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とある初夏の風

作者: うっかりメイ

三題噺です。

お題:「日差し」「風船」「ねじれたトイレ」

ジャンル:青春もの

 薄暗く、狭い箱の中。かすかに漂う湿った空気の匂い。一人の空間をこれほどまでに高めてくれる場所は他にあるだろうか。体育館の裏の木陰もいい。しかしあそこは時々ボールが飛んできたりして闖入者に対して寛容すぎる。だからと言って屋上は不良かリア充の溜まり場だ。第一、太陽が一年中眩しく照らしてくるところなんてまっぴらだ。図書館はどうだろう? あそこは本を読むか勉強する場所だ。その二択しか許されていない空間でぼんやりすることなんて到底できない。それに休み時間ごとに司書さんに「もうすぐ授業時間ですよ」とか「もうすぐで締めますよ」とか言われるのはごめんだ。別に授業をサボりたいとかそういうわけではない。自分の時間を自分のルールで好きに使えないことが一番問題なのだ。

 改めて深々と息を吸う。彼の四方は高いプラスチックの板で覆われている。薄暗い中でそれらは澱んだ深緑を湛えていた。トイレ掃除を毎日欠かさずにやり遂げる者に感謝を捧げる。授業開始五分前の予鈴が鳴った。いじめられているわけではないが、教室に自身の居場所はない。自分から話しかける親友もいないし、話しかけられる用事もない。ほとんど空気のような扱いだ。教室から離れているのは余計なことに巻き込まれたくないからだ。腕時計に目をやると授業三分前にまで迫っていた。短くため息をつき、重い腰をあげる。個室を出ると違和感があった。目の前に小便器が並んでいるのが見えるが、どこかおかしい。視界をめぐらし、あたりを見渡す。美しい景色の絵画がなぜか歪んでいると感じる、そんな微妙な違いだ。

「これは……」

 景色が歪んでいるのではない。直感的にそう感じた。その次の瞬間、頭痛が走る。歪んでいたのは自分であったのか。彼は薄れゆく意識の中で驚きのままにつぶやく。


 目が覚めた時、目の前に見えたのは薄暗い何かの空間だった。薄暗いと感じたのは、トイレの個室だからではない。それどころか開放的などこかの駅の待合場所だった。屋根の影に隠れて吹きさらしのそこから一歩でも出ると、眩いばかりの日光が照らす真夏の昼。不思議と待合室は風通しがよく、蒸し暑さを感じない。

「気づかれましたか」

 痛みののこる頭をようやくのことで動かし、声のした方に視線をやる。そこには自身と同い年くらいの少女がいた。しかし紺色の制服と制帽が妙に板についている。男装した女子高生に見えなくもないが。

「ここは、どこですか」

 言葉をなんとか紡ぎ、質問する。彼女は無愛想な表情のまま、

「ここは駅でございます。しかしお客様のようなどこからともなくふらっと現れる方は初めてでございます」

「駅名は?」

 彼女が頭上を指さす。駅名が書かれた看板は確かにあった。しかしそこには肝心の文字が書かれていない。

「君はあれをなんて読むんだ?」

 なんとなく自分からわからないと言うのは気が引けた。彼女はなんと言うのだろうか? もしかしたら彼女には何か別のものが見えているのかもしれない。しかし、彼女も首を傾げ、「さあ」と気の抜けた返事をする。

「私にも分かりかねます。あれを読めたお客様がいらっしゃらないので」

 どうも何を考えているのかわからない少女だ。何より驚いたのは自分がそう考えていることに関してであった。右も左も分からない場所に放り出され、頼れる相手が彼女しかいない。この状況で話し相手を求めることは自然なことかもしれないが、周囲を観察し、結論を出すことを信条としている以上、安易に人に尋ねることはしたくない。そんなことを自分に言い聞かせながらも、口から言葉が飛び出る。

「そんなところにいて暑くないのですか?」

 彼女はただでさえ照らしつける日光のもとにいるというのに、紺色の制服を着ている。どういう仕事なのかわからないがさっきからずっと屋根の外にいる。

「仕事ですから」

 なるほど。そうであれば仕方ない。彼はぶっきらぼうな彼女の口調に距離を感じつつも、先程の自分の質問にやはり驚いた。トイレで倒れた時に頭を打ったのかもしれない。もしかしたら自分はその時の打ちどころが悪くてこの世ならざる場所にいるのかもしれない。

「死にたくないなあ」

 ぼんやりと呟く。彼女に睨まれたような気がした。不謹慎な言葉を出してしまい、後悔する。

「お客様は幽霊でございますか?」

 一瞬彼女の言葉が理解できず、見つめ返す。彼の沈黙をどう受け取ったのかわからないが、彼女はさらに聞いてくる。

「どこで、どんな風にお亡くなりになられたのですか?」

 やや前のめりの姿勢で聞いてくる。興味津々という感じだろうか。いや、それにしては表情がどことなく真剣だ。

「ごめん。急に倒れただけで本当に死んでしまったのかわからないんだ」

「そうですか……」

 なぜかがっかりされた。そんなに人に死んで欲しいのだろうか。

「すまないが、こういう時どうすればいいんだ?」

「も、申し訳ございません! ええーと、出身とお名前を教えていただければお乗りいただける電車を調べることができます」

「電車?」

「はい。ここは乗り換え駅でございますから」

「はあ」

 彼女がペンとメモ帳を用意し、彼の言葉を書き留める。名前などの漢字を確認したのち、どこかへ立ち去る。久々に一人きりになり、ぼんやりと待合室の外を眺める。名前のない駅にも役割があることに少し疑問を感じていると、三両ほど連結された電車が滑り込んできた。電車に詳しくないのでどこの線かわからないが、錆が浮いている車体から古いものであることがわかる。その中から何人かが降りてくる。日本人もいれば外国人らしき人もいる。次の電車を待つ人もいれば、光の外へ消える人もいる。皆表情が硬い。何より特徴的なのは降りてきた人、車内の人がしばしば風船を持っていることだった。どこかの遊園地の帰りだろうか? それにしては誰も笑っていない。それほどつまらない遊園地なのだろうか?

「お客様、失礼いたします」

 電車から降りてきた人の間から先程の駅員の少女が戻ってくる。相変わらず無表情だが、先ほどよりどこか困ったという感情が混じっている。

「お調べいたしましたが、お名前、出身地が確認できませんでした」

「そうですか」

 そもそもなぜここにいるのかわからない状況だ。何か行動の指針があれば良かったが、しかたない。

「少し周りを歩いてくる」

「あ、お客様!」

 彼女が止める間も無く彼は一歩を踏み出す。日差しが強く照りつける中、横を電車が過ぎ去っていく。風船を手に持った乗客が虚な表情で座っているのが見えた。彼はその目でどのような光景を見てきたのか。眩しさを感じ、手をかざす。しかしその動作はさっきやったはずだ。目線を見上げるとその意味がわかった。いつの間にか手が透けている。幽霊か聞いてきた彼女の表情を思い出す。もしかしたらその言葉の通りなのかもしれない。日の光は自分にとって有害なのだろう。光線が体を貫き、気が遠くなる。目が覚めたら学校のトイレの床だろうか。そうであってほしい。意識の果てで自分の名前を叫ぶ少女の声を聞きながら。彼は再び頭に痛みを感じる。


 目が覚めた時、頭を包んでいる冷たく柔らかい感触を真っ先に感じた。仄かに香る甘い匂いも嗅ぎなれないものだ。うすら目を開けると紺色の生地が見える。その先にはわずかな膨らみと安らかな表情の彼女の顔。一度目を閉じて吹き抜ける風と頭を撫でる彼女の手のひらをしばらくそのままにしておく。

「お客様、気づかれましたか」

「ああ、ごめん」

 上体を起こし、頭に乗っていた氷嚢を彼女に返す。一体どれほど長い間寝ていたのか分からないが、外は陽が落ちて木々をオレンジ色に染め上げていた。彼女は不安げな表情を浮かべていた。昼頃と比べて幾分か変わるその表情に安堵を覚える。

「ご気分はいかがですか?」

「だいぶ良くなったよ。それにしても君の仕事を邪魔してしまった。申し訳ない」

「こちらこそ、案内人である私が行き先をお教えできず申し訳ありません」

 一人の時間を一人で楽しむこともいいが、誰かと過ごすのもいいのかもしれない。彼女に微笑みかける。

「あ」

 彼女が声をあげたのと体が軽くなる感覚は同時だった。彼女が泣きそうな表情で彼の手を握る。

「ま、待ってください」

「なるほど、彼らが風船を握っていたのはそういうことか」

 手が細くなる。反対に胴体は膨れ上がり空に舞いあがろうとする。

「どうして、笑うんですか! 何がそんなに嬉しいんですか!」

「次は君が笑ったところを見たいな」

 彼女はどれほどの数の笑顔と風船を見たのだろうか。

「どうしてそんなこと言えるんですか……」

 潤んだ目を見ながら彼は最後の言葉をかける。

「また会えるよ。そんな気がする」

 彼はいつまでもわかっていた。体は空高く舞い上がり、駅の屋根の裏側で数回はね、茜色の空に舞い上がった。駅のホームで彼女はいつまでも彼の名前を呼んでいた。


 再び目が覚めた時、眩いばかりの白い壁が見えた。次に感じ取ったのは消毒液や清潔な布の匂い。やや痛む頭に手を押さえながら、起き上がると女性がカーテンの隙間から覗き込む。保健室の先生だった。

「起きた? 頭打っちゃってるからしばらく休んでいきなさい。担任の先生から早退の許可ももらってるから授業も無理して出なくていいわよ」

 時刻を見ると午後三時半ごろ。授業は少し前に始まっている。しかし教室に帰ることは気が引けた。早退しようか。しばらくぼんやりと考えていると、涼しい風が頬を撫ぜた。そういえばさっきの夢の中でもこんな心地よい感覚を感じた気がする。ベッドから起き上がり、上履きをはく。ベッドカーテンをめくると、保健室の先生はいつの間にかいなくなっているらしい。午後三時の日差しは茜色でもないが、照りつけるような厳しさもない。窓に近寄ると、病床がもうひとつ使われているのが見えた。仮病を使って一人の時間を過ごすこともいいかもしれない。そんなことを考えていると、風が吹いた。それは思いのほか強く、もうひとつのベッドカーテンをわずかにずらした。

「あ」

 どこかで聞いた声と反応だ。なぜか電車の音と男物の制服の似合う少女が思い出された。ベッドカーテンが開き、彼女は笑う。暗いシーツの囲いの中で涙のあとが輝く。

「貴方の言葉、ちゃんとその通りになりましたね」

 初めて見た彼女の笑顔は小さく覗く八重歯が印象に残るものだった。

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