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悪遮羅剣劇帖  作者: 狛脊令
第一章
7/12

廃屋の怪異など知ってたまるか・其の二

旧奈良監獄、お疲れ様でした。

 富嶽は慣れた手つきで引き戸を開き、電灯のスイッチを入れた。

 初衣が武士の情で、今夜だけは旧館に電気が通るように手配してくれたらしい。

 「貴重な蔵書をホコリをかぶったままにして勿体ないですなあ」

二階の郷土資料室は書棚も本ごとそっくり残っていた。今夜、旧館を訪れたもう一つの理由がここにある。


 「この部屋は深夜に朗読の声がする怪異があるだけですが」

 「悪遮羅大明神の伝説について書かれた資料を探すのを手伝ってほしいんです」

 「悪遮羅伝説の何をお調べになりたいのですか?」

 「言い伝えでは、一柳家の姫が観音さまから賜った中道剣で鬼女を倒したことになっていますが、姫のその後について詳しく触れている文献が見当たらないんですよ。一の姫とか呼ばれるだけで名前すら不明ですし」

 「いわれてみれば……もっと当人に関する記録があってもよさそうですね」

 忠太も興味をそそられたのか、ずらっと並ぶ木の書棚に目をやった。


 「すでに故人ですが、曽禰茂光という民俗学の先生がおられましてね。私の父とも面識のある方です。その曽禰先生は、悪遮羅信仰の成立に関する考察書を遺していると聞きました。その本になら、あるいは一柳の姫の顛末が書いてあるかも、と考えた次第です」

 「では、闇雲に探すよりも曽禰先生の著書を探したほうが早いのですね」

 「この書架にあるのはすべて曽禰先生のものです」

 「全部ですか?」

 「曽禰先生は湖国の柳田國男と呼ばれた方でして。魍魎変化の逸話は言うに及ばず、猟奇犯罪や汚職、単なる夫婦喧嘩レベルの話まで、琵琶湖周辺の村々に散らばる奇談を細大漏らさず収集した成果が、この『湖国物語拾遺』全八十八巻なのです。ま、夜は始まったばかりだし気長にやってもらえますか」


 往時はペルシャ製の絨毯が敷かれていた資料室も今は床材が剥き出しである。

 板張りへ直に座り、端から順に本を取っては目次に目を走らせる作業が二時間近く経過しただろうか。先に発見したのは忠太のほうだった。

 「これです!」

 彼が開いたページには『悪遮羅伝説後日譚』と小見出しがある。

 「お手柄です。貸してください」

 「しかし……]

 「私が読むことに問題でも?」

 「いいえ……」


 古書独特の黴臭さが鼻をくすぐる。富嶽の好きな匂いだ。

 「一柳の姫は鬼女の呪いで狂乱して果てた?」

 著者兼編者・曽禰茂光が、鳳梨に限定せず湖国周辺を地道に調査した結果、明治維新まで鳳梨村への出入りを禁じられた一族の末裔に取材できたという。

 〝一の姫、鬼女を成敗した後、気性大いに変わりたる。勇猛を通り越し、流血を好みたること著しく。罪人の処罰を自ら買って出て、中道剣を用いて、片端から首をはねて悦びたる様は鬼女が憑りついたかの如き。最後は、家人を斬って回り、自刃して果てたり。さとでは鬼女の祟りと誰もが噂せり〟

 故に中道剣も元は誅道剣と読むのであると説明が添えられていた。


 「……こりゃあ真相を隠すのも詮無いことですな。姫が祟られて大量殺人に走ったなど」

 さすがの富嶽も冷や汗をかく思いだった。

 「このことはお嬢様はご存じなのでしょうか」

 「あの人の口からこんな話を聞いたことは一度もありませんね。叔母様叔父様も知っているかどうか」

 「お嬢様も中道剣を手にすれば同じ運命を辿ると思われますか?」

 「悪遮羅の祟りが現代いまも生き続けていれば辿るでしょうね。その時は、初衣さんを手ずから倒すことも覚悟しなければなりませんな」


 「お嬢様を見捨てないでください。本家の跡取りとしての重圧で神経質になっているだけで、私や五一を拾ってくださった優しい方です。ご親友なら、おわかりでしょう」

 すがりつくまなざしを向けられ、富嶽はたまらずおかっぱ頭を撫でた。

 「本気にしないでくださいな。初さんは私のたった一人の親友なんですから。今夜の蔵書漁りも、有事にそなえて情報を集めておきたかっただけです」

 「情報?」

 「ここ数日、鬼女が夢に出てきましてね」

 富嶽は自分を悩ませていた悪夢について語って聞かせた。凄惨な虐殺に関しては表現を穏やかにする配慮だけは忘れずに。


 「凶夢が現実のものになりはしないかと危惧しているのですよ」

 「悪遮羅流の守護神は宇宙から来たということになってしまいます」

 大胆な仮説に忠太は懐疑的な表情になった。

 「伝説の鬼女と大きさも角の形もよく似ています。我々が仰ぐ守護神は、ありがたくない意図で来訪した他天体の生物だった。星々を破壊と殺戮のために渡り歩き、最後の――結果そうなった標的が地球で、我々の住む一柳のさとを襲うも、神仏の加護を受けた一柳の姫の姫に首をはねられ、東熊山の下敷きにされた、というのが私の見解です。最悪の呪いを置き土産にして」

 「若先生が見る夢は鬼女の復活を告げるものだと……?」

 「根拠が私の夢だけでは人様の納得は得られないでしょうね。まあ、悪遮羅の復活は私の取り越し苦労であることを祈るとして」


 無意識に白い手首を握っていた。

 「若先生?」

 少年の顔に戸惑いが浮かぶ。嫌悪や恐怖でなく、あくまで戸惑い。

 大胆を装いつつ緊張気味だった富嶽は自信を得た。

 「私は……」

 「今夜来てくださったのは拒む気がないからとお見受けしました」

 「からかわないでください」

 「あなたをからかって楽しむ気なんて微塵も」

 「……どうされたいのですか?」

 「私と出奔していただきたい」

 「……勿体ないお話です。しかし」


 忠太は夢でも見ているような表情から覚めて、細い首を左右に揺らした。

 「私たちが大里逗家の後ろ盾なくして生活できるわけがありません」

 悪遮羅流最強でも戦闘能力と生活能力とはまた別の話、いつもの富嶽なら突っ込まれると返事に窮するところだが今夜は違った。

 「下世話な話をするので落ち着いて聞いてください。中道剣と悪遮羅姫の座と引き換えに、私たちが不自由なく暮らせる資金を本家に要求します」

 吐息の熱さを感じ取れるほどに顔を寄せる。鼓動まで聞こえてきそうだ。


 「ここを素晴らしい場所と言ってくれましたね。町民の方々の多くがこの旧館の保存を望んでいます。郷土資料館なり博物館なりに再利用する計画が、かなり具体的なところまで出てきているそうです。いずれ私は学芸員の資格でも取って、ここの番人のように暮らしたい。あなたと二人で」

 いったん息を呑みこんでから続けた。

 「そのためには勉強しなければなりません。勉強するにも金がいる。私はこんな体ですから、食べる物も着る物も人の倍はいる。お金が必要なんです」

 「悪遮羅の座を取引に使おうものなら、ますます本家の怒りを買うだけです」

 「怒るだけ怒らせておけばいい。今や悪遮羅流で私と互角に戦える者など数えるほど。他流試合を申し込まれた際、初さんや他の高弟の技量うででは不安があります。私が師範代になって悪遮羅流の看板を守ることで取引するのは、そう卑怯なことではないと考えます」


 「ご無体にも程があります。そんな話」

 「なぜ無理だと決めつけるんです!」

 相手も唐突な話に困惑し、かつ真剣に向き合わねばと葛藤しているのはわかる。次の一手を探りあぐねる大女が苛立ちを声に乗せた瞬間、信じられぬ衝撃に見舞われた。

 「これで終わりですから」

 「え?」


 脇腹にかっと熱い痛みを感じた。まさに蜂の一刺しである。

 「お許しください!」

 少年が持つ刃物は木の葉型の苦無。

 片岡安珠が木に刺さったのを引っこ抜いて投げ捨てたはずだ。富嶽自身に回収した覚えがないので、他には忠太以外にいるはずもなく――。


 「悪遮羅姫の座はあきらめてください。あなたのような無垢な方が大人の醜い争いに巻き込まれるのを見たくありません」

 直後、図書室が真っ暗になった。

 「忠太くん!」

 照明が落とされると同時に木刀で背後に迫った殺気に狙いを定めた。

 空気を裂いたのみで空振りに終わるが、それも予想の内。

 「ヒューッ!」

 口笛を吹いて暗闇の中、廊下へ転がり出る。


 再び灯りがともった。弱々しくも蛍光灯が校内を照らす。

 十メートルほど向こうに魔人が立っていた。

 (赤いマント……!)

 頭からすっぽり血で染めたような毛布ゲットをかぶり、刃の折れた鎌を持つ禍々しい威容は、十歳の頃に遭遇したあやしの者と酷似していた。

 「再び私の前に現れるとはいい度胸だ」

 持って生まれた豪胆さで富嶽は立ち上がり木剣を構える。


 今度こそ完全成仏させてくれんと鼻息を荒くした瞬間、深紅の怪人が三体に分身した。無言のまま外套の裾をはためかせ、富嶽の周囲を旋回し始める。

 「新しい術を会得したのか⁉」

 驚いた一瞬、鎌の石突で腹を打たれる。

 無論、蚊に刺された程にも感じない。深刻にして不可解なのは忠太に抉られた脇腹だ。傷は浅く、出血も微量。にもかかわらず、傷口から体力が砂のようにこぼれていく。

 赤い影が頭上で交差する。刀で払い落そうにも鎌を防ぐのがやっとの有様。

 ギンッと鉛色の刃が鼻先に迫り、後退すると背中を斬られた。


 (……おかしい)

 分身の中から実体を見極めかねていた。空を舞う燕を追える視力が衰えている。眩暈がする。足もふらつく……毒だ!

 しかし、体の異変以上に富嶽を惑わすものがあった。

 (どうして、どうして〝勝つ気〟になれない?)

 刀身で円弧を描き、三方からの同時攻撃をはじいて悟った。手負いとはいえ、ここまで翻弄されるのは、何らかの精神干渉により集中力を乱されているのだ。

 せめて中道剣があればと思うが、それを渡した忠太はどこへ消えたのか。


 何かが目の端を横切った。ひらりひらりと舞い落ちてくる。

 (そうだ、桜だ)

 どこからともなく桜の花びらが一枚、また一枚と廊下へ流れ込んでくる。薄桃色の吹雪が踊る異次元世界が出現するのに、さほどの時間はかからなかった。

 (ああ、きれいだなあ)


 刀を持った手がだらりと下がり、がら空きになった胴を鎌が叩く。

 だが、もうどうでもいい。

 戦う気なんかなくなるはずだ。桜がこんなにも美しいのだから。

 富嶽の巨躯が倒れ込むと、全世界が桜に埋め尽くされた。




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