第15話 旅立ちの朝
朝の空気はひんやりとしていて、昨日までの宴の賑わいが嘘のように静かだった。
俺は村の広場にある小さな納屋の前で、旅の支度を整えていた。支度といっても、ほとんどの物資は村の人たちが用意してくれたものだ。食料に水袋、簡単な調理道具、それに替えの衣類や防寒用のマントまで揃っている。
もともと着ていた制服は、この村で預かってもらうことにした。戻ってこられる保証なんてどこにもないけれど、それでもここが“帰る場所”になるならと思えた。
「行ってきます」と、心の中で呟いて家を振り返る。
「おはようございます、アヤトさん」
振り返ると、フィーナが笑顔で立っていた。旅装に身を包み、しっかりとした靴を履いている。
「迎えに来ました。一緒に行きましょう」
「……フィーナ、親御さんとか反対しなかったのか?」
そう尋ねると、彼女は少しだけ表情を曇らせた。
「いません。ずっと一人暮らしです。両親は……行方不明で」
それ以上は聞けなかった。ただ、その瞳には覚悟のようなものが宿っているように見えた。
俺よりもずっと大変な暮らしをしていたのかもしれないな……。
村の入口では、商人のヤールが馬車の準備を終えて待っていた。馬は一頭、小型の馬車には村で取れた農作物や木工の工芸品が積まれている。
「準備はできてますぜ。行きましょうか、若旦那」
村人たちが集まり、出発を見送りに来てくれていた。
「気をつけてな、アヤト!」
「フィーナちゃん、無茶しちゃだめよー!」
手を振りながら見送ってくれるその光景に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
そして、馬車がごとんと動き出す。旅の始まりだ。
***
村を出ると、しばらくはなだらかな草原が続いていた。ところどころに畑が広がっているが、それもすぐになくなり、やがて見渡す限りの野山に囲まれた一本道になる。
辺境の地だからなのか、人の気配はまるでない。ふと、俺は空を見上げた。
「……そういえば、ここって、どこなんだ?」
王宮で辺境の地と言われたがどれぐらい遠くに飛ばされたのかはわからない。人が住んでいる所に飛ばされたのは運がよかったのか、それともせめてもの情けだったのかはわからないけどな。
隣でフィーナが地図を広げながら説明を始める。
村が位置するのは地図の端っこの山間の一角だった。俺が飛ばされたのはどの辺りだろうと見てみたが、集落がない場所は大体の情報しか書かれていなくてわからなかった。
「この道を二日ほど進むと、ティレアという街があります。そこのギルドを通してダンジョン調査を正式に届け出ることになってます。この辺りでは比較的大きな街で村々の交易の拠点となっている場所ですね」
馬車は順調に進み、やがて何本かの分かれ道を通過した。ヤールが熟練の手つきで手綱をさばき、時折雑談を挟みながら道を選んでいく。
だが、揺られるだけの旅は思った以上に退屈だった。
……こんな悠長にしてていいのか?
魔物とだって戦うかもしれないのに、何もしないままでいいのか。こうやって時間を過ごしている間もあいつらはレベルを上げたり、スキルを習得しているかもしれない。適正Fの俺が急にとんでもスキルを覚えるとは思えない。何かしないと始まらないよな。
「俺、走るよ」
俺は馬車の縁に手をかけて速度を確認する。これならいけるか?
「えっ?」
フィーナが驚いたように声を上げるが、俺はそのまま飛び降り、馬車の横を並走し始めた。荷物を積んだ馬車のスピードはそこまで速くない。走って体を温め、持久力を鍛えるにはちょうどいい。
学校での持久走は死ぬほど嫌いだったが、何か成果が得られるとわかれば、悪い気はしない。それに耐久の数値も人並み以上だからか、前よりは全然疲れなかった。
持久走が得意な奴はこんな気分だったのか……。
「アヤトさん、ほんとに走るなんて……。 無理しないでくださいね!」
フィーナは俺が走るのを見守って、応援してくれていた。気分は箱根駅伝のランナーだな。
「平気。まだいける」
ひたすら走る。汗が流れ、息が上がる。でも、不思議と心地よかった。
――そのときだった。
「アヤトさん! 後ろ……!」
フィーナの声で振り返ると、遠くから土煙を上げて別の馬車が迫ってきていた。見るからに大きく、しかも速度が異常だ。
「ヤールさん、後ろから来てます!」
ヤールが振り返って確認する。
「あれは……貴族様の馬車ですな。道を譲りましょう」
そう言って馬車を脇へ移動させようとしたその瞬間――
「っ、マジか……!」
後方の馬車が、砂煙を巻き上げて一直線に突っ込んできた。止まる気配はまるでない。こちらの馬車が明けたスペースギリギリをすり抜けようと進む。
その瞬間、耳をつんざくような衝撃音と共に、荷台の側面が激しく軋んだ。木が裂ける音、金具が歪む感触――馬車が大きく揺れ、傾いた。馬が悲鳴のような嘶きを上げて暴れ出し、車輪が浮く。積み荷が天高く舞い上がった。
「フィーナ!」
荷台から放り出されたフィーナを、寸前で抱きとめる。馬が転倒し、馬車は完全に止まった。農作物や木工品が散乱していく。ヤールもなんとか無事だったが、馬が前脚を痛めていた。
「……こいつは参りましたな……」
馬は脚を引きずるようにして立ち上がった。どう見ても走れる状態ではない。
フィーナが慌てて駆け寄り、治癒魔法を使う。
「ヒール!」
魔法の光が馬の脚に集まっていくが、フィーナは顔を曇らせた。
「人間とは違って……治癒が効きづらいみたい。しばらく様子を見ないと……」
その夜、俺達は森の外れで野営することになった。
初めての旅路は、想像以上に波乱に満ちていた。
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