8話 前世の記憶の世界
「おお……! これが魔力か! すごいぞ、私の右手に不可思議な熱を感じる……」
「あ、ハノン様。そのままですと……」
「おお! どんどん熱が強くなって……うわあ!?」
その直後。ボンッと、ハノン様の手のひらから小さな煙が吹き出してハノン様の顔を包んだ。
「ゲホゲホっ! な、なんだこれは……?」
「んもう、ハノン様ったら。駄目ですよ、勝手に魔力を規定値以上練りこんでは。今のは魔力が溢れ出して小さいけれど暴走してしまったんですよ」
「そ、そうなのか。すまないファルテシア……」
私が注意するとハノン様はすぐに頭を下げて謝る。
こんな素直なハノン様なんて、以前までなら考えられなかった。
やはり彼はおかしくなっている。
――すまないのだがファルテシア。魔力、魔法について詳しく教えてもらえないだろうか?
ハノン様の後頭部に石がぶつかり、彼がおかしくなってしまってから数日が過ぎたとある休日。
彼はエルザーグのお屋敷に来て、私へとそう頼んできた。
聞いたところによると、ハノン様は前世の記憶、イセカイの記憶とやらが甦ってしまってから、どうも魔法学について疎くなってしまったらしい。
魔道具の使い方や魔力の感じ方など、一部の事は覚えているらしいのだが、曖昧な点が多いとの事で休日を利用して彼と二人でエルザーグ邸の庭で魔法の訓練をしていた。
「しかしなるほど、魔力という物も中々に扱いが難しいのだな……」
魔力の扱い方は魔法学園で座学と実地訓練で習うのが基本だ。
当然魔力の扱い方も個人差があり上手に魔力を練って魔法を扱える人と、そうでない人がいる。
ハノン様は以前まで前者であり、それは優秀な魔力の使い手で幼い頃には散々自慢されたものだ。
それが今や私よりも魔力の扱いが下手で知識もない。
「これが簡単な水魔法です」
「指先から水鉄砲のように水が噴き出ている……。凄いなファルテシアは!」
「こんなの普通ですよ」
「普通なものか、凄いよファルテシアは! 私にはとてもできそうにない! ははは!」
そう言って彼は少し照れながら笑った。
彼の笑顔にドキリ、としてしまう自分がいた。
きっと前までだったら私のこんな低級魔法、嘲笑されるだけだったはずなのに。
ハノン様の方が遥かに魔法の才能があるのだから。
「……ハノン様は潜在的にもっと強力な炎魔力をお持ちですから、しっかりと練度を高めて扱い方を思い出せば、炎の力を思いのまま操れますよ」
「ふーむ。キミに色々教わった通りやってみてるが……どうも私は魔力を練る、という感覚が苦手だ。これもやはり異世界にいた時の、前世の記憶が強く甦ってしまったせいだろうか?」
「その可能性は高いかもしれません。魔力は精神に直結しておりますから、ハノン様のように精神的に不安定だと魔力も思うように練れないかと」
「なるほどな……。ま、その代わり私には異世界の知識というやつでチート技を使ってしまうけどな! ははは!」
まーたハノン様が頭のおかしな発言をしている。
それにしても異世界とは一体どんな所なのだろう。
この数日の間、ハノン様に色々お聞きしてみたところ、異世界というのはとんでもない世界だったのだなと驚かされた。
馬車よりも速い乗り物を貴族平民問わずほとんどの者が操り、大勢の人を乗せて空を飛ぶ鳥のような乗り物で大陸間を移動し、食べ物に困る事はなく、魔物も存在せず、戦争もほとんど起きないのだとか。
なんという平和で文明の発達した世界なのだろうと感激を覚えた。
魔法、というここでは当たり前の力は存在していなくとも、そんな平和で国民のほとんどが裕福な世界が現実に存在しているのだろうか。
私には到底考えられない。
確かに私は一応貴族ではあるがエルザーグ家は正直、いつ取り潰しがあってもおかしくはない。
それほどに我が家、我が領は経営難に陥っている。
だからこそ大貴族のイグナス家次期当主となるハノン様と結婚する事がエルザーグ領を救う唯一の方法なのだ。
両親からは「ハノンくんに見合うような素晴らしい女性になりなさい」と散々言われ続けてきた。
私は幼いながらにエルザーグ領の困窮さを理解していたから、絶対にハノン様と結婚しなければと気負っていたのも事実。
だからこそ、彼に嫌われたくなくて必死だった。
けれど、駄目だった。
何が駄目だったのかわからないが私はハノン様に嫌われてしまった。
お父様やお母様も最初の頃はハノン様のお父様であるガノン公爵閣下のもとへ話を聞きに行っていた。
ガノン公爵閣下は「ハノンも今は難しい年頃だから少し様子を見て欲しい」としか答えてくれず、それ以降エルザーグ家とイグナスの関係性も次第にぎこちなくなってしまっていた。
ウェルお父様も今では「自分の好きなようにしなさい」と、半ばハノン様との結婚を諦めているようであった。
それが先日から突然、また以前のように交流が深くなった事にとても驚いていた。
「やはり私がすぐに魔法を扱うのは難しいな。おそらく魔力を操るこれは身体の四肢を動かす感覚に近い」
ハノン様がうーん、と言いながらそう呟き出した。
「身体の四肢を、ですか?」
「うむ。例えばファルテシア、キミは右腕を上げてと言われたら上げられるだろう? やってみせてくれ」
「はい、こうですよね」
「そうだ。じゃあそれ、一体どうやるのか? と聞かれたら説明できるかい?」
「腕をあげるのを説明……うーん、改めて言われてみると確かに……出来るのが当たり前すぎて説明の仕方がわかりませんね」
「そうだ。本能、筋肉など感覚で動かせる力というものは得てして言語化し解説する事は困難だ。魔力のそれもまさに近しい。だから今の私には困難な動作なのだろうね」
なるほど、ハノン様の言う通りだ。
魔力の練成は一応手順もあるし、やり方の方法も説明もあるにはある。が、結局のところあとはその人個人の感覚、センスによるものが大きい。
というか……。
「しかしこれは面白いな。私の想定外の事が普通に渦巻いている。後でこれを研究し、まとめて論文に仕上げてみても面白いかもしれないな」
ハノン様は恐ろしく聡明かつ深慮になった。
以前までは難しい事など考えず、その場限りの行動や短絡的な考えばかりで動いていたのに。
「ま、私の魔法の技術はさほど上がらなくてもいい。私にはファルテシアがいるのだからな」
「へ?!」
「私にはこんなにも美しくて可愛らしい婚約者が傍にいてくれるんだ。これ以上望むモノなんて何もないさ」
う、ううう!?
やっぱりハノン様はおかしい!
ぜっーたいにおかしい!
こんなセリフ、どうあったって前のハノン様から出てくるわけがない!
「私は楽しみで仕方がない。早くファルテシアと正式に婚姻を結びたいものだ。……って、まだキミは15歳で成人の日まであと一年近くあるから気が早いか、ははは」
無邪気に笑う彼の笑顔を見て、私は複雑な気持ちを抱えるのだった。