納夢珠々
あの日もいつもと同じ日常のはず、だった。
学校が終わって…電車で習字教室まで行って。
それが終わったら、ママが教室まで迎えに来てくれる。
いつもなら。
電車を降りて、少し歩く。裏道を使うと早いけど、人の少ない道は通っちゃダメってパパが言うから。
遠回りだけど、大通りに沿って習字教室を目指していた。
「う…」
?何か、聞こえた。
ふるふると周囲を見ると…大変!誰か倒れてる!
狭い道に入っちゃうけど、気にせず駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「………」
あれ…?なんで、笑ってるの…っ!!?
首に、痛みが走っ……
あたしの記憶はそこまでだった。
*
目が覚めても真っ暗。顔に何かある…目隠し…!?
それに腕も動かない。後ろで縛られているようだ。
これは…誘拐…!?あたしはパニックになって大声を出そうとした。
だけど口が動かない。ガムテープか何かで塞がれている。
「んーーーっ!!」
「あ?おい、起きちまったぞ」
すぐ近くで男の声がして心臓が跳ねた。それも一つじゃない。
殺される!逃げないと!!どこに!!?
逃げたい衝動と今は冷静に!という理性が喧嘩して、あたしは硬直してしまった。
幸いなのか、何かされることもなく。
ひたすらにじっとして…おじいちゃんが助けに来てくれるのを待った。
どれくらい時間が経ったのかわからないけど。
あたしはトイレをずっと我慢して…おもらししてしまった。
すると男の一人が「めんどくせえ」と言って脱がせようとしてきた。
絶対に嫌だ!!と思い、いっそ殺されてもいいから力の限り暴れた。
その時どこかに足をぶつけたようで、ズキズキ痛んで何かが肌を伝う感覚が。
「おい、痕が残りそうな怪我させんな。金貰ったら売るんだからな」
「ですが…」
「今はまだ商品だ。日本人のガキは高値で売れんだよ、特にメスはな。
価値下がった分お前が補填できんのか?」
「う…すいやせん」
?こいつらは 何を言っているのだろうか。商品って何?あたしは人間だ、売り物じゃないわよ?
あたしの身体がふわりと浮かび、少し揺れて地面に降ろされた。
腕の拘束と目隠しが外されて、急に明るくなって目が眩んだ。
事務所のような部屋で、ボロボロのソファーとテーブル、机と棚がある。
後ろを振り向くと…パパより少し若そうな、背の高い男が。
冷たい目であたしを見下ろして、何か荷物を投げてドアの前に座った。
荷物はタオルとサイズの大きいズボンだった。
「う……ぅぅ…!!」
机の陰に隠れて服を脱いで身体を拭いていたら、涙が出てきた。
帰りたい。おうちに帰りたい。
ママのご飯食べたい。パパに抱っこしてもらいたい。
怖い。怖い…
はやく、たすけにきて…
ズボンの紐をぎゅっと締めて顔を上げた。
目の前には窓がある。
……窓を開けて、大声で「助けて!!!」と言ってみようか。
ううん。きっと助けられるより、殺されるほうが早い。
見張りの男は何度か入れ替わる。休憩してるんだろうな。
寝たふりをして観察してみたけど、あたしの前ではずっと起きてる。
どうにも、できない。
パパ…ママ…
*
時計が無いから、あたしが誘拐されて何日経ったのかわからない。
たまに水とパンを投げるように渡されて。
絶対に、死んでたまるか…!!と泣きながら食べた。
「トイレに行かせてください」と言えば、無言で小脇に抱えられて運ばれる。
男達はあたしが泣こうが話しかけようが、何も返事をしない。
最初に「でけえ声を出したら殺す」と首に銃を突きつけられた時以外会話はなかった。
そして…機会が訪れた。
毎回見張りの男は、あたしをトイレに放り投げて確実にドアを閉めて前に立っている。
だけどこの時…タイミングよく男の携帯が鳴って、男は私を適当に落として電話に出た。
「はい。ええ、大丈夫っす。今ちっと便所に…」
今しかない!!
そう思って、ドアを勢いよく突き飛ばし男にぶつけた!
「いでっ!?ま、待てっ!!」
『どうした?』
「あ、え、すいやせん!!」
男が一瞬戸惑っている間に走る!
道も分からないけどひたすらに足を動かす!捕まったら今度こそ殺される…!!
とにかく下へ!階段を見つけて駆け降りる。
いつも窓の外から人の声や車の音が聞こえていた。ここは道路沿いの建物なんだろう、外に出れば…!
「いたぞ!!」
別の男が前から迫ってきた。だけどその手前に、玄関らしき空間が!!
あたしは勉強は全然駄目だけど、足の速さだけは自慢なの。もちろん大人には敵わないけど、この距離なら!!
男は止まれ!と銃を構える。どっちにしても死ぬなら止まってやらない!
というか、撃てないでしょう?街中だもの、ただの脅しでしょ?
これでも警察一家の娘よ。それくらい分かるんだから!
またまた偶然が、玄関の鍵が掛かっていない。これも幸いか、自動ドアでなく手押しのタイプ。
無我夢中でドアに体当たり、久しぶりに肌を風が通った。
やった…外に出た!!
でも気を抜いている暇はない。もっともっと走れ…!!
その時だった。
ビーーーーーッ!!!
「きゃっ!?」
「「わあっ!」」
真横からけたたましい音がして、ビクッと身体が跳ねる。
次の瞬間、何かがあたしにぶつかった。
その何かもすごい勢いで、あたしたちは地面に転がった。だけど衝撃は無い…
捕まった!そう思ってパニックになりかけたけど、相手も同じくらいの子供だと気付いた。
途端に気が抜けて冷静になる。すると周りの風景が見えるようになった。
あたし達の真横を車が音と風を立てて走っている…今まさに、車道に飛び出そうとしていた…!?
スーツ姿の男性が駆け寄ってくる。誘拐犯の仲間かと警戒したけど、違うみたい。
それからの記憶は曖昧だけど、覚えているのは。
「大丈夫よ」とあたしを腕に収め、青褪めた笑顔を向けてくれた、とっても可愛い女の子と。
あたし達の前に震える足で立ち、両手を広げて守ってくれた男の子。
保護されたあたしは、わんわん泣いた。
だけど二人がパトカーに乗ろうとする姿を見て、このまま別れたくなくて名前を教えて!と言った。
「「名乗るほどの者ではございません」」
彼らはそう言って消えてしまった…
家に帰ったあたしは、パパやママやお兄ちゃん…おじいちゃんおばあちゃんが泣きながら迎えてくれた。
よかった…!助けに行くのが遅くてごめんね、と強くあたしを抱き締めて離さなかった。
その日は家族四人でくっ付いて眠った。
夢を見た。
あたしはビルを飛び出して、脇目も振らずに走って。
息を切らせて足を動かしていたら…全身に強い衝撃が。あたしの身体は宙を舞い、最期に見えたものは。
トラックと正面衝突する車。
追いかけてきた男達の間抜け面だった…
「きゃああああっ!?」
「珠々!?」
絶叫しながら飛び起きると、お兄ちゃんが優しく撫でて落ち着かせてくれた。
パパもママも…今の、夢は?
もしかして…あの子達がぶつかって来なかったら、あたしは死んでいたんじゃ…
あれはもう一つの未来だったんじゃ…?直感でそう悟り、両腕で自分を抱き締めた。
嫌な汗が流れる、ポロポロと涙が止まらない。パパに抱っこされて…明け方ようやく眠れた。
*
誘拐犯は全員捕まったらとか。
あたしのスマホが捨てられていて、GPSで探せなかったとか。
あいつらのアジト…ビルの場所を特定するのに時間が掛かったとか。
お金は用意したものの、支払った後無事に帰される保証が無いから、どうにか交渉を引き延ばしていたとか。
実際誘拐犯は警察に恨みのある連中だったようで、身代金は二の次だったんだって。
おじいちゃんの目の前であたしを殺そうとしたけど…容姿がよかったから、外国に売るつもりだったらしい。
売られてたらどうなっていたのか…大体の話を聞かされ。
怖くて暫く一人で眠れなかった。
あの日あの場所で喧嘩があって、通報があって警官が駆けつけたけれど。
そこには喧嘩してる人などいなく、また監視カメラにも映っていなかった。
公衆電話から通報した人物は特定出来なかった。ただ、若い女性だったと…
その電話と居合わせた男性のお陰で、被害なく速やかに事件が片付いたんだって。
事件については目撃者が多過ぎて完全には隠せない。
だから被害者が警視総監の孫、という事実のみ伏せて報道された。
と事件の流れをおじいちゃんが教えてくれた。
みんな躊躇っていたけど、あたしが知りたいって言ったから答えてくれたの。
監視カメラの映像から、二人がいなければあたしは本当に轢かれる寸前だったと分かった。
少し考えれば、いかに自分が危なっかしい行動をしていたのかと思い知らされる。
もうちょっと待てば助けも来ていたんだ。
だけどあたしを責める人はいなかった。
おじいちゃんはもう二度と同じ目に遭わせない!と約束してくれた…
完全に収束したのは、夏休みも終わってから。
あたしは守ってくれた二人に会いたい、とおじいちゃんにお願いした。
「彼らのご家族には儂からお礼を言っておいたよ。
あの子達も巻き込んでしまったから、思い出させちゃいけないんだ。
でも…友達になりたいんだろう?」
おじいちゃんは目尻の皺を深めてそう言った。
うん…お友達に、なりたい。
あの子達は帽子を被っていて、あまり顔は見えなかったけど…あたしと同い年。
名前は大橋優深くんと月見山一華ちゃん。お金持ちの家の子なんですって。
現場にいたのは完全に偶然だったけど、あたしはそう思えなかった。
あの時…あたしよりも、余程冷静に対処していたもの。
怖がるあたしを優しく撫でてくれて、柔らかく笑ってくれて。
男達を警戒して大きな音を出し続けて、人が集まるようにしてくれたんだと思う。
大人はみんな「偶然だよ。珠々ちゃんは神様に愛されているんだね」なんて言うけど、大間違いよ。
愛されてるとしたら、それは一華ちゃんと優深くん。もしくは…二人は天使様なのかもしれないわ。
大人は信じてくれないから、二つ上のお兄ちゃんにだけ打ち明けた。
「そうか…珠々がそう感じたのなら、きっとそうなんだろうな」
頭をぽんっと叩いて笑ってくれた。
えへへ…嬉しい!
「それでね、おじいちゃんがあの子達と会わせてくれるって!」
「それは…大丈夫なのか?」
お兄ちゃんは眉を下げて困り顔。大丈夫!
おうちに連絡したら、明日二人は公園で遊ぶんだって。そこで事件に携わった男性…安藤さんが協力してくれる予定。
助けてくれてありがとう。
よかったらお友達になってください!絶対そう言うんだから!
*
おじいちゃんが若い刑事を一人付き添わせてくれて、あたしは公園まで足を運ぶ。
合流した安藤さんが言うには、この大きな木の上に二人がいる?
「本当にここなんですか?」
「はい、あちらに足が見えますよ」
あ、ほんとだ。小さくて細い足が四本。ふぅ…
「ねえねえ」
ぎゅっと拳を握って、ドキドキしながら声を掛ける。
すぐこっちに気付いて…一華ちゃんがあたしの名前を呼んでくれた!
嬉しい!あの後目立つようにって、お兄ちゃんと一緒に髪を赤に染めてみたの。
大分印象が変わったと思うのに、覚えててくれたんだ…!!
頭の上でガサガサと音がして、優深くんと一華ちゃんは「えいやっ!」と降ってきて…格好いい!!
改めて彼らと顔を合わせる。
優深くんは…ふわふわの髪の毛、天パかな?青い垂れ目がとっても綺麗で吸い込まれそう。あたしより肌白いわね。
一華ちゃんは透き通る金髪で、大きな目と桃色のほっぺが可愛い!
え、美男美女。やだ、芸能人かしら?そこらの子役よりずっとずっと美形。
にっこりと微笑んでくれて、あたしの心臓はぶち抜かれた。
こほん…気を取り直して。
二人があたしを覚えてなかったら、もう一度初めましてをしようと決めていた。でも…考えすぎだったわ!
「あのね…あなた達に会ってお礼を言いたかったの!」
彼らの手を取って、ずっと温めていた言葉を紡ぐ。
助けてくれてありがとう。謙遜されてしまったけど、構わず続ける。
もしかしたらあなた達は…あたしを助ける為に、あの場にいてくれたんじゃないの?
三人で転がった時、あたしは無傷だったけど。
優深くんは背中や腕、一華ちゃんは足なんかを怪我したって聞いたの。
それは、最初からあたしを庇ってのことでしょう?わざと、ぶつかったんでしょう?
「(でも…誰も信じてくれないから。あたしだけはわかってるけど!)どんな理由があろうとも、あたしはあなた達に助けれた!
それが全てで事実よ。だからありがとう!」
そしてどうか、お友達になってください。
ちょっと強引だったけど、こうしてあたし達は仲良くなれたの!
*
翌日、早速ちかちゃんちに招いてもらっちゃった!
おっきい家…外国のお屋敷みたい!本当にお金持ちなのね…ってあたしはお金でお友達を選んだんじゃないからね!?
わー、お部屋も素敵。スズの部屋はこの半分だわ。カーテンも可愛い!
キョロキョロと見回していたら、ランドセル発見!そこには…
あの日首が伸びきっていた人形…ヒーローの防犯ブザーが付いていた。
そっと手を触れると、思い出しちゃう。
怖くて…不安に押し潰されそうだった日々。
絶対に生きて帰る!って頑張ってたけど、心のどこかでこのまま死んじゃうんだろうな…って諦めてた。
でもそれを塗り替えてくれた、ちかちゃん達と出会えた事件。
何度でも伝えたい。ありがとう…
鼻がツンとして泣いちゃいそう。
それまで静かに聞いていたちかちゃんが立ち上がって、あの日のようにぎゅってしてくれて。
「どういたしまして。あなたが元気でいてくれて、私達も嬉しい」
ああ…温かい。
ちかちゃんは並んでベッドに座って、泣き続けるあたしを優しく見守ってくれた。
涙が止まってから、気になって仕方がないことを訊ねてみる。
「あのさ…ちかちゃんとうみくんって…
つ…付き合ってるの?」
「ほへっ?」
スズのクラスでも、恋人がいる子多いもの!
ちかちゃんは目をまん丸にして、ナイナイナイと否定した。そっかぁ…よかった!
えへへ…じゃあ、うみくんに…
「…すうちゃん、優深ちゃんに惚れちゃった?」
「い、言わないでっ!!」
「ほぉ〜ん」
ちかちゃんはニヨニヨと口の端を上げる。
そうよ…あの日から、ずっと彼の背中が忘れられないのよ!!
震えていた小さな背中が、すっごく逞しく見えて…っ好きになっちゃったわよ!!
公園で再会して、帽子の下に可愛い素顔を隠していて。
ちかちゃんもだけど、あたしの話を楽しそうに聞いてくれて。声を上げて笑う姿が本当に素敵で…ドキドキしっぱなしだったのよ!!
「そっかぁ〜ふふ〜ん♡」
ちかちゃんがあたしの背中を軽く叩いて、とっても楽しそうに笑う…うぬぅ…
彼女は「今度優深ちゃん連れて遊びに行くわ!」といい笑顔で親指を立てた。ふあん。
*
「それでね、来週遊びに来てくれるの」
「「「ほう…」」」
あたしんちはマンションなんだけど、たまにおじいちゃんちでご飯を食べる。
ちかちゃんは可愛くて、うみくんはすっごく格好いいの!優しいし、クラスの男の子と全然違うの。もっと仲良くなりたいなあ…って言ってたら。
おじいちゃん、パパ、お兄ちゃんが目を光らせた気がした。
「恩人とはいえ…可愛い孫を任せられる男か、見極めねばな…」
「まだまだお嫁にはあげないぞ…!!」
「俺より弱い男に妹はやれねえぞ…!!」
三人は箸をバキン、ベキ、とへし折りながら「ふふふふ…」と不気味に笑った。
「嫌ねえ、男ってのは」
「本当ですねえ、お義母さん。いつかは通る道ですのに」
「「「まだ早い!!!」」」
???何怒ってるの?
あたしだけ仲間外れのご飯は進み、一週間後。
なぜがおじいちゃんとパパがお仕事を抜け出してまで、お友達を迎える日がやってきた。
ぞく…
「…?さ、寒気が…?」