入社式
早いものであっという間に入社式の日が来た。内定通知をもらってからこの日まで2週間くらいしかなかったので、あまりゆっくりできなかった。この2週間はスーツやワイシャツなどを買ったり、入社に向けてのいろいろな書類をそろえて提出したり専門学校のほうの卒業式と飲み会があったりと慌ただしく過ごしていた。しかし希望した進路ではないとはいえスムーズに就職先が決まったことで残りの学生生活を楽しんだ。確か最後の1本は、オールマホガニーのギブソンSGタイプを作った。時間が足りなくて、塗装が中途半端に終わった記憶がある。
そして肝心の車のほうだが、結局まだ買えずにいた。とりあえず父親が中古車情報誌を買ってきてくれて、コスモオートで取り扱っている中古車から探した。私は小さいころからスポーツカーが大好きで、特に日産の車が好きだった。トヨタやホンダ、マツダの車も好きだけど、かつての日産はスポーツカーをたくさん出していたので、ほとんど日産車でしか考えていなかった。その本によると西店及び東店にはスポーツカーは掲載されていなかった(店頭にはあったのかもしれない)ので、本社のページに出ていた日産の180SX(RPS13)かマツダ RX-7(FD3S)のどちらかで迷っていた。記憶が正しければ、180SXは後期仕様、色は黒でフルエアロ、リアウイングレス、走行7万キロで108万。対するRX-7はいわゆる4型、赤色(一部クリアはげあり)フルノーマルでやはりウイングレス、走行5万キロで138万だった。どっちにするか、親と相談して休みの日に見に行く予定だ。
真新しいスーツに身を包み、いざ、コスモオート本社へ。
「「いってらっしゃい!」」
「いってきます!」
両親に見送られ、最寄りのバス停へ。まだ車がないから、ターミナル駅までバスで向かい、そこからコスモオート本社最寄りのバス停までバスを乗り継ぐ。時間にして約40分、料金は500円くらい。バス停を降りて徒歩3分で本社に到着だ。
「おはようございます。本日よりお世話になります、くまさぶろうです。」
「おはようございます」
本社敷地に入るや、すでに何人かが慌ただしく作業をしていた。挨拶もそこそこに事務所に入ると、受付の女性に2階に案内された。その部屋は以前、入社試験の時に筆記試験を受けた部屋だった。
「おはようございます」
「「おはようございます」」
中に入るとすでに2人の女性が座って待っていた。窓際にホワイトボードが置いてあって文字が見えないとまずいから、私は前から3列目に座った。ちょうど女性の隣だった。
「おはようございます」
「おはようございます、嶋田です」
嶋田さんは、黒髪のポニーテールで小柄な女性だった。
「あ、くまさぶろうです。よろしく。嶋田さんは営業ですか?」
「いやいや、営業はできないんで、事務です。くまさぶろうさんは?」
「営業です。あんまり得意じゃないけど…。」
聞けば嶋田さんは地元の私立短期大学を卒業したらしい。初対面なのに気さくに話してきて、こちらも話しやすかった。否定するときに両手でブンブン振っていて、行動一つ一つがかわいらしい。向かいに座っている女性にも挨拶を…。
「おはようございます、くまさぶろうです」
「おはようございまーす。斎藤ですー」
斎藤さんはやや茶髪のストレートロングヘアで、細身の女性だ。ギャルに片足突っ込みかけた感じがする。斎藤さんも地元の大学を卒業、営業として入社したらしい。
2人と他愛のない会話をしていると、1人の男性が入ってきた。飄々とした感じで中肉中背、やや髪が長くて肌が焼けている感じだ。その男性は私の隣に座ってきた。
「おはようございます……。」
「あ…お、おはようございます。くまさぶろうです」
「あ、どうも……。岡崎です」
岡崎くんとも少し言葉を交わした。あまり元気がない印象ではあるが、話せばきちんと返ってくるし笑顔も見られた。静かに闘志を燃やす、そんな感じの人なのだろうか……?
「岡崎さんは、大卒?」
「あ、はい……。交大です……。」
交大。正式名称は交北学院大学で、小学校から大学・短期大学まである学校だ。嶋田さんがそこの短大卒で、私はそこの高校卒だった。交北学院は地元の学生であれば知る人はいない学校で、地味にスポーツで名を馳せている。何度か全国高校サッカー選手権大会に出ており、優勝こそしたことがないもののベスト8まで進んだことがあり、全国的にも知名度のある学校だった。同じ学校卒ということ3人で話が盛り上がり、斎藤さんがちょっと蚊帳の外に置かれてしまったのがかわいそうだった。
集合時間8時30分の10分くらい前になると、男性3人組がぞろぞろと入ってきた。聞けばみんなは整備部門で採用されたらしく、地元の自動車整備学校を卒業したらしかった。丸顔でガタイのいい寺田くん、ひょろっとしててやや口が悪い池崎くん、あんまり特徴のない日下田くんの3人だ。整備士3人衆(と勝手に呼ばせてもらおう)はみんな明るくて陽気な人たちで、みんなとすぐに仲良くなっていた。特に寺田・池崎ペアはノリがいいというかおふざけキャラが際立っていて、最初から最後までずっとしょうもないことを言ってげらげら笑っていた。そんな2人のおふざけにツッコんでいるのが日下田くん、そんな立ち位置だ。これで新入社員は全員そろった。今年のコスモオートの新入社員は、営業3名、整備3名、事務1名の計7名だ。
8時30分を過ぎ、外ではラジオ体操が始まった。事務の女性に促され、私たちも外に出てラジオ体操に参加した。ラジオ体操なんて何年振りだろう。記憶が正しければ、小学校の夏休みに朝早く、――朝の6時くらいに近所の空き地に集まってみんなでやって以来だな。体操が終わったら首にかけているスタンプカードにハンコを押してもらって、お菓子をもらったっけ。懐かしい……。そんな久しぶりのラジオ体操だというのに、どういう内容の体操なのか体が1から10まで寸分の違いもなく動かすことができた。小さいころの記憶というものは、案外忘れているようで覚えているものなのだ。
ラジオ体操が終わってまた従業員はバタバタと動き始めた。今度は事務所出入り口前にマイクロバスが1台と大型のミニバン3台が横付けされた。その様子を見ていると、車に乗り込んでくれと言われた。これから入社式を行う会場に向かうという。どこに連れて行かれるんだろうという一抹の不安を抱きつつ、車に乗り込んだ。新入社員はミニバンに、他の人たちは他の車に乗り込んだ。全部で30人くらいだろうか。マイクロバスを先頭に、だんごになって私たちは本社を後にした。
車で20分ほど走らせて、会場に着いた。私鉄のターミナル駅からほど近い、損害保険会社のビルの中に会場が設置されていた。会場はちょっとした立食式のパーティーができるほどの広さがあり、正面には『コスモオート 新入社員 入社式』の看板が吊り下げられていた。その看板の下は床から1段高くなっており、演説台とマイクが設けられていた。その左手には司会者用の演説台がある。新入社員の席は看板と向かう形で座り、他の社員は新入社員の席を挟む形で座るようだ。新入社員の座る順番は決まっていないそうなので、適当なところに座った。
「では、始めます。全員、起立!」
司会進行は……面接の時に少し遅れてきた人だ。そして正面の演説台の前に立っている人は、見たことがない。年は40代くらいだろうか、背が高くてぴっちり真ん中で髪を分けている。
「これより、コスモオート新入社員入社式を行います。礼!」
全員が正面の男性に向かって礼をした。その男性も我々に向かって礼をする。
「ではまず、社長の麻倉より一言、お願いします」
「はい。えー、まずはようこそ、わが社へ!数ある会社の中からうちを選んでくれてありがとう。この会社は――。」
壇上の男性がしゃべり始めた。ちょっと待て。この人が社長なのか!え、じゃあ面接の時の初老の人は?というか、社長若いな!
「――なりました。おかげ様でたくさんのお客さまに支えられて我が社はここまで成長させることができたのです。新入社員の皆様には1日でも早く仕事に慣れてもらって、共にもっともっとわが社を成長させていただきたい」
すごくまじめなことを言っているが、時折笑顔を交えながらしゃべっている。その一言一言に熱い想いを感じ、これだけ若くして社長をやっているのも納得だった。社長のあいさつの後は本社の店長だという方、同じく本社の整備部門のチーフ、事務・財務担当の女性、そして司会の方からも一言があった。どの人にも共通して言っていたことは、『入社おめでとう。1日でも早く仕事内容を覚え、自分の能力を発揮していってください。期待しています。』だった。
次は新入社員を代表しての答辞の読み上げ。つまり私の出番だ。名前を呼ばれ、社長が立つ壇上の前に歩いて行った。スーツの内ポケットから原稿を取り出してそれを読み上げる。今まで人前に立って何かを発表するということは経験してなかったから、原稿を読むだけとはいえめちゃくちゃ緊張する。答辞を読み終えると、みんなから拍手が沸き起こった。社長も笑顔を見せながら頑張ってね、と握手を求めてきたので、それに応えた。
入社式の最後は、社員の紹介だった。
株式会社コスモオート主要メンバー
会長:麻倉 正雄(本日欠席)
社長:麻倉 真司
財務:桐島 かなえ
部長:里崎(司会していた)
本社店長:大島 誠
東店店長:権田 亮平
西店店長:水沢 亨
本社整備責任者:安達マネージャー
入社式が終わった。時刻は12時を回っていた。このまままた本社に戻るのかと思ったら、なんとお弁当を用意してくれていたらしい。みんなとの親睦も兼ねてここでお弁当を食べましょうと里崎さんが言った。みんなの前にお弁当とペットボトルのお茶が配られた。お弁当は仕出し屋さんが作るタイプのもので、ご飯の上に黒ゴマと赤い梅干し、ヒレかつとから揚げとキャベツの千切り、野菜の煮物にちょっとしたお漬物といたってオーソドックスなものだ。当然ながらお弁当は冷えている。まずくはなかったがやっぱり温かいお弁当のほうがいい。そしてなによりこの空気がお弁当をまずくしているのかもしれない。親睦と言いながら誰一人言葉を発することなく、重苦しい雰囲気を漂わせていたのだから。
本社に帰ってきて、これからの新入社員研修の流れの説明を受けた。明日は休み。明後日は社会人としてのマナーを学ぶ研修が別会場であるので、そこに参加する。3日目は本社で1日書類の書き方やら接客やらの研修。その後4日目は東店、5日目は西店に向かい、それぞれの店長から研修を受ける。そして最終日にまた本社に戻ってきて辞令が言い渡される予定、とのこと。入社式も無事に終わったから、今日はもう帰ってもいいようだ。帰りの足は……嶋田さんが近くの駅まで送ってくれるそうだ。ありがとう、嶋田さん。