の玉の精霊、みたいな存在か?」
「似ているけれど、ちょっと違うわね。彼らはこの森と共に長く生きてきた、いわば“静寂の守り手”よ。意思を持っているわけじゃないけど、外敵には敏感なの。ここに入れるというだけで、あなたは既に選ばれているのかもしれないわ」
クレアが淡々と説明してくれる。ラズヴァン辺境伯と一緒にいた時とは微妙に雰囲気が違う感じだな。つられて俺も砕けた感じで話しかけていた。
「キミ、その年で辺境伯の魔導士長って凄いんだな。どうやったらうまく魔法が使えるようになるんだろう?」
「人を見た目で判断しないことね。私はあなたの3倍は生きているわ」
げっ。マジか。魔法を使えるようになるとみんなこんな風になるのか?
まだ信じきれない気持ちを引きずりながら、しばらく無言のまま歩いていた。
道中、緩やかな川沿いを歩きながら、彼女がふと口を開いた。
「あなた、レベル1の“追放勇者”でしょう?」
俺は思わず足を止めた。警戒心がにじみ出てしまったのか、クレアが首を横に振る。
「心配しないで。別に、何かしようってわけじゃないわ」
……やっぱり俺のステータスを確認したあの時、レベルが1だって事に気づいていたのか。
「あなたのことは、今ちょっとした騒ぎになってるの。ミノタウロスの単独討伐。あれがきっかけで、国全体のランキングに名前が載ったの。下位とはいえ、それに気づいた神官から調査依頼が来てね」
「……なるほど」
「でも、私はあなたをどうこうする気はない。落ちぶれだろうが、何だろうが。自分の力で這い上がる者には、道が開かれるべきよ。シェスタに勝ったのだから、きっと上手くやったんでしょう」
そんなこともわかるのか。
「シェスタは私の魔法の教え子でもあるからね。あの子が何を考えているのかはなんとなくわかるわ。きっとあなたに何かを感じ取ったんでしょうね」
クレアは少し遠くを見ながら、ぽつりと続けた。
「私も、もともと庶民の出なのよ。努力で今の地位を掴んだ。だから分かるの。立ち向かう覚悟を持つ者が、どれだけ強いか。周りがどんな評価を下そうとも、立ち向かう権利は誰にでもある」
言葉の重みが胸に響いた。やがて森を抜け、滝の音が聞こえてきた。
「着いたわ。あの滝の裏にある洞窟が、祈りの窟よ」
水飛沫が舞う中、俺たちは滝の裏側へと回り込む。そこには苔むした岩壁と、厳かに口を開けた洞窟があった。
中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。重く、静かで、どこか懐かしいような温もりがある。身体の芯に響くような、強烈なマナの波動。
「ここから先は、中に入ったら引き返せないわ。入ったら、五日五晩、この場所で“祈り”を捧げてもらう」
「……祈りって、具体的に何をすれば?」
「精神を集中して、自己を見つめなさい。内面と向き合い続ければ、いずれ分かる」
フィーナも確かそんな事を言っていた。自分の中の魔力を感じる必要があると。
「準備はいい? 引き返すならまだ間に合うわよ」
俺は一つ息を吸ってから、答えた。
「大丈夫だ。開けてくれ」
俺の返答に頷くと、クレアは扉の前に立ち、杖を掲げて呪文を紡いだ。
扉が重く軋む音と共に、静かに開いていく。
「五日後に迎えに来るわ。……生きていることを、祈っている」
その言葉を最後に、俺は一歩、窟の中へと足を踏み入れた。背後で、扉が音を立てて閉ざされる。
静寂の世界が、俺を迎え入れた。
次話からしばらくは隔日での更新に切り替えます。
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