第16話 人馬車
軽く夕食をとったあと、俺とフィーナは焚火を囲んで座っていた。ぱちぱちと燃える炎の音が、あたりの静けさに溶け込んでいく。
ヤールは早々に寝袋に潜り込み、盛大ないびきをかいて寝ていた。馬が走れなかったら明日はどうするんだろう……と考えていたが、「なるようにしか、ならんですよ」と言い残して即座に眠ったあたり、さすがは旅慣れした商人というべきか。
「フィーナ」
ふと思い出したように声をかける。宴のときに聞きそびれたことがあった。
「さっき馬に回復魔法を使ってただろ。あれって、人間以外にも効くのか?」
「効きますよ。ただ……」
フィーナは焚火に枝をくべながら続けた。
「動物に使うのは、少し難しいんです。魔法って、対象の“イメージ”が重要で……。構造とか仕組みをしっかり理解してないと、うまく回復しないことも多くて」
「なるほど。じゃあ、動物専門の回復魔法使いみたいなのもいるのか?」
「はい。獣医さんみたいな人ですね。そういう人は、回復魔法の適性と知識、両方が必要になるんです」
「へえ……」
思った以上に奥が深い。てっきり、回復魔法ってのは「痛いの痛いの飛んでけー」みたいなノリかと思ってたけど、全然違うらしい。
「フィーナはいつから魔法、使えてたんだ?」
「小さい頃からですね。両親も魔法の適性があって、教えてもらってました」
「あ、そうか……ごめん」
俺が気まずそうに言うと、フィーナはゆっくり首を横に振った。
「大丈夫です。今はもう、前を見てますから」
その横顔には、どこか凛とした強さがあった。
「魔法ってさ、どうやったら使えるんだ?」
「修行、ですね。といっても、まずは自分の中の“魔力の流れ”を感じるところからです」
フィーナは目を閉じて、両手を膝の上に置いた。
「こうやって、静かに座って。呼吸を整えて。自分の内側に意識を向けるんです」
俺も見よう見まねで真似してみた。
……目を閉じると、なぜか他の感覚が鋭くなったような気がする。
火のぬくもり。虫の鳴き声。夜風が肌をなでていく。
そして――
「ぐおぉぉぉ……」
「……うるせぇな」
ヤールのいびきが風に乗って響いてきた。
集中が途切れた。
でも、不思議と気分は落ち着いていた。
そのまま俺は、いつの間にか眠りに落ちていた。
***
翌朝、俺たちは濡れた草の香りで目を覚ました。夜のうちに小雨が降ったらしく、地面はうっすらと湿っている。
「おはようございます、アヤトさん」
「おはよ……って、馬の様子は?」
「見た感じ、少し良くなってます。でも……」
馬はなんとか立ってはいるが、足を庇っていて歩くのもぎこちない。
「荷を引くのは……無理ですね」
ヤールが馬に近づき、しばらく様子を見てから言った。
「荷車を置いて、歩いて向かいましょう。仕方ないですな」
……それはそうなんだけど、俺は積まれた農作物や木工品を見て、ため息をついた。
「村の人がせっかく作ってくれた品、無駄になるのは……ちょっとな」
気がつくと、俺は荷馬車の手綱を手にしていた。
「それじゃ、俺が引いていきますよ」
「は、はぁ!? ちょ、ちょっと若旦那、何言って――」
「行きましょう。早くしないと、農作物がダメになっちゃいますよ」
力を込めると、重たいはずの荷馬車が、ゆっくりと動き出した。
「ま、まさか……!? 人力で荷車を……? こりゃ、たまげましたな」
ヤールが絶句していたが、止まる気はなかった。
むちゃくちゃ重たいがなんとかギリギリいける。少しでも止まると負荷が上がるので、なるべく止まらずに進む必要がありそうだな。これなら器用も上がるかも。
午前中は順調に進んでいた。だが、昼過ぎ、空が急に暗くなり始めた。
ぽつり、ぽつりと水滴が落ちてくる。
「……降ってきたか」
やがて本降りになり、道はぬかるみ、足元が重くなる。身体も冷えて、体力もじわじわと削られていく。正直、きつい。ほんと、きつい。まじできちぃ。
――そのときだった。
視界の端に、青白いウィンドウが浮かんだ。
《スキル《逆境》が発動しました》
HP:178/370 → 効果倍率 ×2.0
背筋がゾワリと粟立つ。心臓の鼓動が一段ギアを上げた。手のひらに伝わる重さが、さっきとはまるで違う。
ウィンドウの隣にはゲージのような表示があり、徐々に減っている。
……これが、発動時間か?
手に伝わる感触が変わる。さっきまで動かなかった荷車が、ぬかるんだ地面の上でもスムーズに進む。どうやら任意発動は出来なさそうだが、その分威力は強力だな。
このゲージの減り方だと5分ともたなそうだな。
「アヤトさん、なんか急に急にパワフルになりましたね……!」
「まぁ、ちょっとスキルの力でな。だが長くはもたなさそうだ。雨宿りできるところまで急ごう!」
「はい!」
俺たちはぬかるみを抜け、岩陰に身を寄せてその夜を明かした。
***
三日目の朝は快晴だった。風は冷たかったが、日差しが心地よい。道のあちこちに水たまりが残っていたが、昨日よりはずっと進みやすい。
そしてしばらくして、前方に馬車が一台、道の端に止まっているのが見えた。
「あれ……」
見覚えがある。
黒塗りの豪奢な車体、金の装飾、過剰なまでに磨かれた車輪。あの時、俺たちを何のためらいもなく弾き飛ばした――あの馬車だ。
そして――扉が開いた。
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