沖原拓馬
僕は物心がついた頃から、特別な人間なんだと漠然と認識していた。
家も世間に比べると裕福だとそのうち知ったし、容姿もいいし頭もいい。
どんな言動が大人にウケて、他人に可愛がってもらえるのか。手に取るように分かっていた。
「やだああああっ!!ゼッタイいやーーー!!!」
だから、隣のクラスの男の子が喚いているのを不憫にすら思っていた。
わざわざ大きな声で体力を使わなくてもいいのに。
例えば服の裾を握って上目遣いで、少し震えて「だめ…?」と言えばなんでも叶うのに。
子供の特権を使わないなんて…バカだなあ。
「拓馬。今夜ね、お母さんのお友達家族とお食事に行くわよ」
「おともだち?」
「そうよ。あちらにも拓馬と同じ歳の娘さんがいるの。お隣のクラスの一華ちゃんって子よ」
その日僕は両親に連れられた先で、運命の出会いをする。
「こんばんは、やまなしイチカよ」
「ぼくはおきはらタクマ。よろしくね、イチカちゃん」
すぐに分かった。
この子の言動は全て計算されている、僕と同じだと。
大人の望む回答をして、会話にさり気なく自分の意見を溶け込ませて誘導している…
僕に向ける笑顔もそう。当たり障りのない、一般的に好印象を与える類のものだ。
賢い子なんだと思った。そしてお母さん達は仲が良く、彼女はとても愛らしい。
そんな一華ちゃんを好きになるのは、とても自然なことでしょう?
それから何度か会って遊ぶけれど、友達以上にはなれない。親同士では僕達の婚約を…と言っているのに。
一華ちゃんが拒否していると聞いた。
あの子が婚約の意味を知らないとは思えない。この僕に不満がある…まさか。
僕は初めての感覚に首を傾げるしかなかった。
学園でも遠くから見つめることが増えた。
それで分かったけど…大橋優深。彼も僕らと同じタイプの人間だ。
だからか一華ちゃんも、彼と二人きりの時は大人びた表情や仕草をする。
彼らとなら素晴らしい友達になれそうだ、となんだか嬉しくなった。
だって同年代の子はみんなつまらない。話が噛み合わないし、頭が悪すぎる。
その中でも、一華ちゃんと優深くんといつも一緒のあの騒がしい男の子。
東雲楓…どうして彼らは、あんな奴と友達なの?
だけど東雲楓と話している一華ちゃんはとっても楽しそうなんだ。他人に向ける作られた笑顔でなくて、心の底から笑っている顔。
その笑顔を…どうして僕には見せてくれないんだろう?
胸が痛くなると同時に…なぜかちょっぴり震えた。
*
「タークマくんっ」
「え?………」
「えへへっ!ちゅーしちゃった!」
年長になったある夏の日、教室で女の子に呼ばれて振り返った。何か…変な感触が。
女の子は「きゃーっ!」と甲高い声で叫びながら走り去った。いつも僕に「すき!」と言って勝手に腕を組んでくる子だ。
今…唇にキスをされた?
なんだろう、気持ち悪い。
身体の奥底から何かが込み上げてきて、僕はトイレへ駆け込んだ。
水道で口を洗い、中も濯いでうがいもして。顔全体もバシャバシャと洗って…ようやく落ち着いた。
両親が頬にキスをしてくれる時は、とっても嬉しいのに。気持ち悪い 気持ち悪い 気持ち悪い…
面倒なことに僕は女の子にモテる。本当に好きな人には振り向いてもらえないのにな…
女の子を敵に回すと面倒だ。だから適当に相手して躱していたのに、不意打ちはやめてもらいたい。
なんとか気持ちを落ち着かせたが、教室にはいたくないので外に出る。
「ん…?」
「……くー…」
あれは…一華ちゃん?木の下で昼寝をしている?
いつもの二人がいない…もしかして休みなのかも。僕も隣に座り、木の幹に背を預けた。
他の子達は遊具に夢中で、こちらには一切近寄らない。
蝉の鳴き声と、みんなの笑い声が響く。木影で暑さは大分和らぎ、気持ちのいい風が吹いている。
すると一華ちゃんが、僕にこてんともたれ掛かってきた。
もしもさっきの子だったら…気持ち悪くて突き飛ばしていたかもしれない。寝てるんだから分からないだろうし。
「…………」
キョロキョロと周りを見渡す。誰もいない…よし。
一華ちゃんの肩を掴んで、正面に回り込んで…
眠る一華ちゃんにキスをしてみた。口にするのは流石に、と思ってその横に。
「……?」
気持ち悪くない。むしろ、もっとしたい。
「……んぬぅ〜…?」
「っ!!」
まずい、起きる!急いでその場を離れた。
胸がドキドキして頭がポーっとする。
それから顔を合わせる度に、顔が熱くなってしまうようになった。
どうしたら君は、僕のことを好きになってくれるの?
わからない。女の子は何もしなくても勝手に寄って来るから…わかんないよ。
*
小学生になっても、一華ちゃんとは同じクラスになれなかった。
代わりに優深くん、楓…くんと同じクラスだった。彼らがいるんなら、一華ちゃんもこの教室に来ることが多いかもと希望を抱く。
それに前から優深くんとは話してみたかった。どうにも彼は僕を敵視してるみたいだけど…なんで?
むしろ僕のほうが、一華ちゃんと通じ合っている君が羨ましくて仕方ない。友達になりたいけど、同時に蹴落としたいとも思うんだ。
優深くんは勉強も運動もなんでもできる。ただそれは努力の結果だと…
わざわざ頑張らないと結果が出せないんだ。
なんか…思ってたのと違うなぁ。
ちょっとだけ失望した。だけど…
僕は気付いてしまった。僕は…優深くんに何一つ敵わない。
テストはどっちも百点満点だけど。上限がなければ差は歴然だったんだろう。
彼は高学年向きの本を読み、それを理解していた。
読ませてー、と言って手に取ってみたが、まず漢字が読めない。
「う…優深くん。これ、なんて読むの…?」
「ん?諸行無常だな」
「ありがとう…」
他にもいくつか訊ねてみたが、アッサリと返されてしまう。
念の為先生にも確認したが彼の言う通りだった。
なんで彼は…単に努力でどうにかなる問題なの?
パソコンやスマホも簡単に使いこなすし。
人付き合いも僕より上手い。
先生達がこっそり、「大橋くんは神童と呼ばれる類の子よね」「四組の月見山さんもすごく大人びているし、頭もいいんだ」と会話をしていた。僕の名前はなかった。
運動だって、辛うじて足の速さは勝っているけど…他は惨敗。
ドッジボールのようなチーム戦でも変わらず。
空手をやっていると言うから、喧嘩になったら勝てる気がしない。
特に水泳は桁違い。
…いいや、僕がスイミングを習っていれば絶対勝ってた。
そうだ、僕が本気になったら絶対、絶対…
僕はいつからか、彼に勝つことが目標になっていた。
何よりも…一華ちゃん。僕が彼女を手に入れたら、大きく差をつけられるだろう。
楓くんも彼女を好いているけど、一方的で相手にされていない。
僕も一歩踏み出そう。
今まで言葉にしなかったのがいけなかったんだ、それしかない。
だって…僕の告白を断る理由なんて、無いでしょう?
*
なのに…どうしてこうなった?
僕は呆然と頬に手を当てて、目の前の彼女を見つめている。
「アンタねえ…っ!
……私はアンタみたいに、思いやりのない男は大っ嫌い…!」
折角観覧車で二人きりになれたので、ついに告白してあげたのに。
叩かれた箇所が、時間が経つにつれて熱を帯びてジンジンと痛む。
思いやり…他人の気持ちを考えること?
僕みたいに好条件の男の子から告白されたら、僕が女の子だったら喜んで受け入れるよ?
僕が車椅子だったら、他人に迷惑をかけないよう家でじっとしてるよ?
僕は何か間違えてた?わかんない、わかんないよ。誰か教えてよ…
僕に知識が足りないなんて認めたくない。痛みも相まって涙が出る。
知りたい。そう思って一華ちゃんの腕を掴む。
彼女は眉間に皺を寄せて、まるで汚いものを見る目で僕を………
なんだろう、すごく…ゾクゾクする。
観覧車が動き出し、咄嗟に一華ちゃんを引き寄せた。
ゴンッ!!!
という鈍い音と同時に、さっきとは比べ物にならない衝撃が頭に…っ!
僕はそこで意識が途絶えた。
目を覚ますともうじき地上で、一華ちゃんにひ…膝枕をされていた…!?
「起きた!?よかったぁ〜…!
ごめんね、わざとじゃないけど頭突きしちゃって…
今回は私のせいだから、本当にごめん」
そう言って僕の額を優しく撫でてくれる。
………?おかしい、変だな。
一華ちゃんが笑ってくれて、優しくしてくれると胸がドキドキして。
叩かれたりとっても冷たい態度を取られると、全身がゾクゾクする。
この感情は、何?
家に帰って一眠りしても、答えが出ない。
出ないから…両親に相談した。
「「……………」」
両親はすごく優しい瞳で僕を見つめる。
「だからお母さん、僕を叩いて?」
「そ…れは。ちょっと…ごめん、ね?」
「じゃあお父さ…」
「おっと仕事に行かねば。じゃっ!」
「あなたあぁーーー!!!」
?お父さんは逃げるように家を出た。
その後も使用人に片っ端から「僕を殴って。もしくは酷いこと言って」とお願いして回る。
誰も叩いてくれなかった。
大人が僕のお願いを聞いてくれないのは初めてだった。
次の日…教室に行くと、女の子が沢山寄って来た。そうだ。
「ねえ、僕のこと叩いてみて?」
「「「え……」」」
あれ、なんでみんな一歩下がるの?
どうしてもお願い!と言うと、一人の女子が控えめに頬を叩いてくれた。
「………うーん、もういいや。ありがとう」
「どういたしまして…?」
全然気持ちよくない。むしろ不快。
教室に異様な空気が流れる中、優深くんと楓くんが登校してきた。
「おはよう、元気になったんだな」
「うん…」
「「?」」
満たされない。
一華ちゃんの姿が脳裏に浮かぶ。彼女に会えば、わかる気がする。
以前から感じていた、この快感の正体を。
階段の踊り場に呼び出し、早速本題に。
向かい合って立ち、彼女が真っ直ぐに僕の目を見据えている。
その凛とした立ち振る舞いは、惚れ惚れするほど美しい。
力強いその瞳が濁る様子を見たい。
一華ちゃんはぺちっと撫でるように頬を叩いてくれた。
やっぱり彼女に触れられると、嬉しくて胸が温かくなる。
でも、足りない。
もっと、もっと強く!
すると一華ちゃんは「キショイ!!!」と叫びながら僕を張り倒した。
ああ…これだ。ようやく、満たされた。
思わずお礼を言ってその場に倒れる。僕を見下ろす彼女の目は、驚きと蔑みで光を失っていた。
他の誰でもない、君にしか僕は満たせない。ハァ…心が震えるようだ…
それからも隙あらばおねだりする。
「一華ちゃん。ちょっと踏んでみてくれない?」
「……………ヤダ……」
彼女の目が氷のように鋭く冷たい。
その視線だけで僕は…くぅ。
でもやっぱ刺激が欲しい。お願い!としつこく迫ると、渋々床に横たわる僕の背に足を乗せてくれる。
「もっと体重をかけて…」
「もおやだあっ!!わああーーーん!!!」
あ、泣いちゃった。でも…
「泣くほどイヤなんだ…ふふ」
「(コイツはMなのかSなのかわかんねえな…)」
優深くんも死んだ目だが、全然そそられない。
一華ちゃんだけなんだ、僕が興奮するのは。
できればノリノリでなくて、イヤイヤ痛めつけて欲しい。
更に言えば、挨拶代わりに貶して欲しい。
欲を言えば…
「欲しかないじゃん!!ヤダっ、私はノーマルだもん!!!」
「なあ優深。拓馬何やってんの?一華泣いちゃってるじゃんか!」
「あの…あいつは…マゾってやつだから…」
マゾ?何それ。
この行為が普通でない、とはなんとなく解る。だから人前ではしない。
今日も放課後うちに一華ちゃんを呼んだら、二人もくっ付いて来た。
いつの間にか僕は、優深くんに対する劣等感をまるで感じなくなっていた。そんなこと、どうでもいいんだ。
「た…拓馬…!!」
部屋のドアが微妙に開いて、隙間からお母さんが覗いている。
「(あなたのお父さんも昔…いえやめておきましょう。
血は争えないのね…)」
何も言ってこないので無視しよう。
「一華ちゃん。これを使って…」
「な…縄跳び…?(まさか、コレを、鞭のように…それとも縛って…イヤアアアアアッ!!!)」
「(青い顔で嫌がる一華。
恍惚とした表情で頬を染める拓馬。
もう…目覚めさせた責任取って結婚するレベルだぞ、一華…)」
ずっとずっと物足りないと感じていた。
何を与えられても心は何かを求めていた。それが…ようやく、見つけた。
*
「拓馬、お前をメルヘンブラック(一寸法師)に任命する!!」
「メルヘン、ブラック…?戦隊ヒーローだっけ、なんで僕?」
終業式の朝、楓くんが笑顔で何かの本を開きながら言う。
そんな子供っぽいもの、相手したくないんだけど。一華ちゃんも仲間だというから承諾した。
「楓、なんでブラックなんだ?」
「これ見て!『メルヘンセブン 大解剖図鑑』なんだけど…
ブラックの説明に『マゾヒストの一面を持つ』んだって!」
「この本子供向けだよな!?」
さて、一華ちゃんに会いに行こう。
大丈夫、学園では普通に振る舞うから。
「一華ちゃ…あれ、いない?」
「沖原くん?一華ちゃんなら帰っちゃったわよ?」
え、一緒に帰ろうねってメッセージ送っといたのに。
「放置された……ぅ…っ」
「(放置プレイされとる…)」
はああぁ…!彼女は本当に、僕を悦ばせてくれる…っ!!
明日から夏休み。
ああ…楽しみだなあ。
「一華ちゃんのことが好きなのは変わらないよ?キスしたいとか、結婚したいって思う。
ただ…彼女を痛めつけたいなんて微塵も思わないけど、泣き顔とか唆るよね…
泣かせてるのが他の人だったら怒るけど、僕のせいだと思うと…ゾクゾクする」
「この男…一華限定のサドマゾか…?」