コドクのヒーロー ~ひとりの戦士は何の夢を見るのか?~
草木も眠る丑三つ時。
市街地から離れた郊外の廃工場に、その人影は佇んでいた。
ダークグリーンの戦闘服と漆黒のヘッドギアを装着したその姿は、夜の暗闇に紛れている。それは周囲に溶け込んで保護色となり、そこにいるのかいないのか判然としなくなったような錯覚さえ受ける。
その者は息を殺し、廃工場を見上げている。その瞳は光を照らさず、生気を感じさせない。まるで人形のようなその人影は、口元のマイクに手を当てて何かをぼそぼそと呟いている。
「こちらG7。ターゲットが潜伏していると思しき廃墟を発見した」
「『了解。その建物内に敵が潜んでいるはずよ。増援が到着するまで待っていて頂戴』」
「いいや。そんな悠長な事をしていてターゲットを逃がしては本末転倒だ。これより単独で突入する」
「『え、ちょっ――』」
〈G7〉と名乗った人影――声音から察して男性だろう――は、マイクを口元から放すと、ヘッドギアを操作して通信を強制切断する。そして口元のマイクを外し、自らの隣に停めておいたオートバイのサイドポーチへねじ込む。そのオートバイはG7がここまでの移動に使用したもので、何のカスタマイズも施されていない極めてシンプルなガンメタリック塗装のバイクだった。
「フン。仲間なんかいなくても、オレ一人で充分だ」
G7は何故か妙に自信ありげな様子で、ヘッドギアの後頭部に手を当てる。
するとヘッドギアの前面部からバイザーが、戦闘服の襟元からマスクがそれぞれ展開し、さながら仮面を被ったかのような様相を呈する。金属質のそれは一切の感情を表出させず、しかしそれを被った男の全身から発せられる闘争心が彼の感情を如実に物語っていた。
「さあ、狩りの始まりだ」
◆ ◇ ◆
コツコツ、とブーツの靴底がコンクリートの床を叩く。冷たく鈍った音は小さく、しかし空っぽの工場内に響き渡った。まるで秘めた殺意を周りに知らしめるかの如く、G7が歩を進めるたびに靴音が鳴り響いた。
「ターゲットは蛇の改造人間……オレを殺すために組織から派遣されたと聞くが、まあ理由はどうでもいい。要は返り討ちにすれば問題なかろう」
物騒なセリフを口にしつつ、G7は周囲を警戒する。彼は銃器の類いを一切装備せず、その代わりブーツの底に金属製カバーが設けられていた。暗視装置付きのバイザー越しに辺りを見回し、熱源探知に対象が引っかかるものが存在するかどうか確認する。
そうして工場内の部屋を回り、G7は索敵を続けた。
微かな月明りすら差し込まない部屋は、暗視装置の助けがなければ一メートル先すら視界を確保できない。錆びついて動かなくなった工作機械の合間を縫い、ほこりっぽくも目立つごみのない室内を探索する。淀んだ空気をマスクのフィルター越しに吸い、G7は小さく息を吐いた。
「ちっ。なかなか見つからないな……」
索敵しながら吐いたG7の呟きは、マスクに遮られ歪な音となって放出される。全身から振り撒かれた苛立ちと殺気は、対流もなく停滞した空気をチリチリと焦がした。
そうして一時間ほど経過した頃。
「(本当にこの工場内に、ターゲットが潜伏しているのか……? 本部の情報が間違っている可能性も否定できんぞ)」
愚痴をこぼしつつ、G7がある部屋の扉を開いた瞬間。
「シャッ!!」
「――ッ!?」
空を切り裂き、それは突然現れた。
扉の陰から飛び出してきたのは蛇の顎。ぬるりと光る牙を剥き出しにして、G7の眼前へと迫ってきた。
咄嗟の事態に、G7も反射的に右の手刀を繰り出す。振り払い気味に放たれた一撃は、迫りくる蛇の胴を打ち据えた。手刀の勢いで弾き飛ばされた蛇の頭部は、大きく宙を舞いあらぬ方向へと曲がる。
「(くそッ! 探知システムには何の反応も無かったぞ?!)」
G7は悪態と共にバックステップ。細長い廊下へ飛び出すと迎撃態勢を取った。
それからやや間をおいて、開け放たれた扉の奥から人影がのそりと顔を出す。
「シュー……シュー……」
G7と似たような戦闘服を着用したそれは、概観は人の姿をしていた。
だが両手の袖からは蛇の頭が露出しており、ぬめらかな鱗に覆われた胴体と腕が一体化しているようだった。左手の先端は赤い打撲痕が残っており、たった今G7の手刀によって打たれた箇所がそこなのだという事は一目瞭然である。
頭部も簡素な仮面で覆われているのみで、顔立ちや表情こそ分からないものの耳周りや首元は皮膚が露出している状態だった。そこも鱗がびっしりと生えている。
戦闘服もG7のそれと比べるとやや露出が多く、手足の袖が短く作られていた。ただし露出部分は全て鱗に覆われていたが。
シルエットこそ人間だが、大きく人からかけ離れた容姿のそれは正しく“怪人”と呼ぶべき存在だった。
そいつは粘ついた殺意をG7へと向けている。それは単に殺すというようなものではなく、自らの顎で獲物を飲み込まんとする捕食者の意識であった。
「(蛇の特徴が色濃く出ているな。外見だけでなく、能力にもそれが反映されていると考えるべきか)」
迎撃態勢を取りつつ、G7は敵の姿を観察する。彼もまた全身から焼けるような殺意を発しつつ、しかし冷静に敵の戦力を分析していた。蛇の特徴、外見から察せられる敵の能力は何か。それを思考する。
「(蛇は変温動物だったな。この廃工場内の冷たい淀んだ空気に晒された事で、熱探知に引っかからないほど体温が低下した……? もはや本来の蛇なら冬眠するレベルの体温だが、人間との合体改造を施す事で弱点のみを克服したのかも知れん)」
それはあくまで推測に過ぎなかったが、少なくともG7の装備する探知システムには一切引っかからなかった事は厳然たる事実である。今後もそうした機器を使っての探知は難しいという事だけは理解しておく必要がある。
「上等だ。どれだけ強いのか知らんが、どんな奴でも一撃で粉砕してやる!」
だが残念ながら、そういった細かい事情を頭で理解していても、実行に移せるか否かは別。
G7は迎撃から迫撃へと戦闘態勢をシフトさせる。そして闘争心と殺気の赴くまま、蛇怪人へと突っ込んでいった。
◆ ◇ ◆
「はッ!!」
気合と共に、右回し蹴りを放つ。蛇怪人の胴を狙ったそれは、初撃から既に殺意をたっぷりと乗せてある。一撃で内臓を破壊し、背骨を砕き折るつもりだ。
だが横から打ち込まれたその攻撃は、蹴り足を敵の腕に絡めとられる事で失敗に終わる。どうやら蛇怪人は腕が丸ごと蛇になっているようで、脚にぐるりと絡みついて蹴りの勢いを殺がれてしまった。
しかも、そのまま締め付けを強めてくる。狙いは右脚の骨をへし折る事か。
「シャアッ!!」
「ちっ、一撃防いだからっていい気になるんじゃあないッ!」
それを黙って見過ごすほど、G7は甘くない。締め付けられた脚を強引に振りぬき、蛇怪人をその体ごと持ち上げた。彼の圧倒的な脚力により蛇怪人は振り回され、そしてその巨体を壁へと勢いよく叩き付けられる。
「オラッ!!」
「ギッ!?」
壁面へと叩きつけられた衝撃は生半可なものではなく、打ち込まれた壁の方がひび割れ砕けてしまった。蛇怪人も勢いそのまま、壁を破壊しその向こうへと跳ばされてしまった。当然、右脚を締め付け続ける余裕も無く。G7の足は解放され、また新たな戦闘態勢を取る事を許してしまう。
「まだ終わりじゃないんだよ! オラオラオラオラぁ!!」
間髪入れず、左右の足による連続蹴り。軸足を交互に入れ替えつつ繰り出されたミドルキックは、一瞬の間に十を超えるほどの足跡を刻む。ブーツに施された金属製ガードは、凄まじいまでのキックによってそれそのものを強力な鈍器と化す。
体勢を崩した状態の蛇怪人は連撃を受け――
「(何だ!? この感触……攻撃が効いていない?)」
しかし、ダメージが通らない。硬さと柔軟さを併せ持つ怪人の鱗によって、衝撃が和らげられてしまっているのだ。
今度はお返しとばかりに、蛇怪人が両手を伸ばす。両腕と融合している蛇が、牙を剥き出してG7へと襲い掛かる。
「シッ!」
「くっ、こいつ!」
今しがたの連続蹴りによって、両者の間隔は大きく開いた。だが、蛇怪人の腕はその間隔をあっという間に埋めるほどのリーチを有していたのだ。G7は自身へ向けて伸ばされた蛇の顎を両手の手刀で叩き払うが、それでもなおウネウネと襲い掛かる蛇はまるで自律する鞭のよう。
いくつかの攻撃を戦闘服のアーマー部分で防ぎつつ、G7はさらに大きくバックステップを行なって蛇の射程圏内から離脱した。
「(伸縮する腕に、衝撃を和らげる鱗か。思ったより厄介だな)」
全身を緊張させつつ戦闘態勢を取るG7へ、蛇怪人はゆっくりと近づいてくる。敵の動作そのものは緩慢としたものだったが、しかし変則的であるため攻撃の軌道予測が難しいのだった。
しかし対処の仕方を迷っている暇はない。今自分にできる事から、敵を倒す方法を考えるだけだ。
「(連撃が効かないなら、防御できない程の強烈な一撃を叩き込んでやる!)」
そのように思考を切り替えたG7は、膝を折り腰を深く沈みこませる。深く深く体を沈み込ませたそれは、まるで競走馬が駆け出す直前のような姿であった。その姿勢のまま、両脚にぐっと力を溜め込む。
G7の周囲から蒸気が立ち昇り、空気がチリチリと焼ける。必殺の一撃を放たんがため、その闘争心と殺意を脚に込める。
「シャッ!!」
彼の態勢を隙と受け取ったか、蛇怪人は両腕を伸ばして攻撃を仕掛けてくる。変則的な動きで狙うのは、戦闘服で守られていないG7の後頚部。
蛇が口を大きく開き、毒液の滴る牙を剥き出した。
その瞬間。
「(――今だッ!!)」
両脚に溜めた力を一気に解放。爆発的な初速で、G7は蛇怪人へと迫った。敵の腕を掻い潜り本体へと駆けるその姿は、疾走する馬の如し。
「そんなに腕を伸ばしてちゃ、防御が間に合う筈もないよなぁ!!」
そう。蛇怪人の両腕は今まさに攻撃に使用されていた。長く伸ばされた腕はかなりの射程距離を持つ攻撃だが、同時にそれは咄嗟の防御に腕を使用できない事を意味する。何故なら、長距離に伸ばした腕を瞬時に引っ込めるだけの素早さを、蛇怪人は持ち合わせていないからだ。
「シッ!?」
「――うぅおおおおおッッ!!!!」
そして怪人の元へたどり着くと同時に、疾走の勢いを加算した前蹴りを放つ。渾身の力で打ち出されたそれは、蛇怪人の腹に刺さり肉を突き破る。
腹を貫通された蛇怪人は、二、三回ほど痙攣した後、動きを止めた。
◆ ◇ ◆
「フン。手こずらせやがって」
斃れた蛇怪人の姿を見下ろし、G7は悪態を吐いた。実際のところ、そこまで苦戦したわけではなかったが、しかし若干面倒な相手には違いなかった。
「さて、本部へ連絡をしないとならないが……」
そう呟いて彼はヘッドギアへ手を当てるが、連絡用のマイクを置いてきてしまった事を思い出す。チッと舌打ちをして、G7は工場の外へ出ようとする。
が。
「っと、その前に奴の正体を確認しておくか。顔はマスクに隠れてて見えなかったからな」
くるりと踵を返し、G7は蛇怪人の死体へと近づく。
そして、その死体からマスクをはぎ取った。
「――なんだ。これは」
マスクの奥に隠れていたのは。
G7と全く同じ顔だった。
「(なんで、こいつの顔がオレと同じなんだ)」
心臓が早鐘を打つ。
自分と全く同じ顔をした者が、目の前で死んでいる。その事実を受け止めきれない。
「(こいつの正体は何なんだ)」
ぺたり、と自分の顔に触れる。
脚に力が入らない。
「(とにかく、本部へ連絡しないと)」
よろよろと覚束無い足取りのまま、G7は廃工場から出ようとする。
だが。
「(本部の……誰に連絡を取るんだったか)」
不安と恐怖に駆られた彼が、ふと思った疑問。
それは真綿にしみ込んだ水のように、彼の心を侵食する。
「(誰? 名前が思い出せない。いいや、そもそも顔も何も覚えていないぞ)」
「(じゃあ俺はここに入る前、一体誰と連絡を取っていたんだ? 誰の指示で、何のためにここに来たんだ? 思い出せ、思い出すんだ)」
次々と湧き出る疑問。
しかし、それに答えられる者はいない。他ならぬ彼自身にも、それらの疑問は一切答えられない。
「(俺を殺しに来た敵を排除するため? 一体どこから送り込まれてきたんだ? 組織? 組織って何だ?)」
「(俺は一体何と、何のために戦っているんだ?)」
そうして彼は、考えてはいけない疑問へと辿り着いてしまう。
「(――そもそも、俺は一体どこの誰なんだ?)」
(ぐさり)
「がッ……!?」
疑問の渦に呑まれたG7は、その背後から襲い来る敵に気付かなかった。
胸部を尖った角のようなもので刺し貫かれた彼は、血を吐いて床に倒れ伏す。
「(な、に……が……)」
徐々に暗くなる視界のなか、G7は敵の姿をその目に収めようとする。
「(……そん、な……馬鹿な……)」
G7や蛇怪人と似たような戦闘服と、頭部に生える羊のような巨大な角。顔面はマスクさえ装着されず、剥き出しにされている。
彼の血によって赤く染まる角を生やした、その人物の顔は。
G7の顔にそっくりだった。
◆ ◇ ◆
「G6、G7、共に沈黙しました。現在はG8が実験場内にいます」
「あら、そう。じゃあ次はG9を現場に送り込んで頂戴」
「承知しました。……しかし、何だか勿体ないですね。十二体も改造人間を作って、お互いに殺し合わせるなんて」
「だって、そういう実験なんだもの。これで生き残った個体を、GX……組織の裏切り者への刺客として送り込むのだから。いわば選別よ」
「それは、そうですが」
「ねえあなた、“蠱毒”って知ってるかしら。中国に伝わる呪術の一種なのだけど、蛇やらムカデやら色々な虫を同じ容器に入れて共食いをさせるのよ。そうして生き残った個体から毒を採取して、儀式や暗殺に用いるっていうのだけど」
「はぁ……つまり今回の実験も、その、蟲毒みたいなものだと。しかし、せっかく十二体もいるのだから、全員を刺客として使えばいいのでは?」
「ダメよ。あいつら改造人間なんて、戦闘能力を引き上げた代償に闘争本能ばっかり膨れ上がっちゃって。協調性もなにもあったもんじゃないんだから。十二体全員を使ったところで、どうせお互いに喧嘩したりして台無しになっちゃうわよ」
「そういうものですか」
「そういうものよ。さ、次の実験を開始しましょう。私がオペレーターの役をするわ」
「はい。ああ、ちょうどG9が実験場に到着したみたいですね。連絡が来てますよ」
「『こちらG9。ターゲットが潜伏していると思しき廃墟を発見した』」
「了解。その建物内に敵が潜んでいるはずよ。増援が到着するまで待っていて頂戴――」
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
よろしければ感想、評価のほど宜しくお願い致します。
もし好評であれば、続編を作る……かも知れません。