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悪遮羅剣劇帖  作者: 狛脊令
第一章
8/12

種を明かせば他愛なさに涙こぼるる

 自分はおめでた過ぎたという自覚があるにはあった。

 完全に浮ついていた。すっかり舞い上がっていた。

 伊良忠太と旧図書館で会う約束を取り付けた日など、断崖から飛び降りては這い上り、飛び降りては這い上るを千回ぐらい繰り返したい高揚感に駆られた。

 実際、生まれつきタフな上に悪遮羅身を体得し、ロッククライマー顔負けの技術を持つ富嶽なら可能であっただろう。


 視界を桜で覆われた後の記憶は実に曖昧である。

 はっきりしているのは自分は敗北し、すべてを失ったという事実。

 闘志をそぎ落とされ、赤毛布の攻撃の前にたやすく陥落した。


 「ここまで骨抜きにされるなんてね……あたしに言われたくないだろうけど失望したわ」

  赤いフードをめくって現れた素顔は初だった。

 残る二体も素顔を晒す。忠太と彼に似ているが生意気そうな男の子。

 なんたる単純な手口。実体を見切れなかったのも当然の話で、三体に分裂したのではなく本当に三人いただけとは。


 きっと苦無に塗られた毒の効果もあり、自慢の視力も曇らされ……加えて少年の掌に漂うひとつかみほどの桜。

 「幻術まやかしにございます」

 まさか彼が悪遮羅流でも異端の妖術使いだったとは!

 「さようなら――若先生」

 忠太が別れを告げると意識が途絶えた。


 気が付くと布団に寝かされていた。

 文机と本棚、床の間には〝剛毅朴訥仁に近し〟と乙女の人柄にふさわしい掛け軸。富嶽が東熊山の山荘の寝室に持ち込んだものだ。

 振り子時計が午後四時を告げる。半日以上眠っていたようだ。

 突かれた脇腹には、しっかり手当が施されている。

 誰が自分をここへ運び、誰が処置してくれたかは考えずともわかる。


 「忠太……くん……」

 襖を開け、ふらふらした足取りで縁側から外へ彷徨い出る。

 東熊山の女神が水浴を楽しんだとされる滝壺から水を引いた庭の池は、人々が奉納していった石仏や狛犬に周辺を囲まれている。

 池を覗き込むと、覇気のない顔をした女が映った。

 敗北と失恋。二つの凶事が富嶽の自信を奪い取り、哄笑して去っていった。


 なぜ悪遮羅身で忠太の攻撃を防げなかったのか?

 彼の裏切りもさることながら、絶対の防御壁が発動しなかった不可解も富嶽を苛む。歴代の悪遮羅姫の中でも、銃弾すら通さないほどの堅牢さを獲得できた者は、優曇華に例えられた。

 その稀なる花を咲かせた自負があっただけに、精神的なダメージは他人には計り知れないものがある。

 所詮、自分は末の末家の娘だからか。霊樹の桜を仰ぎ見るが、叱責にも等しい静けさだけがあった。


 山は甘えを許容しない。おのれで答えを見出さぬ者には、巨大な盛り土でしかないのだ。

 どことなく忠太の面影に似た石地蔵を見つけた。何の慰めにもならないのを承知で、半分土に埋まったそれを二指で引き抜き撫でまわしてみる。


 「ああ……」

 水面みなもを揺らしたのは、ため息ばかりではなかった。

 風が落ちてきた。背を向けたままかわすと棍が泉を叩いて飛沫が舞う。

 「赤毛布⁉」

 山奥にまで深紅の妖人が現れた。武器を鎌から棍に代えて。

 「何しにここへ来た?」

 「池に映った自分とお話してる場合かっ!」

 怪人は初めて死の目へいざなう選択肢以外の言葉を発した。昔聞いたものより、ずっと若く、ずっと明るく、凛とした声だった。


 棍で打突を繰り出してきた。触れてもいない箇所に痛みを覚える。

 「何かありそで何もない~何もなさそで何かある~それがおいらの何有槍かいうそう~」

 相手が問答無用で攻撃を仕掛けてくる。ともかく戦わなければ。

 素手の勝負も心得ている。何度か拳と棍を打ち合わせると富嶽はたちまち相手の棒さばきを見切り、棍の先端のさらに先にある物を掴み取った。

 掌中で実体化したのは三つ又の穂先。当たらぬ箇所に痛みを感じたのも道理、棍には不可視の武器が取り付けられていたのだ。

 「なるほど何有槍かいうそうだ」


 猛禽の視力が健在だったことに幾ばくかの安堵を得て、握り潰す。

 敵はたまらず池へ逃げた。まるで氷が張っているかのごとく水面を歩く。

 (花筏を体得しているのか⁉)

 またの名を水渡りの術。小枝すら乗せられない花びらや落ち葉のみを足掛かりに水上を歩行する術・花筏。

 武芸なら何でも自然に習得していく富嶽であったが、この俊敏さに加えて軽量さが求められる忍術系の技は苦手としていた。


 棍を天秤棒にして、赤毛布は人を食った口調で体をゆらゆら前後させる。

 「僕の小指は秘密だよ~♪ あんたは憎い恋敵~♪」

 ぐるんと回すと、折れた穂先が円錐形に再生。富嶽へ狙いを定め、石突を叩くと、火花を噴いて発射された。

 「効かぬ!」

 手にはすでに稽古用の木剣、力任せに水面を薙いだ。真空波が穂先ミサイルを粉砕し、池を覆さんばかりの振動で相手の足元を崩す。

 上空へ逃れた赤毛布は驚異的な身軽さで着地したが、待ち構えていた富嶽が木剣を突きつけると両手をあげた。


 「わっ! 待って! ギブギブ!」

 「あなた五一くんでしょう?」

 「ごめんなさいっ」

 深々と下げた頭を戻し、深紅の毛布を取り去ると現れたのは、闊達そうな紅顔。初衣、忠太と一緒に赤マントの仮装をしていた一人だ。名前は武庫五一むこごいちで合っているはずだ。


 「何の用です? 私の追討を命じられたとか」

 「富嶽さん、僕らの弁解……というより忠太の気持ちを聞いてくれる?」

 「ただの謝罪なら無用です」

 「違う。忠太は富嶽さんのことが本当に好きだったんだよ」

 「何ですとォ⁉」

 「からかったら真っ赤になってたよ。あんな素敵な方二人といませんって」

 この時、富嶽は体が地面から数ミリ浮いたように感じた。

 天にも昇る気持ちとはこのことか。


 縁側に二人は腰かけた。

 富嶽は忠太似の石地蔵を膝に乗せ、苔むした石仏の群れに見守られる優しい空間で、巨躯の乙女と三回りは小さい少年はゆっくり話し合えた。

 「あなたたちが私を山荘ここまで運んでくれたんですね」

 「忠太が必死に頭下げてね。あそこに倒れたままにしといたら危なかったし」

 「彼に命まで救われていたとは……」

 悄然たる思いにかられた。彼に自分を守ることだけはしてはならないと、きつめの口調で言い聞かせておきながら、悪手を選ぶ結果になってしまった。


 「ところで彼は? どこにいるんです?」

 「お嬢の側へ戻ったよ」

 「引き止めなかったんですか」

 「引き止めるつもりだったよ。むしろ三人で出奔するいい機会なんじゃないかと思って。でも、毒消しの薬草を採ってきてくれって言うんで、やっとこさ見つけて戻ってきたら、待ってたのは若先生を頼みますって書置きだけ」

 そう言って五一は富嶽が大桜から投げた苦無を出した。

 柄尻の輪に手紙が結んであるので、広げて読む。


 ――お許し下さい。私にはこうするしか方法がありませんでした。悪遮羅流筆頭の剣士たる御方が、一時の気の迷いで私ごときと生涯を共にしようなど無分別なことです。私はあなた様から受けた親切だけで十分報われました。美味しい草餅、旧図書館のステンドグラス、あの二日間を一生の思い出にして、初お嬢様にお仕えしてゆくつもりです――


 「なんですかこの別れの文は……!」

 一方的な文面に両手が震える。引き裂いてやりたいのを必死に堪えた。

 「確認しとくけど、富嶽さんも忠太のことは好きなんだよな?」

 「そりゃもう、膝に乗せて、こんなことやあんなことしたいってぐらい……」

 石地蔵に愛しげに頬ずりする。ごつごつした石塊とこすり合わせても傷ひとつ付かないダイヤモンドスキンに五一は内心怯えた。


 「そりゃ僕らは中等部だし学部は違うけどさ、忠太と同じ学校へ通えたら、あいつの詰襟姿が毎日見れるんだよ? お嬢の部屋を掃除するときなんか白い作務衣着るし、祭事には一柳家の家紋が刺繍された純白の小袖と袴来てお神楽舞ったこともあるんだよ?」

 「見たい……見たい……見たいです」

 ガリガリ音をたてて地蔵の頭を齧る。

 「じゃあ、忠太を連れて逃げなよ。僕も手伝うからさ」

 「そうしたいのは山々ですが……私は本家の条件を果たせず、我儘を通す資格を失いました」


 「富嶽さんって案外ダメなんだねえ。誰にも負けない自信あるんだろ?」

 「腕っぷしの話でしたら、相手が堀部安兵衛だろうと花川戸助六だろうと」

 「じゃあ自分の最強を示して、みんなを黙らせろよ」

 「しかし、肝心の悪遮羅身が不完全なままでは昨夜の二の舞です」

 「何言ってんの? どこが不完全なんだよ」


 五一が正気を疑う仕草をしてみせたので、富嶽も珍しく威張ってみせた。

 「悪遮羅流皆伝の身として言わせていただきますがね。悪遮羅のアに悪を用いるのは、この世のあらゆる悪意を遮断するという意があるのですよ。それを、刃先にしびれ薬ぐらい塗ってあったのでしょうが忠太くんの細腕による攻撃で倒れてしまったのは、私が雑念にまみれていた故に悪遮羅身が未熟な形でしか発動しなかったのです」

 「それが完全な証拠だろ! 悪意の攻撃を遮断するから富嶽さんのことを好きな相手の攻撃は取るに足らないものでも通しちゃったんだよ!」

 「え……」


 目から鱗が四、五枚ぐらい続けて落ちた。

 なぜそこに今まで気づかなかったのか。

 忠太の好意が本物なら悪遮羅身が発動しなかったのも納得だ。

 悪意が伴わないどころか自分を好いてくれる異性の攻撃ならば遮断できるはずもなく、あっけなく倒されたのも相手の好意がそれだけ強いことの証左である。


 「桜が散るのを見ただろ?」

 「はい、あれで戦意が失せてしまったのですが……」

 「忠太の特技で二楽想にらくそうっていう幻を見せる術、体術は僕のほうがリードしてるけど、念を使った術はあいつのほうが上手いんだ。毒がまわった状態で、あの術にはまっても目を回すだけで済むんだから、富嶽さんは只者じゃないよ」

 「じゃあ、じゃあ、私の悪遮羅身は完璧そのものだってことじゃないですか!」

 「完璧! 鉄壁!」

 五一がやっとわかったかと口をへの字にして頷く。


 「しかも忠太くんは私を一撃で倒すほど好き好き好きの好きなんですね?」

 「そうだよ! こっちが妬けるぐらい忠太は富嶽さんのことが好きで好きで……好きのラッシュをくらわせたくてたまらなかったんだよ!」

 「そこまで好いていてくれたのなら、なぜ私に騙し討ちなど……?」

 「義務教育を受けさせてくれた大里逗家のお嬢様のためだと命令されたら断れないってことぐらいわかるよね? 忠太もお嬢と富嶽さんとの板挟みで苦しんでたんだよ」

 「ああ! そこを考慮できぬとは私は馬鹿だった! 戴盆きわまれり!」


 「お土産の南国フルーツも、本家から持たされたのには毒が含んであったのを見抜いて、自分で買ってきたんだよ」

 「そのままくれれば良いもいのを! 私なんかどんな毒食べたって下痢する程度ですむんですから!」

 自分の頭を何度も地蔵にぶつける。憐れ地蔵仏はただの石榑と化した。

 「初お嬢はああ見えて、僕らには優しいところもあるからね。寸足らずのせいで性根がちょっとイジけちゃってるけど」

 「わかります」


 本家の一人娘に生まれながら、周囲の期待に沿えるだけの技量と体躯に恵まれなかったことへの負い目は如何ばかりであったことか。

 故に自分も、なまじ相手の顔を立てることなど考えず全力で挑むべきだった。

 互いをチビスケだのウドの大木だの言い合って、野山や川で遊び、道場で稽古した幼き日々が脳裏に浮かび流れる。

 愛しい男子と同時に、あの頃も取り戻したい。


 「まだ挽回する時間はありますね」

 落ち込むと蛞蝓みたいになってしまう分、立ち直ったときの決断も迅速である。しっかり霊山やまの土を踏みしめ、富嶽は決然と立ち上がった。

 足裏から力が漲ってくるのを感じる。山の霊脈が勇気を分けてくれているのだ。

 「やる気出してくれたんだ?」

 「やらずにおれますか!」

 木漏れ日のもとで少年の美貌を直視したときの胸の高鳴り、至悦と至福。あれらすべてを気の迷いなどで片づけられてたまるか。


 「あの二日間を一生の思い出に生きる? 笑わせちゃいけません。もっともっと素晴らしい美しい思い出を、私と一緒に作る義務があるのですよあなたには!」

 別れの手紙を強く握りしめる。和紙が繊維の粉末となって土に沁みた。

 「そうこなくっちゃ。今夜はお祭り騒ぎやる予定だよ」

 「戦勝祝いですか」

 毛穴から蒸気となって噴出しそうなほど血が騒ぐ。ぶち壊し甲斐のある舞台を、わざわざ用意してくれるとは。


 「善は急げだ。殴り込みをかけよう!」

 「五一くん」

 「なに?」

 「あなたも忠太くんのことが好きなんですね。たぶん私と同じ意味で」

 「え?」

 図星をついたか、おちょくり専門のこの少年が初めて照れる様子を見せた。

 「普通に女の子も好きなんだけどね……なんか忠太って、お姉さんみたいな弟みたいで、ほっとけないんだよ」

 「ええ、ほっとけませんね」


 富嶽は彼のことも好きになれた。五月晴れの空のようにい子だ。

 かわいい弟分もできて、運気ツキは完全に上向いてきた。ここで乗り遅れてはならない。何が何でも少年をおのれの付属物パートナーにするのだ。

 「富士に桜はつきものですからね」




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