信仰心
一週間が経った。
ナナがキリスト教学校に入って聖書の存在を知ったのは小学一年生のとき…かれこれ七、八年前だ。月曜日から金曜日まで学校で賛美歌を歌って、聖書を読んで祈る。
友達に誘われて日曜日に教会に行ったこともあるけれど、それも一、二回だけで続きはしなかった。
小さい時から聖書に触れる機会ならいくらでもあったけれど、いまだにナナはイエスとか神とか、そういうものを信じてはいない。
*
自分の家でひとり、寝たきりになっていた曾祖母。
物が散乱して酷く汚く、生ゴミの臭いが鼻をついた。いつのだかわからないマヨネーズの容器が転がっていて、シンクには汚れた皿が洗われずに載っていた。
部屋の隅に埃をかぶった聖書が落ちていて、そしてそんななかにナナの曾祖母は寝ていた。ナナが行っても、曾孫であることはおろか、子供だということも、女子だということもわからなかった。
憶えていなかったんだろうし、見えちゃいなかったんだろうし、話もほとんど聞こえていなかっただろう。
しばらくして曾祖母は入院した。
もう誰かが来た、ということすらわからなくなっていた。乱れた服はそのままで、食べかすがそこらじゅうについて、焦点が定まらない目で天井を見ていた。
小4のナナにとってそんな曾祖母は気持ち悪いだけだった。
そして人が脆く、儚い物だと思い知った。汚らわしく、切なく、苦しく、悲しく、虚しく、痛ましく、気持ち悪く。そんな感情を一度に味わった。
曾祖母と会うことは…否、見ることは、ナナにとって苦痛でしかなかったし、今も思いしたいことではない。自分の未来をそこに見るからか、哀れんで悲しむべきところをそうは思えない自分が嫌なのか、曾祖母を汚らしく思うからなのか、苦痛の理由は、よくわからないようだが。
その後曾祖母は死んだ。ナナは泣きもしなかった。まともな思考力があれば、神を信じ続けていたであろう曾祖母の成れ果てだった。
*
ナナの手元には友達に貰った本が置いてある。……キリスト教の教えの本だ。ナナは釈然としない面持ちでそれをみていた。結論は、自分に恥じないようにする…は、完全なる答えではないのではないのか。わだかまりの原因はそれだった。
ナナは迷っていた。結論を出すのを急ぎすぎたのかもしれない。やっつけ仕事で適当に済ませようとしていたかもしれない。
だからナナはもう一度考え直してみることにした。