第14話 宴の夜に
夕暮れの村広場。色とりどりの布で飾りつけられた屋台の間を、香ばしい匂いと人々の笑い声が漂っていた。
村人たちは手作りの料理や果実酒を囲んで、今日ばかりは働く手を休め、心からの祝宴に浸っていた。そう――ミノタウロスを倒した英雄、ハヤツジ・アヤトを囲む宴である。
英雄って響きなんだか、勇者よりかっこいいよなー、とちょっと浮かれ気味で広場へと向かう。俺の前を歩くフィーナはちょっとよそよそしい感じだ。嫌われてなきゃいいんだが……。
丸太を組んで作った特設の長テーブルに座らされ、俺は周囲の熱気に少し戸惑っていた。
「本当に、あのミノタウロスを一人で……?」
「うん! 拳でドカーンって! すごかったんだから!」
「やっぱり、雰囲気あるよねー。いつも村の手伝いしてくれるし、さすが勇者様って感じ?」
村の子どもからお年寄りまで、全員が目を輝かせて俺を見つめてくる。
……いやいや、さすがに持ち上げすぎだって。たまたま上手くいっただけで、あの時は本当に死ぬかと思ったんだ。何度説明しても、皆は「謙虚だ」としか受け取らないから困る。
もう、あんなのはすぐやってこないよな? 内心ドキドキなんだけど。
ふと、隣に座っていたフィーナが、そっと杯を差し出してきた。
「アヤトさん……その、改めて、ありがとうございます」
白い指先にドキリとする。杯を受け取るだけなのに、妙に意識してしまった。
「いや……俺なんか、まだまだ全然」
小さく微笑んだフィーナは、杯を掲げて「かんぱい」と小さく言った。
それが合図だったかのように、宴はさらに賑やかさを増していく。村の中央では即席の楽団が楽器を鳴らし、子どもたちが手を取り合って踊り始めた。
そんな賑わいの中、少し離れた端の席に移った俺とフィーナ、そして村長のハヌマは、周囲の喧騒から切り離された小さな空間で静かに杯を交わしていた。
村長は果実酒の杯を傾け、遠い過去を見るように視線を宙に泳がせた。
「……不穏な風が吹き始めておる。数十年ぶりのことじゃ」
一拍おいて、低く落ち着いた声が続く。
「このあたりにも、“兆し”が現れてきた。……強大な魔物の出現じゃよ」
その言葉に、俺は手を止めた。
「……あのミノタウロスも……?」
村長はゆっくりと頷く。
「ああ。あれほどの魔物、この辺りに現れるなど、本来ならばあり得ん。……五十年前にも、似たようなことがあった」
村長の視線は、村の灯り越しに見える山の稜線をじっと見据えていた。
「……それにな……最近は、街道沿いや森の奥でも、妙な気配を感じるという声が増えておる。動物たちの鳴き声が変わったとか、夜にうなり声を聞いたとか……。この村に近い場所で“何か”が動き出しておる気がするのじゃ」
村長の目が一瞬だけ険しくなる。
「ワシの勘が正しければ……あれは、“巣”のようなものができ始めておる兆候じゃ。かつても、魔王が目覚める前には、あちこちで魔物の巣が生まれておった」
ミノタウロスが現れたのもそれが原因かもしれないってことか。もしかしたら昨日の出来事ははじまり始まりにすぎないのかもしれない。
村長の話を聞きながら、俺は村人たちが楽しく踊る姿を眺めていた。こんな平穏な時がやがて壊れてしまうのだと思うと、なんだか怖くなった。
「……そういえば、昼間にヤールという商人が村に来とったな。あやつも言うておったわ。最近、街道沿いで魔物が増えたせいで、腕の立つ冒険者を探してるらしい」
村長は杯を置いて、ふうと息をつく。
「あやつのことじゃ。ただの儲け話では済まんような気がしてな……」
村長の視線の先には小太り男が村人たちに混じって杯を交わしているのが見えた。
「……今回もまた勇者が魔王を倒すんですかね」
そこに自分が含まれているとは想像もできない。突然呼び出されただけで、そんな大それた事をするなんてな。少なくとも俺はそうだ。あいつらは違うのか……?
村長は、酒を一口飲んで静かに目を細めた。
「それはわからん。あの時も確かに魔王が蘇り、そして勇者が現れた。……ワシは、あの頃まだ若かった。その時も……そうじゃった。呼ばれたのは、まだ未熟な若者たちばかり。お主ぐらいの年の子たちじゃったよ。……だが、その瞳には“覚悟”があった」
「……覚悟か……」
俺は手の甲に刻まれた刻印を見つめた。歴代の勇者の中にも今の俺と同じような落ちこぼれはいたんだろうか……。
その時だった。
「よーし、始めるぞー! 腕相撲大会だー!」
広場の中央から、ひときわ大きな歓声が上がる。いつの間にか、村人たちの間で即席の腕相撲台が作られ、酒の勢いで次々と勝負が始まっていた。
「勇者様ー! 出番ですよ!」
「いや、俺はその……」
言い訳も空しく、俺は腕を引っ張られて即席の勝負台に連れて行かれる。
ま、筋トレの成果、見せてやるか。腕まくりをして村の男達の中に交じる。
そして――
一回戦、二回戦……驚くほど勝てた。村人たちの驚きと歓声が飛び交う。
やがて、残ったの参加者は俺ともう一人だけになった。
「決勝戦だー! ここまで勝ち残ったのは、我らが村一番の力自慢、マルロ! そして、村の英雄、アヤトだ!」
マルロは確かに体格も良く、腕も太い。だが、俺は冷静に腕を構える。
「よーい、始めっ!」
司会役の掛け声と同時に、手と手がぶつかる。机が軋むほどの圧力が伝わってきた。
うおっ、マジかよ、いきなり押される……!
俺の手は一気に押し込まれる。だが、ギリギリのところで踏みとどまる。
「ふぬぬぬぬ……っ!」
全身に力を込めて、じわじわと押し返していく。
「いけーっ、アヤトー!」
声援が飛び交う中、マルロも体を乗り出して反撃してくる。中盤、再び押し込まれる。
やっぱマルロ、強い……でも、負けたくない!
両者の腕は中央で拮抗し、膠着状態に。額に汗が滲む。観客も息を呑んで見守る。
……なんだ? 少しだけ、マルロの力、さっきより弱まってる……?
俺は息を整え、体を沈めて一気に力を込める。再びタイミングを見て一気に体重をかけると、マルロの腕がわずかに沈んだ。
「うおおおおおおっ!!」
「いけーっ、アヤト!」
観客の歓声と共に、俺は勝機を掴んだ――。
机にマルロの腕が叩きつけられ、どよめきが広がる。
「勝者、アヤトー!!」
その瞬間、俺の視界に何かが“点滅”した気がした。
≪新スキルを習得しました:勝負勘≫(パッシブ)
【効果】接戦の中で相手の僅かな揺らぎを見抜く直感力。攻防の瞬間、反応と命中の精度がわずかに上昇する。
【習得条件】実力が拮抗する相手との勝負で、読み勝ちによって勝利する。
まさか……こんなことでスキルが? でも確かにあの時、マルロの肩がほんの僅かに揺れたのが見えたんだ。
腕相撲の興奮冷めやらぬ中、人混みを抜けて俺のもとに一人の男が歩み寄ってきた。革のジャケットに汚れたブーツ、肩には大きな荷袋――さっき村長が言っていた商人のヤールという男だ。
「お見事でした、若旦那。あの体格の男を力でねじ伏せるとは……いやはや、大したもんです。私の名はヤール。旅の商人をしています」
ヤールはにこやかに言いながら、どこか探るような目で俺を見てくる。
「昼間、この村で“ミノタウロス”を倒したって話を聞いたんですが……あなたが?」
「え、ああ……まあ、そういうことにはなってる、みたいですね」
「おぉ、それは凄い! ミノタウロスを倒すとは只者じゃありませんな」
ヤールはそういって遠慮なく俺の横へと座った。
「まぁ、たまたまっていうか……」
俺が苦笑混じりに返すと、男の表情がぐっと引き締まる。
「――であれば、ちょっとした話を持ちかけたい。実はつい最近、この村からさほど遠くない街道沿いで、新しいダンジョンが出現したんですよ」
「ダンジョン……?」
ダンジョン、ね……。異世界モノのテンプレってやつだ。魔物が出て、深く潜れば潜るほどお宝ザクザク。……そういう場所かどうかはまだわからんよな。
村長の言ってた“魔物の巣”って、まさにこれのことか――?
「ええ。できたてのダンジョンは、いわば“新鮮な魔石”の宝庫なんです。未発掘で魔力の濃度も高いから、希少な魔石が採れる可能性もある。もちろん魔石がある場所には魔物が多く住んでいるわけですが……。それに、市場でも今は“新規ダンジョン産”の魔石の価値が急騰してましてね……冒険者が群がる前に、少しでも確保したくて」
要するに、高く売れるってことか。すごく商人らしい理由だけど、なんか憎めない。
でも、それって――
「そんなダンジョン、放っといたら危なくないですか? 魔物が溢れたりとか……」
「ええ。だからこそ、調査が急務なんです。放置してれば、魔物が増えて街道や村にも影響が出るかもしれない。そうなれば、商売どころか命にも関わる。あなたのような実力者なら、軽く様子を見るくらいはできると思いまして」
軽くってそう簡単なものか? あんなミノタウロスがわんさか出るようなダンジョンだったらひとたまりもない。
ヤールは俺の内心を悟ったのか明るく酒をあおりながら言う。
「なーに、ここいらでミノタウロスが出たのはレア中のレアですよ。私が聞いた話じゃ、そのダンジョンはD級のダンジョンです。最下層のヌシですらミノタウロスには遠く及ばないでしょう。だからこそ、攻略される前に早く手を――。いや、まぁ、この村の安全が一番ですけどね」
ヤールは酒を一口飲み干すと、ぐいと身を乗り出してきた。
「とはいえ、あくまで“調査”です。全力で戦う必要はない。中の様子を見て、戻ってきて報告する。それだけでも助かるんですよ」
隣で話を聞いていた村長は盃を静かに置き、ぽつりとつぶやいた。
「……こやつは金儲けが目的じゃろうが、言っておることも一理ある。村としても、あのあたりで何が起きているのかは気になっておった。もし、お主が行ってくれるなら――それほど心強いことはない」
それだけ言うと、村長は再び酒を口に運んだ。
俺はしばし考え込んだ。本当に俺で務まるのか……。
鍛錬で得た力を、ただの自己満足で終わらせたくはない。強くなろうと思ったら魔物との戦闘は避けられないだろう。それにこの村のために少しでも役に立てるなら。
「……じゃあ、様子だけでも。何もなければ戻ってくればいいし。何か起きてたら、その時考えます」
言葉にした瞬間、少し背筋が伸びた。
「おぉ、それは助かります! もちろん魔石を持ち帰っていただければ、それなりの報酬はお出ししますよ」
決意を口にした俺に、ヤールが嬉しそうに手を差し出す。
握手しようとしたその瞬間、隣で聞いていたフィーナが口を開いた。
「私も……もし行かれるのなら、同行させてください」
「えっ!?」
フィーナは少しだけ息を整えて、言葉をつなげた。
「村を守るためにも、何が起きているのかを知る必要があると思うんです。もし何かあってからじゃ遅いから……」
視線をそらすように言葉を続ける。
「それに……アヤトさん、また一人で無茶をしそうで。あのときみたいなことが、またあったらって思うと……」
再び顔を上げたその瞳には、静かな決意が宿っていた。
「外の世界のことも、知りたいです。……勇者についても。私はまだ何も知らないから」
フィーナ……。
確かに回復魔法が使える彼女がついてきてくれるなら、心強い。何より旅のテンションが全然違う。
「お二人で動いてくださるなら、こんなに心強いことはない。いやはや、ありがたい」
旅の商人がうなずきながら続ける。
「調査するにしても、ギルドを通せば情報も得られますし、報酬も正当に受け取れますよ。登録しておいて損はない。街に向かうなら、ギルドにまず寄るのがいいでしょうな」
ギルド……聞いたことあるけど、実際どんな感じなんだろう。冒険者の登録とか、依頼とか、色々あるんだよな。
俺は盃をもう一度傾けながら、心のどこかが静かに燃えていくのを感じていた。
ダンジョン、魔王、ギルド……俺の旅が、ここから本格的に始まるのかもしれない。
「――その前に、もうちょっとだけ宴を楽しもう。腹が減っちゃ、戦えないからな」
杯を手に取り、再び口をつけた。
笑顔が戻った宴の空気に包まれながら、俺は新たな決意を胸に刻んだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
現在は毎日更新しています。
よければブクマや評価、感想などで応援いただけると励みになります。
今後の展開もぜひお楽しみに!