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悪遮羅剣劇帖  作者: 狛脊令
第一章
6/12

廃屋の怪異など知ってたまるか・其の一

 町立図書館の旧本館は、ガラス壁の新館と背中合わせに建つ。

 大里逗家から土地と建設費を寄贈されて明治三十七年に竣工、一部鉄筋コンクリートの石造りの二階建て、銅葺きのドームを頂いた正面部から長大な両翼が張り出した重厚かつ華麗なネオ・ルネッサンス風である。

 老朽化のため図書館としての機能は新館に譲ったものの、貴重な蔵書や置き場に困った他の文化施設の資料を多く眠らせている。建築物自体には重文級の価値があるので取り壊しの危機は逃れたが、修復にかかる費用の捻出に町も苦慮しており、すでに十年以上も放置されていた。


 それが今夜は富嶽の快進撃のおかげで、やたらと騒がしかった。

 コリント式列柱が支えるポーチの下の正面玄関は、固く閉ざされているため左翼の勝手口から入館、中央ホールに続く一階の廊下をのし歩く。

 いきなり向こう側から骨格標本がガシャガシャ走ってきたのでラリアットで粉砕、眼光を放って睨みつけてきた壁の肖像画は睨み返すと沈黙した。


 さらにトイレに入ると「赤い紙青い紙……」の問いかけが始まったので、両方と答えると便器から伸びてきた腕を掴んで引きずり出した。豪快なお化けの一本釣りである。生憎とお化けは実体を確かめる前に消えてしまったので容姿がよくわからなかったが。

 金剛身とは、いわゆる霊障を受けにくい体質の究極形でもあるので、ガイコツや絵画など安っぽいお化け屋敷も同然だった。


 「さあ、次ですよ次!」

 腰に大小を差した富嶽が、どこまでも朗らかにリノリウムの廊下をのし歩く。

 伊良忠太が旧館の前で待っていてくれていた。

 約束したのだから当然と言えばそれまでだが、富嶽が試練を放棄しないかの監査役も仰せつかっているとの言い訳がましい口実が、却って嬉しさを倍増させ、否が応でも気分は浮き浮きした。


 「あの、あの若先生]

 歩幅に差があり過ぎて、しっかり手を握られた忠太は引きずられ気味だ。

 「おや失礼、もっとゆっくり歩くべきでした」

 「いいえ。ただ、もう少し慎重にされても良いのでは?」

 「こういう怪異が溜まる場所では大騒ぎするぐらいのつもりで攻めたほうがいいんです。後はどんな怪現象が残っているんですか?」

 「お待ちください。ええと……」

 メモ帳を繰る仕草がマーネージャー役が板に付いてきたようで微笑ましい。


 「赤い毛布です」

 「今夜の主賓ですな。赤いマントの親戚みたいなものですか?」

 「戦前は夜更けに人家を訪ね、親類が危篤とウソをついて連れ出し、大鎌で殺害する妖人でしたが、昭和も三十年代に入ってから出没する場を小学校に変え、そこも廃校になると、ここに変えたようです」

 それに連れられて他の学校の怪異も旧図書館へスライドして来たようだ。

 「ならば、私が九才の頃にやっつけた魔人なり!」

 「面識がおありで?」

 「あれは私が小学校三年生の秋のこと――」

 富嶽は自慢げに過去を振り返って聞かせた。


 学校からの帰り道、怪人を恐れる友達につきそって四辻で別れた富嶽は、板塀や漆喰塗の土塀が迷路のように続く家路を一人急いだ。

 呼ばれた気がして振り返り、誰もいなかったので前を向くと、それがいた。

 粗く編まれた紅のゲットを頭からすっぽり被り、二メートル以上はある大鎌をかついだ男が、夕日を浴びて待ち受けていたのである。


 「即理解しましたよ。ああ、これが赤いマントなのだなと」

 巨大な草刈り鎌からは血脂の匂い、外套の奥からは激しい悪意のみを感じた。

 ――赤いマント、青いマント、どっちを着せて欲しい?――

 存外に柔らかい声音で定石どおりの質問を投げかけてきた。


 「恐怖? そりゃ感じましたよ。でも、現物を前にすると奮い立つ体質でして」

 その頃すでに170センチ以上に発育していた富嶽は、相手が(あやしの者ならば加減も作法も無用と思い、質問を無視してマントの端を掴もうと手を伸ばした。

 即座に大鎌が真空を生む速度で振り下ろされるも、得意の白刃取りで難なく対処。合掌したまま三日月型の刃をへし折り、柄を握って引き寄せた。


 「ちょっと遅かったのと鎌の重さのせいで、先っぽが頭の鉢に食い込んでしまいましたけどね。大した怪我もしませんでしたが。思えば、あの頃すでに金剛身になりかかっていたのかもしれません。

 得物を奪い取った後は、ひたすら赤いマントの男を殴った。

 「大鎌の石突の部分でね。何度も何度も数えながら」

 三十七回めの殴打で怪人はのびてしまったので、では正体を暴こうとマントを剥ぎ取ったが、もぬけの殻だった。

 「残ったのは折れた鎌とマントだけ。まさに怪人です」


 帰宅した富嶽が戦利品を見せて、父や鎮守社の神主さんらに事の経緯を話すと、怪人は成敗されたとはいえ装備品は不吉な物であるからと供養した上で収蔵した。

 現在は、大里逗家伝来の宝具や付近の名家から託された刀槍らとともに、悪遮羅明神社の祇怨閣の最上階に置かれた厨子の中で眠っている。

 「ただ……勇者扱いかと思いきや友達が激減してしまいました」


 小学三年生の時点で成人並みの体格を持つ富嶽は、それだけで周囲の子供、特に女の子からは浮いた存在ではあったが、乱暴な男の子を懲らしめてやったりと用心棒的に頼られもしており、女子の隠れファンクラブまで設立されていた程であった。

 しかし、本物の怪異を返り討ちにしたのは、人から敬遠される結果を招いた。

 あの子は何かが違う、決定的に違う。別の領域に生きる存在だ。

 つまり、やり過ぎてしまったわけだ。


 「少しも変わらず私と友達づきあいをしてくれたのは初さんだけでした。私も女の子同士の連帯感を察するのが苦手で、腕力が必要なときだけ担ぎあげられているのに気づいたのも無視され始めてからですよ。道化もいい所です」

 寂しげに微笑んでみせたが、富嶽の理想はもっと別なところにあるのは忠太にもわかる。同性と足並みを揃えて生きることよりも、おのれの内面を充実させていきたい富嶽にとって、女の子の世界からパージされることは、ある意味解放ですらあったのだ。


 「これだけ説明すれば赤い毛布など怖れるに足らずと言うのもわかるでしょう? ここへ来たついでに調べたいことがあるんです。手伝ってくださいな」

 「はい」

 「そうだ、あなたの護身用に中道剣を預けておきましょう」

 「え? お待ちくださ……いっ?」

 渡された大刀の重さに少年はよろめきかける。

 「私などが持っていても使いこなせるはずがありません」

 「持っているだけでも魔除けの効果は十分ですよ。鬼女を征伐した霊剣ですから」


 やがて屋根の裏側を見上げることのできる中央ホールへ出た。

 蓮の花をイメージした色ガラスが、月明りを浴びて青く透き通る。蓮から放射状に走るラインがドーマー屋根を形成し、壁面との境のフリーズには初代館長が選択した古今東西の八人の賢人の名が刻まれて、夢のような世界を作り上げていた。

 「素晴らしい……」

 少年のうっとりした吐息を聞き、富嶽は連れて来てよかったと思った。

 「忠太くんは旧図書館の中は初めてですか?」

 「はい、私が一柳家に召し抱えられた頃には閉鎖されていました。外観だけでも心を打たれるのに中まで案内していただけるなんて……私ばかり素敵な場所へ入れていただいてばかりで申しわけないです」

 「ここが綺麗なのは私の手柄じゃありませんよ。天井のステンドグラスは月夜でも風情がありますが昼間も美しいものでした」


 「落成時からあるのですか?」

 「大正時代に入る前にはすでにあったそうです」

 「では、あの鎧武者も?」

 「鎧武者?」

 二人が立つ正面には、二階へ続く階段が両翼に分かれ、途中の壁面にある長方形の凹みの奥に左右一対の甲冑が飾られていた。

 「本当だ一体……」

 この壁をくり抜いた空間には、知性を象徴する文神、野生を象徴する武神、二体の逞しい青年像が屹立していたはずだ。


 近づいて観察しようと階段をきしませた時だ。

 虎を模した面当の中に目がある。それがギロッとこっちを睨んだ。

 「京都市岡崎道場の妻木頼朝!」

 「同じく桜井太郎!」

 よく木魂こだまする大声に忠太が身をすくませる。

 山中で片岡安珠と一緒に彼を責めていた男二人だ。安珠と同じく京都の道場の門下生で、体格に恵まれ腕は立つが、とにかく素行の悪さで評判の二人組である。


 「そして私もね」

 紫の道着に身を包んだ安珠が背後に現れた。

 「ここにあった彫刻はどうしたんですか? あれは南村東望という高名な彫刻家の作品ですよ?」

 「物置へ突っ込んでおいたわよ。すっとぼけてないで戦支度をなさい!」

 芸術的価値を持つ古建築へのリスペクトなど欠片もない態度に頭痛がした。

 「相手があなたたちじゃ期待はずれもいいところだが、霊山おやまといい聖域を二度も汚した罰は与えておきましょうかね」


 「兄弟! 俺がやる!」

 「いや、俺にやらせろ!」

 やかましい音をたてて妻木と桜井が凹みから下りてくる。功を競い合うのは、安珠から特別な褒美をもらえる約束があると富嶽は見た。

 「ケンカはやめて二人いっぺんにいらっしゃい」

 「たかが女一人に悪遮羅流の高弟を二人も使う必要などあるか!」

 「私だって、たかが男二人に抜く気になれませんよ」

 中道剣どころか脇差の備前長船を使うことすら惜しいレベルだ。


 「言ったな!」

 「後悔するなよ!」

 富嶽には男気を売りにする輩をからかいたがる悪癖がある。案の定、彼らの矜持をあざ笑ってみせると、体格とは裏腹に長くも太くもない神経が一瞬で千切れた。

 二人は抜刀するや左右上段から斬りかかってきた。

 「でりゃあーっ!」

 「けぇーっ!」

 小心者なら雄叫びだけで失神しそうな裂帛の斬撃がぴたりと止まる。

 二本の太刀が素手で握り止められていた。


 もはや刀は押すことも引くこともできない。悠々たる顔の富嶽の掌からは血の一滴すら流れず、やがて握力に耐えかねた刀身にヒビが入り始めた。

 (これが悪遮羅身!)

 (巌を砕き、鋼を弾く究極の金剛身!)

 初めて体験する悪遮羅の神秘、加えて190近い彼らに勝る長身。

 力女りきにょの有無を言わさぬ体積圧に、我を忘れた二人の兜が掴まれた。互いの脳天を力いっぱいぶつけ合わされ、妻木と桜井は仲良く枕を並べて気絶する。


 「うりゃあ!」

 安珠が背後から、長剣で富嶽の背中を刺す。

 多少は消耗させるぐらいはできると思って連れてきた援軍が他愛なく倒された今、間髪入れずの奇襲に賭けるしかないと判断しての特攻だった。

 しかし、筋肉を引き絞れば富嶽の背面は鉄の甲羅も同然、突き立てられた刀の切っ先が折れ、安珠は尻餅をついた。


 「さて、降伏しますか?」

 「はっ! 誰が!」

 もはやこれまで。安珠はためらうことなく武芸者の誇りを捨てて、道着の中に隠しておいた黒鋼の銃口を向ける。

 「水牛も一発で仕留めるマグナムよ。刃物は通じなくても銃弾ぶち込まれたら、あんただってお陀仏でしょ?」

 「どうやって手に入れたんです、そんな物」

 「いくらでも経路ツテがあるのよ。相手が化け物なら仕方ないわよね」


 「おやめください片岡さま!」

 忠太が富嶽を庇うように割って入る。

 「おどき、オカマ野郎!」

 「拳銃など使われては悪遮羅さまに見限られてしまいます」

 「おまえごときが説教してんじゃねえ!」

 そこそこの美貌も台無しになるほど顔を歪めて少年を罵倒した。

 「おまえのせいよ! おまえが山でしくじるから! おまえがこの女に毒を飲ませておけば銃なんか使うこともなかったのよ!」

 「毒? 毒ってなんです?」

 富嶽が両者を交互に見ると、安珠は勝ち誇ったように嘲笑した。


 「忠太が本心からあんたを慕ってるとでも思ってたの? こいつはね、昨日はあんたに毒を服ませる予定だったのよ!」

 「え……? あの美味しい南国の果実が?」

 「本家がこいつに持たせた果物には、たっぷり無味無臭の毒薬が注射してあったのよ! それを気が咎めたんだか知らないけど、自分で買ったものと取り換えたりして、どこまでわたしらの段取り狂わせりゃ気がすむのよ!」

 「そうなんですか忠太くん?」

 問いただされた少年は苦し気に目を伏せる。もう事情は察した。


 「あ~、わかりました了解、忠太くんは下がってて」

 忠太の首根っこを掴んで、自分と位置を入れ替えた。まったく別の理由で腹を立てていることを知らしめるため、少し怖い顔をしておく。

 「二度と私を庇おうなんて馬鹿な真似をしちゃいけませんよ。あなたを盾にしたんじゃ悪遮羅身を会得した意味がない――さて片岡さん、撃ってみてください」

 「な、何よ⁉ 今の話聞いて平気なの⁉」

 いくらかでも富嶽の少年への信頼に楔を打ち込み、精神的な動揺から隙が生じることを狙ったのだが、期待に反して大女おとめは軽く受け流してしまった。


 「あんた本当に撃つわよ!」

 「お撃ちなさい。銃弾を防げれば私の悪遮羅身は本物と証明されます」

 襖でも破ったような音がして、白い道着に四つ穴があいた。

 「うっ……」

 大きな体が硝煙を立ち昇らせてよろめき、撃たれた部位をまさぐって膝をつき――晴れやかな顔で立ち上がった。

 「平気でした! ありがとうございます!」

 「あっ、あわわっ……!」

 「奥様の猟銃からも逃げる必要はなかったな。殺人罪になるリスクまで犯してくれたあなたの勇断に感謝します! さあ和解の握手を! 握手を!」


 「ひぃぃぃ⁉ 来るなぁぁぁ⁉」

 頼みの綱の飛び道具すら無効化されて、安珠は坐したままで後退する。

 なぜか床に濡れた跡を引きずり、壁に頭をぶつけて昏倒した。

 「器用なお人だなあ」

 「若先生」

 ポカーンと口をあけていた忠太が駆け寄ってきた。

 「お怪我は? 何ともないのですか?」

 「ご覧のとおり」


 豪快に胸をはだけてみせる。忠太は横を向いて手を衝立代わりにした。

 「目隠ししては平気なことがわかりませんよ。他の女性はともかく、私に関しては、その種のジェントルマン的気遣いは適当で構いません。場合によっては非礼に当たることさえあると心得ておいてください。さあ、よく見て」

 促されて忠太が視線を遮る手をどかすと、道着の下にはスポーツブラ型の肌着を着用しており、そこには薄く四つの着弾の痕があるばかりだ。

 「ご理解いただけましたかな? 心配無用とは私のためにある言葉ということが」


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