『厄災』は娯楽に飢える
あぁ、今日もやってきた。
新しい人類の敵が。
『厄災』は、ずーっと、ずーーっと前からここに居た。
あの忌々しい神のしもべが、『厄災』をここに封じたから。
ここから出られないとわかった時、『厄災』はねむった。
『厄災』はものをこわすのが仕事で、破壊がないここはなーにもたのしくない。だからねた。
だから、うれしかった。
『それ』が来たのは、たくさんねむって、もっとたくさんねむって、さらにたくさんねむった後だった。
『厄災』もみたことのないような透明なぶよぶよがきてくれて。
どうやら『それ』はおこっているようで、しろくてまるい壁になんどもあたる。
ぶよん、ぶよんと床を濡らしながらはねまわる。
なんだか、その必死なのがかわいかった。
だから、『厄災』はそれを真似た。
スライムは絶命した。
『厄災』は、ずーっと、ずーーっと待っている。
また新しく破壊できるモノがここにくることを。
ここに来るモノは硬かったり、いっかい破壊しても元にもどったりする。
ここでの生活の中のそんな日が、『厄災』のささやかな楽しみ。
ほぅら、きょうもきた。
わくわくと、弾む心で『厄災』は来訪者の元へ向かった。
吹き飛ばされた。
「?、??ーー?」
『厄災』にはわけがわからない。
「フン、言葉も解せぬ低脳な獣か。さぞその巨体と高い身体能力で意味もなく数々の人族を屠って来たのであろうな。しかも醜い。顔の無い頭など、まるで海坊主のようだ」
にんげん? いや、にんげんはこんなに長い牙をもってない。
「やり返さぬのか。低脳な獣にも彼我の能力差が理解出来た様だなァ」
にんげんみたいでにんげんじゃないそいつは、口の端をにぃ、と持ち上げる。
「ならばさっさと貴様を倒してここから脱出するとしようか。クク、ここから出たらあの神官どう殺してくれようか!!」
わらってる。でも、おこってる。わからない。
──わからないものは、おもしろい。
「──? どうした貴様」
『厄災』は己よりも遥かに強いであろう相手に臆する事無く向かって行く。
「恐怖を知らん魔物など──成程、これが厄災と呼ばれるに至る所在か」
『厄災』はあどけなさを感じさせる動きで首を傾げると──
右腕で破壊の1振りを放った。
「フン」
よけられた。
「私は貴様のような獣とは違うのだ。由緒正しい真祖の吸血鬼の息子だぞ? 生まれから格が違うのだ、獣。貴様如きの攻撃が易々と当たる訳が無かろう」
あたまの上にいるみたい。
自分に止まった蚊を潰すように、『厄災』は左手で自分の頭を引っぱたいた。
「やはり理解できんか」
これもだめ。
せなかがむずむずする。
『厄災』は転がった。その動作1つで10は建物を潰せそうだ。
「いい加減煩わしくなって来たな」
これもだめ。
『厄災』はまた攻撃行動をとる。
これもだめ。
これもだめ。
これも──
「フンッ!!」
ズドン、と吸血鬼の放った魔法が『厄災』の頭蓋(?)に覆われた脳を貫いた。勝負は決まったかに思われたが──
「チ──高レベル自動回復持ちか」
ふしゅふるるる、と奇妙な音を立てて頭が再生していく。
「──面白いではないか! これほどの強さの敵との対決はオヤジを殺した時以来だぞ!」
それの意味をよく理解する事なく、『厄災』は愚直に攻撃を繰り出し続ける。しかしそれが当たる確率は万に一つもない。
吸血鬼が繰り出した攻撃を、『厄災』が受け続けるリンチが始まった。
──かに思われた。
(...魔法が効いていない?)
吸血鬼は先程との明らかな変化に戸惑う。
(ならば)
吸血鬼はその聡明かつ柔軟な頭脳で攻撃を物理に変更する。
「なッ?!」
繰り出した腕が『厄災』の体にずぶりと埋まる。
咄嗟に生み出した血の槍で腕を切り離すと、丁度腕が『厄災』の体に呑まれて行くではないか。
(...どうなっている)
吸血鬼は未知の恐怖に身を震わせる。
いや、これは未知ではない。脳を動かせ。それは知性を持つ者の義務である。
「その能力...貴様スライムだったのか」
解答はポンと零れ出た。つまりはそういう事だ。これは姿を変えたスライムであり、魔法耐性を持っているのも触れたものを呑み込むのもスライムの特性の延長線である。
普通の個体よりそれらの能力が高すぎて未知だと思ってしまっただけだったのだ。吸血鬼は自らの怠惰を悟った。
「フ。貴様を見誤っていたのは私だったか。許せ、獣。私には貴様を量るだけの器量など無かったのだ」
だがそれまで。上位者は常に己であると、唯足るを知った。
「タネが解れば簡単なものよ。ようは核を潰せばそれで良いのだ」
スライムの弱点は、その核である。核さえ潰してしまえばスライムは急激に活動を緩やかにし、停止する。
他の生物でいうところの心臓が、透けた体越しに目で見えるという圧倒的な弱点がスライムの弱者たる所以。そこを狙わずして何を狙うのか。
「私を驚かせ、楽しませたその功績に免じ一撃で屠ってやるとしようか!」
吸血鬼は持っていたいつの間にか持っていた血の槍に力を通す。
すると、吸血鬼1人分ほどの背しかなかった槍は『厄災』の身長ほども伸び、その見た目はよりいっそう禍々しく変化した。
すぅ、と息を吸い込む音が微かに聞こえた。
「では行くぞ、獣!! 我にこの奥義たる一撃を放たせた事、光栄に思うがいい!!───"真祖殺し、絶死の槍"!!」
『厄災』は、避けない。
その変わり、今までと違う行動で応えた。
『厄災』は、その顔の無い頭から──収縮した火炎を発射した。
「は?」
魔改造された血の槍は焼失し、更に火炎の余波で吸血鬼の半身が焼け落ちる。
「、は」
スライム、ではないのか? であれば、あれは。
いったい何だと言うのか。
半身は素早く復活する。ほとんど真祖と同一のこの体は体内に血を溜め込んでいる限り体の欠損を再生し続ける。
それは、その能力は──これから始まる地獄の助長にしかならなかったのだ。
──あぁ。終わってしまった。
吸血鬼と『厄災』は何百年も2人で舞い続けた。途中で入って来たよくわからない奴らは余波で途端に肉塊へと変わり果てた。
『厄災』は言葉を覚えていた。吸血鬼の吐く怨嗟の声の語句を覚え、それを意味に昇華させる。『厄災』の持つ拙い頭脳ではそれに二百年近くを費やした。まぁ、覚えたところで発声器官が無い以上対話はできないのだが。
終わってしまったのは、吸血鬼がもう再生出来なくなってしまったから。吸血鬼は血さえあればいくらでも体を再生出来るらしく、何度体を破壊されても『厄災』の血を吸い上げ、諦めず奮闘したのだ。健気で、素晴らしい。
──だが、それも今日までの事。ついに、吸血鬼の牙が『厄災』の肌を通さなくなった。それは血をもう吸えないと言う事を意味する。
吸血鬼は最後の方の何十年、ずーっと、ずーーっと笑っていた。『厄災』も楽しかった。牙を通せなくなったと気づいても、狂笑しながら吸血鬼は『厄災』に噛みつき続けた。
『厄災』は思った。
言葉を教えてくれた彼は既に私より馬鹿になってしまった。その事に正気だった彼は何を思うだろうか?
もしも吸血鬼の正気がこの空間に漂い、見ていたならば。彼はその全存在を『厄災』との交信に費やし、今すぐに殺してくれと懇願しただろう。誇りを失った痴態を晒すくらいなら死んだほうがマシだ、と。
だが、『厄災』は考えても答えが出なかったらしい。本能の赴くまま、吸血鬼の核たる心臓を引き抜き、一息に呑み込んだ。
せめて自分の中で生き続けろとばかりに。
そして『厄災』は今日も来訪者を待ち受ける。
吸血鬼以上の者が出てくる事は二度となく、以前はあんなにも楽しみだった来訪がつまらないものに思えてしまった。
破壊と戦いに満ちていた吸血鬼との毎日を思い出す。あれは良かった。また真祖の血とやらがやって来ればいいのに、と『厄災』は夢見る。
そして。
あぁ、今日もやってきた。
新しい人類の敵が。
見た目は人族。黒い髪に黒い目の実に弱そうなヤツ。ここに来るのは皆総じて人族の敵である。よって、こいつは人ではないのだろうが──あまりにも構成要素が人すぎる。
脅威になりえない実に小さな牙に、岩を殴れば折れてしまうだろう細い腕、そして不安げに揺れる魔眼でもなんでもない瞳───いかん、壊したい。
『厄災』は元来人間の敵として生まれた"魔物"である。こんな場所に居るから娯楽として人以外とも戦っていただけ。人間が来れば楽しむような悠長な真似はせず、すぐにでも床のシミに変えてしまう。そういう存在なのだ。
だが、吸血鬼との戦いの中で『厄災』はなけなしの理性を手に入れている。逸る心に杭を打ち、なんとか顔を形成する。
──吸血鬼は、自身の命運尽きるまでずーっと、ずーーっと笑っていた。もう自分が相手に敵わないと知っていても、彼は笑っていた。『厄災』は、なぜ笑っていられるのかを最後まで理解する事が出来なかった。そんな彼に『厄災』は好感すら覚えていた。
──だから、敵が来たら笑顔を作るのだ。
顔を作り終えた『厄災』は、人間の後ろに位置取った。
気配に気づき、ぎょっと人間は後ろを振り返るがそこは『厄災』が既に飛び退いた場所である。その行動はまだ正常だったころの吸血鬼の再現に他ならない。
おそるおそる、といった様子で人間がこちらを振り返る。あぁ、人間は吸血鬼に似ている。二足歩行なところとか、ちっこくて細いところとか。あくまで見た目だけの話で、精神的には別物なのだが。
吸血鬼の事を思い出し、『厄災』は満足した気分になる。──じゃあ、もういいか。
口を大きく開いた『厄災』は──
目の前の人間に火炎を放った。
後には、何も残らなかった。
きっと、それは『厄災』の生き方を表していた。