13話 婚約者様の正体
「キミが察している通り、僕はイクルだ。ハノン・イグナスという人物はもうこの身体の中……僕の中には、いない」
やっぱりそうなんだ……。
「けれどハノンの記憶や行動理念のある程度は理解している。何故ならハノンは僕の子供なのだからね」
「え? こ、こど……」
「キミもだよファルテシア。キミも僕の子供だ。ハノンもキミも、ウェルもガノンもレオニールもリエルタも、みんなみんな、僕の子供さ」
「そ、それは一体どういう……」
「ごめん、誤解させる言い方だったね。この世界は僕の物語の世界なんだ。僕が作り出した物語の世界。愛憎渦巻く貴族間恋物語だ」
「ものが……たり……?」
「異世界の記憶、と言えばいいのかな。この世界とは異なる世界を生きていたこの僕が考えて作り上げた世界が、まさにこの世界というわけだ」
今回のイセカイのお話は冗談にしても酷すぎる。
私たちが作られたモノだと、彼は言っているのだから。
「僕の名は橋本 郁瑠。向こうでは28歳になる売れない無名の小説家だ。僕が最新作の異世界恋愛物小説、つまりこの世界を執筆していた時、強盗に押し入られて頭を強く殴られてね。目覚めたらハノン・イグナスになっていたんだよ」
この人は……一体何を言っているの?
これまでの言動も信じ難かったけれど、今日のは群を抜いて話の次元が違いすぎて理解できない。
「イ、イクル様。それでは私たちは皆、作り物だと仰っているのですか?」
「完全にそうだ、とは言わない。何故なら今この世界は独自に動いている。キミも一人の人間として思考し、行動しているだろう? 僕が考えるに、僕が考えた世界によく似た別次元の世界、つまり異世界に僕は転生したのだと思っている」
そんな。
そんな嘘みたいな事が現実にあるの?
でも彼の言っている事が事実ならこの一年間、彼が行なってきた奇異な行動や言動のほとんどに説明がつく。
彼はこの世界を私たち以上に詳細に知っていたからこそ、ハノン・イグナスとして上手に立ち回り、様々な危険や問題、トラブルを回避してきたのだと。
「本来ならキミとハノンは一年前のあの日に婚約関係を解消していた。そしてハノンはリエルタと婚約して結婚。キミはハノンの友人、レオニールと結婚して幸せになる予定だった」
「私がレオニール様と……」
「その後、ハノンとリエルタは互いの傍若無人な行動や言動に喧嘩が絶えなくなり関係は悪化し離婚。一方キミは結婚した相手と幸せに裕福に暮らすという設定で作られていた」
「でも、今はもう全く違いますイクル様。今のこの世界はイクル様の作った世界とは大きくかけ離れているわけですよね? それなのに昨晩の婚約破棄騒動はどういうわけなのでしょう?」
「……この流れは僕がプロット段階で作っておいたifルートでもあるんだ。もし仮にハノンが心変わりしてキミとの関係をやり直したら、というね」
「それじゃあ……やっぱりここはあなた様の作られた世界、なのですね……」
「そう。ここまでが、だね」
「え?」
「そのifルートを作っている最中に僕はおそらく殺された。だからこの先の展開は僕の頭の中で考えていた仮プロットでしかない。だからこそ不確定要素が多すぎてよくわからないんだ」
「なるほど。でもそれを私との結婚を早める事で解決してしまえるかもしれないというわけなんですね」
「それもある。けど……ファルテシア。僕はこの一年を通してキミと共にいて、はっきりわかった事がある。それは僕がキミの生みの親としてだけではなく、僕個人がキミの事を好きになってしまっているという変え難い事実だ」
「え……?」
「これから僕の言う言葉は嘘偽りない真実の心だ、ファルテシア。僕はキミの事が好きだ。本当に愛している。それは僕がキミと言う人物を理想のヒロインとして描いたせいというのもあるかもしれないが、そんなのはもう度外視していい。僕は……ファルテシア。キミの事を心から愛してしまっている。ファルテシアという一人の女性を」
真剣な眼差しで彼は私の目を見据えてくる。
確かにこんなに実直に想いを伝えてくれるなんてハノン様じゃありえない。
「そ、そんな事……突然……」
「僕はねファルテシア。このままハノン・イグナスとして生きていくつもりだ。僕にはハノンとして生きれるだけの知識がある。多少性格や考え方は違うだろうけどね。僕はもうそれぐらい、キミに夢中なんだファルテシア」
「イクル、様……」
「もうその名も捨てよう。僕は……いや、私はハノン・イグナスだ。今日この時より、ハノン・イグナスとして生きて、死ぬ事を誓う。そして一生の愛をキミだけに注ぐ事も」
「あ、う……」
身体がふわふわする。目頭が熱くなる。
いつの間にか頬が信じられないくらいに熱い。
「お願いだファルテシア。私を生まれ変わったハノンだと思って受け入れてはもらえないだろうか。物語の作者としてではなく、キミの幼馴染としてでもなく、全く新しいハノン・イグナスとしてキミに結婚を申し込みたいんだ」
ああ。
こんなにも真っ直ぐで真摯に愛を伝えてもらえて。
嬉しくないわけがない。
確かに中身はもうあのハノン様ではないのかもしれない。
異世界のイクル様なのかもしれない。
それでも見た目も声もハノン様のまま、私の理想通りに私に優しくて、とっても愛してくれるようになってくれるのなら。
「……謹んで、お受けいたします。ハノン様」
「ファ、ファルテシア……本当にいいのか?」
「はい。だって私も、もうとっくにイクル様……いえ、今のハノン様の事を愛してしまっているのですから」
「ファルテシアっ!」
彼は満面の笑みを浮かべて私に飛びついてきた。
「私は……全てを打ち明けたらきっとキミに嫌われてしまう、気持ち悪がられてしまうと恐れていた。こんな私がキミを好きだと告げてしまったら、関係が壊れてしまうのではと恐れていた。だから今日まで真実を言えずにいた。それがこんな風にキミと……」
彼は感極まったのか、その瞳から涙を溢していた。
ギュウっと抱きしめられて、私も凄く嬉しくて。
釣られて私も彼の胸の内で溢れ出る涙を隠していた。