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悪遮羅剣劇帖  作者: 狛脊令
第一章
5/12

山姫と桜精・其の二

次回で戦います

 大桜を庭に擁する和風の山荘は、浣心亭かんしんていという号を持つ。

 昭和の初め頃、大里逗家が野趣を満喫しながら茶の湯を楽しむ目的で建てたものだが、現在は東熊山の山頂で神事が催される際の中継地点に使用するぐらいであり、富嶽が勝手ながらも占有させてもらい、公然たる秘密の隠れ家と化していた。


 石楠花の垣根をくぐって玄関を入ると、土間と地続きになった台所があり、その向こうには壁で隔てられて風呂と手洗いがある。

 部屋は六つに分けられ、寝起きのための六畳間が三つ。縁側に面した茶会用の大座敷は、普段は襖で三つに仕切られていた。

 忠太が通された六畳の茶の間では、長火鉢の上で二つの五徳が並び、薬缶が湯気を立てている。もう一つの 五徳には金網を乗せて、貰い物の草餅を焼くことにした。


 忠太に座布団をすすめると、少年はかしこまって手を着いた。

 「改めて……先日の無礼、お許しください」

 「もうよしてくださいよ。そんなに怖かったですか? ならば慎みます」

 「怖いというよりも理解を超えていました。若先生は本物の神人なのだなと」

 「できれば若先生もよしてください。照れますので」

 「免許皆伝の方なら立派な先生です」

 「もっと人を幸福へ導く仕事をして先生と呼ばれる資格ができるのです。私は強いだけで争いの種にしかなっていませんからね」


 「若先生が、他流試合で勝ったときなどは、皆様が大喜びだったとお聞きしていますが」

 「喜ばせるのと幸せにするのとでは違います」

 草餅がいい具合に焼けてきたので一つ取ってやる。他人の不幸で喜んでも幸福だろうか。笑っていても心が穢れるだけではないか。

 大女おとめの気持ちを察したか、忠太は遠慮がちに聞いてきた。

 「初お嬢様と仲直りできないのでしょうか」

 「仲直りしたいですよ。きっと初さんだって本心では、そう思ってくれていると信じています。しかし、折れぬ一線というものがあるのです」

 「申しわけございません。私などが立ち入れる問題ではありませんでした」


 少年はひどく思いつめたように見える。富嶽は気になった。

 「昨日初めてあなたをお見かけしましたが、一体どういう経緯で初さんの側仕えになったのですか?」

 人員に余裕があるなら、この子を自分に回してほしいという思惑が生まれた。

 「奥様のご親族が経営している孤児院育ちなんです。五一とは同じ日に赤ちゃんポストに入れられて以来の仲で、本家のご厚意で義務教育だけは受けておけと、初お嬢様の小姓役という名目で学校にも行かせていただいております」

 「軽業も本家の命令ですか」

 「お嬢様の警護のために大里逗家の祭事に出入りする雑技団で修行しました」

 「お若くして苦労なさっているんですね……」


 赤ちゃんポスト? 孤児院育ち? 雑技団で修業?

 不運な星の生まれを象徴する言葉ばかりではないか。

 片岡安珠に叩かれていたような出来事が彼の人生ノートの大半を埋め尽くしているであろうことは想像に難くない。

 (そうだ、まずは彼を幸せにするために悪遮羅の力を使おう)

 膠着状態だった生活が、忠太の登場により、俄然やる気が湧いてきた。


 一柳の里を出て向かう当ては一応あるにはある。

 旅先の父から届いた手紙にはこうあった。富嶽のような規格外の体力を持つ女生徒を集めた仏教系のスクールが存在すると知ったので、おまえさえその気なら入学できるよう手配しておこうと。

 忠太が了承してくれれば、この山で静かに暮らすのも悪くはないと思う。

 山荘は元の作りがしっかりしている上に富嶽の手入れのおかげで十分居住に耐える。庭には井戸もあるし、風呂に温泉を引くこともできる。

 富嶽を山の守り神のように慕う町民たちが、神饌と称して色々な物資を差し入れてくれるので生活に不自由は感じない。

 しかし、山奥で隠遁生活をするには二人とも若すぎる。もっと世間を知りたい、学びたい。外の世界で教育を受ければ、自ずと向かうべき道も開けるだろう。


 「ところで若先生」

 「なんでしょう」

 「座布団の覆いに仁と書かれてあったとお見受けしたのですが……もしかして亀毛先生ですか?」

 「や、三教指帰を読まれましたか。実践できているのは形ばかりに尽きますが」

 「では、お布団には礼と刺繍でもされているのですか?」

 「生憎と枕に義とマジックで書いたのみです」

 自分に冗談を言ってくれた! 

 どこかぎこちなかった少年の緊張が緩んだのを肌で感じ、富嶽は嬉しくなった。ひと思いに臥所へ連れ込みたい衝動に駆られたが、今はじっと我慢だ。


 「忠太くん」

 ごく自然に青い瞳を見据えて言えた。

 「はい」

 「明日の晩、私に同行してもらえませんか」

 「喜んで」

 ほころぶ花の快諾に、腰骨がとろけそうな思いをしながら富嶽は誓った。

 必ず試練を果たし、彼を連れて都会へ出る。


─────────────────────────────────────


 伊良忠太は、帰り道で胸の高鳴りを押さえるのに必死だった。

 手にはお土産の草餅と、大桜の花びらをひとつかみ。

 頬の熱気を早歩きで冷ましていると、年恰好の近い少年が横についてきた。

 「富嶽さんに自腹のお土産渡せたかい?」

 「五一! 今までどこにいたんですか」


 「片岡たちに捕まって木に縛り付けられてたんだよ。あいつら手口がいちいち汚いよな。滝壺に本家からの〝お土産〟を捨ててるところを背後から襲うんだから」

 「……私が頼りないからですね」

 視線を落とす相棒に武庫五一は肩をくっつける。

 「あーダメっ、自分を責めるのはっ。悪いのは全部あいつらっ。忠太は全然悪くないっ。でも、責任を感じてくれてるんならお詫びのキスして」

 突き出した唇の間へ草餅が押し込まれた。

 「つけあがるな、いやらしい!」


 租借し飲み込み終えてから五一は改めて尋ねる。

 「ま、いいや。で、富嶽さんとどんなお話したんだい?」

 「別に。ご武運お祈りしますと言っただけです」

 「お嬢が負けることを期待してるんだ。いけないんだあ裏切りは!」

 「あの方が四面楚歌なのがお気の毒なだけです。あれだけ才能がおありなのに」

 「うーん。でも、お嬢も大人気ないよね。カラダからして大人気ないんだけどさ。もう十七になるってのに小五レベルで――そうだ!」

 突然の思いつきのようにこう言った。

 「いっそ二人で初お嬢を裏切らない?」


 「私たちを拾ってくださった本家のお嬢様になんてことを!」

 「でも正直ウンザリだよ、あのチビ女。ケチだしヒステリックだし、入浴中に押し入ったり布団に潜り込んだりしたぐらいで烈火の如く怒り出すし」

 「怒られて当然です」

 「忠臣だね。自分は富嶽さんとイイ感じになったくせに僕だけ責めるか?」

 「あの方は……私を憐れんでくれているだけです……」

 「明日、一緒に行くんだろ?」

 「約束しましたから……」

 「しっかりアシストしなきゃね。僕はいいけど、あの人は裏切っちゃ駄目だよ。君の救い主になってくれる人だ」


 紺碧の瞳を暗い影がよぎる。

 「……あんな素敵な方二人といません」

 「そうだね。君はとっくに富嶽さんの想い者になってる」

 「五一」

 忠太は花屑を強く握りしめ、盟友に頼んだ。

 「手伝ってほしいことがあります」


─────────────────────────────────────


 富嶽は、その晩もまた鬼女アシャラの夢を見た。

 奇しくも、いや予想どおり悪遮羅流の守護神と同じで名である。

 言葉は皆目わからないのだが、他の個体が彼女のことをアシャラと呼ぶので、ともかく母に似た鬼女にはアシャラという名があることがわかったのだ。


 昨日までの夢で見たときより二回りは小さく角も短い。他種族の殺戮の旅に出発する前の光景のようだ。

 鬼女たちは、深い森と広大な平原を狩場に、〝女王ドゥルガ〟が率いるいくつかの小群に分かれて暮らしていた。

 石器時代レベルの文化しか持たぬ生活ではあったが、土地の気候は年間を通じて日本の初夏に近く、木々は絶えず柔らかい新芽や甘い果実をつけ、獲物となる生物も多様な自然は、この女巨人の種族を十分扶養しうる恵みをもたらした。


 楽園の日々で、鬼女アシャラは、ふと雌しかいない自分たちがどうやって子を産むのかと疑問を抱いた。

 餌とする生き物には雌雄の区別があるか、単性でも生殖できるが、自分たちは明確に雌であるにもかかわらず雄がいない。姉たちに聞いても知らないと言う。

 女巨人たちには、群れを構成する姉妹の数が一定以上になると、野生の羊が頭突き比べで伴侶を獲得するように、姉妹同市で骨肉の闘いを演じる掟がある。勝ち残った最強の個体のみが繁殖する権利を得るのだ。

 権利を有する女王は、百年周期で訪れる繁殖の時期になると、決まって森の奥へ出かけていく。アシャラは頼み込んで女王の御供をする承諾を得た。


 バショウに似た木が群生する森を進み、昼なお暗い湿地帯を抜ける。常食の一つである地球のバクかカバに似た動物が水辺で休んでいたが、今は目もくれず黙々と進軍する女王の後に従い歩く。

 やがてクルミ型の薄緑の果実をつけた樹木の下へ辿り着いた。地球なら、パンの樹と呼ばれたかもしれない。

 女王は熟したものを一個、無造作にもぎ取ると、ゆっくりと開け割った。

 その後の光景を、アシャラは一生忘れられぬと感じた。

 果実の中から現れたのは〝妖精〟だった。


 人間の小児に近い体形で、淡く光る青白い肌は完全な無毛、生殖器らしき物も見受けられない。体に比して大きな顔には、瞳のない青い両眼の他には、申しわけ程度に鼻と口らしき隆起があるのみである。

代わりに頭部から一対の触覚が伸び、背には蜻蛉とんぼか蜉蝣かげろうを思わせる静脈が透けた羽が生えている。

 きょとんとあたりを見回してから立ち上がり、たたまれていた羽を優美に広げる。

 小首をかしげ、女王らに、こんにちはと挨拶したように見えた。


 アシャラの胸が高鳴った。今まで味わったことのない、胸をかきむしりたくなるほどの幸福感に満たされた。

 こんな美しい、こんないものを女王は独占していたのか。

 女王が恭しく誘いの手を差し出すと、妖精は微笑んで巨大な掌に飛び乗った。人を鷲掴みにできる掌は、妖精がダンスを披露するのに打ってつけの舞台である。

 手の上でくるくる舞い、跳ねながら腕をよじ登り、肩から頭へ飛び乗る。

 あまりに愛くるしさにアシャラもたまらず触ってみたくなった。しかし、手を伸ばした瞬間、力任せに殴り倒され、地面に顔がめり込んだ。

 恐ろしくはあるが、娘たちのやることには比較的寛容な女王だったので、これにはアシャラもびっくりした。


 重ねてびっくりしたのは、女王はさんざん妖精を愛でた後、名残惜しそうな表情でぱくっと丸呑みにしてしまったことだ。

 あの時の切ない悦びに満ち溢れた女王ドゥルガかおは忘れられない。

 月満ちて女王が新たな姉妹を産んだとき、ようやくアシャラも理解できた。

 妖精が自分たちの雄ともいうべき存在だったのだ。

挿絵(By みてみん)

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