夜会でラーメン屋店主の如くずっと腕を組んでいる公爵令嬢
季節は中秋、空に三日月が漂う夜。とあるホールで夜会が開かれていた。
こうした夜会や晩餐会にもいくつかのランクがあるが、今日は男爵や子爵クラスの令息令嬢が集まるような会であり、さほどランクが高いものとはいえなかった。
その分、肩肘を張る必要もなく、礼儀作法にも縛られない、良くも悪くも緩やかな会となった。
歓談の内容にもそれが表れている。
「あら、このお酒、とっても美味しいわ!」
「ホント? 私も飲んじゃいましょ!」
「このところは暑かったり寒かったりで、着ていく服が難しいわね~」
「ええ、今日なんか特に冷え込んで……」
「可愛い彼女ゲットしてやるぜ!」
「じゃ、俺は美味い飯イートできればそれでいいや」
しかし、そんな緩い空気が一瞬で変わる“事件”が起こる。
会場に突如、公爵家の令嬢であるルブラ・ノーデルがやってきたのである。
ルブラは王国の重鎮として名高い法務大臣アレルド・ノーデルの長女。腰まで伸びた長く美しい金髪に、蜂蜜色の神秘的な瞳を持ち、ノースリーブの青く薄手のロングドレスを着用している。そのたたずまいは肉眼で見ることが申し訳なく思えるほど、人間離れした高貴さに満ちていた。
先ほどまで卑近な会話を繰り広げていた若者たちは、一瞬で黙り込んでしまう。
今宵の夜会は招待状などもない自由参加形式。ルブラが来ることに何の問題もないのだが、猫の群れの中に獅子が紛れ込むような光景となった。
(ルブラ嬢は何をしに来たのだろう……?)
皆がこのような思考で注目する中、ルブラは壁に背中を向けるように立ち、そのまま腕を組んだ。
腕を組んだまま、ずっと動かない。
表情は麗しく、夜会をじっと見守っている。
その立ち姿に、参加者たちは大いに魅了される。
「ルブラ様、私たちとそう年は変わらないのに、威厳があるわね……」
「美しいわ……」
「まるで神話に登場する女神のようだ」
しばらく時間が経つが、ルブラはその場から動くことなく、腕を組み続けている。
こうなると、「なぜルブラ嬢はずっと腕を組んでいるのか?」という方面に興味が向かっていく。
「胸のあたりを汚してしまって、それを隠しているとか?」
「何か悩みごとがあるのかもしれないわね……」
「単純にあのポーズが好きなんじゃないか?」
様々な推測が飛ぶ。
ある令息二人はこんな会話を交わす。
「そういえば遠い異国には“ラーメン”って食べ物があるらしいぜ」
「ラーメン? どんな食べ物なんだ?」
「なんでも、麺をスープに浸した料理なんだと。その上に肉や野菜を盛りつけるらしい」
「ふうん……パスタをスープに浸すようなものか」
「そんな感じだろうな。で、ラーメン屋の店主は店のポスターを出す時に、自分が腕組みする姿の絵を載せるのが伝統らしいんだ」
「へえ、なんでそんなことを?」
「自信に満ちた顔で腕組みする店主を見せつけることで、“ラーメンの味に自信があるぞ!”ってのをアピールするためだろうな」
「なるほど……。で、ルブラ様はラーメン屋の店主なのか?」
「いや……絶対違うと思う」
「……」
全く意味のない会話であった。
他にもあれこれ推測はなされたが、結局のところ『下級貴族の夜会が近頃たるみ切ったものになっていると聞きつけ、それに対し憤りを感じているのでは』という共通認識となった。
実際に、近頃の男爵子爵級の若者が集まる夜会は、マナーは軽視され、ただ楽しくお喋りしたり酒を飲めたりすればいい、という場に変貌していた。
仕事を終えた大衆が酒場で行っている“飲み会”と大差ない有様だった。
誰もが憧れる模範的貴族令嬢であるルブラが失望し、怒りを覚えるのも無理はない。
だからこそ誰ともなく、今こそ気品ある夜会を取り戻そうじゃないかと動き出した。
動きは極力ゆったりと優雅に、所作はマナーに則った正しいものにし、飲食飲酒は上品に嗜む。お喋りの内容も貴族らしい、教養を感じられる話題にする。
ルブラが会場に入ってから小一時間が経つ頃には、夜会の様相はすっかり変わっていた。
先ほどまでは埃が浮かぶぬるま湯のようだった会場の雰囲気がピリリと引き締まり、ワインの香りが漂うような気品ある舞台に仕上がっている。
しかし、ルブラはまだ腕組みをしている。体を震わせてもいる。
なるほど、まだ怒っておられる。まだ気品が足りないと憤っておられる。
ならば、変わろう。
我ら下級貴族で出せるだけの気品を絞り出そうではないか。
皆が優雅に、たおやかに、静かに、上品に、エレガントに、夜会を楽しむ。
もはや、上級貴族の夜会にも負けないぐらい、会場のムードは洗練されたものとなっていた。
だが――
「ルブラ様はまだ腕組みをしておられる……!」
これでもまだ足りないというのか。
さすがは公爵令嬢ルブラ。その要求はあまりに厳しく、険しい。
だが、こうなれば行けるところまで行こうではないか。
下級貴族なりの、さらなる高みへと――
そんな中、一人の老紳士がルブラに近づいていく。
夜会の設営や接客などを担当する執事である。
執事は腕組みを続けているルブラに話しかけた。
「あの、ルブラ様、先ほどからずっと腕組みをされていますが、どうされました?」
ルブラは申し訳なさそうに答えた。
「今日はこの通り薄着のドレスで来たのですけど、思ったより気温が冷え込んでしまって、先ほどから寒くて……」
「すみません、すぐ暖炉の火を強めますね!」
おわり
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