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悪遮羅剣劇帖  作者: 狛脊令
第一章
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祇怨閣の決闘・其の二

洋才仏魂。それが旧真宗信徒生命保険社屋。

 「忠孝の精神を忘れた小僧が! おまえなんかクビです!」

 「クビで結構だい! どうせ夜逃げするつもりだったんだからな!」

 丁々発止の鍔迫り合いを演じながら、五階までたどり着いた五一と米留夫人は、ぴたりと互いへの悪口を止めた。

 すでに空には満月。薄明りが差し込む部屋で目にしたものは、床面ばかりか壁や天井までを縦横無尽に使い、もつれ合い、ぶつかり合う、二つの流星であった。


 「あ、あれは雷公と風伯ですか?」

 「なんだよ? なんで忠太と富嶽さんが戦ってるの?」

 初に聞いても答えようがない。令嬢も棒立ちで戦いを傍観するしかなかった。

 (あれが忠太なの……?)

 次元が違う。無才ながらも武の心得がある彼女にすら、目の前で繰り広げられる光景は、人ならざる者の闘いとしか映らなかった。


 「おうっ⁉」

 刀をはじかれ、太い腕に痺れが走った。

 ありえん。細見の少年が重量級の武器をここまで自在に扱うなど。

 見た目に似合わず体力があるのはわかっている。無意識に手心を加えていることも否定はしない。

 だが、初太刀で武器を叩き落とすつもりが、もう数合は打ち込んでいる。

 (宿りし怨魂みたまの仕業か……)

 今や魔剣としての半身を剥き出しにした中道剣が、彼から限界以上の力を引き出しているのだ。

 剣速や重さが増すにつれ、両眼の輝きも赤味を増す。

 中道剣の魔力に浸食されつつあるのだ。決着を急がなければなるまい。


 焦りを見透かされたか、忠太は微笑を浮かべて距離を取る。

 中道剣を放り投げると、白い掌で花びらが踊った。

 「また二楽想とは引き出しが少ないのでは?」

 ふっと唇をすぼめて少年は吐息を桜花にかけた。

 みるみるうちに念を込めた息吹が巨大な桃色の魚を生み出す。

 「二楽想――花鰯はないわしにございます」


 魚の大群を模した花びらの塊を富嶽は突きで迎撃。

 切り崩そうとするや魚影は散開、顔を打つ花吹雪が目くらましとなる。視界が晴れてみれば、忠太が刀身の背で、ちょこんとつま先立ち。

 あっけに取られる暇も与えず顎を蹴り上げ宙返り、再結合した花吹雪が彼を拾い、絶妙のタイミングで落ちてきた霊剣を掴んだ。


 「忠太強化され過ぎだよ! あれじゃ体が壊れちまう!」

 五一が叫ぶ。富嶽もそれはわかっている。わかってはいるが。

 (ここまで手玉に取られるとは!)

 霊樹から採取しただけあって、花自体が魔力を帯びている。

 離散と集合を繰り返し変幻自在、まさに海中でひしめき渦巻く鰯の群れそのものの動きで、いくら振り払っても富嶽の身にまとわりつく。

 可憐な花びらのことごとくが鋭利な鱗と化して、鋼の肌を刺し、血を滲ませた。


 「あの子……何を笑っているの? 大見栄を切って手も足も出ないものだから気が触れたのかしら?」

 母の無思慮な侮蔑の言葉を初は無視した。

 (あいつ、いつも揉め事は御免だみたいな態度のくせに……)

 防戦一方の状況下で、なお笑える友の自信が妬ましくも頼もしかった。

 (こんなにも私のことを……?)

 焼けた針で穿たれるが如き痛苦の一つ一つが術者の好意の表われなのだ。神授の防御をザルに変えて肉に抉り込むほどの愛を受ける悦びに富嶽は打ち震えた。

 痛い。こんな痛さは初めてだ。一撃一撃心にジーンとしみる痛さだ。


 「ぬっ」

 眼球を切られた。押さえた右目から血が滴る。

 一瞬、桜魚の威勢が弱まったと感じるや富嶽は怒声をあげた。

 「緩めるなっ!」

 殴打に等しい獅子吼ししくが忠太の背筋に電流を走らせる。

 「攻撃の手を緩めてはいかん。あなたの心を折れさせて勝つ気などない。刀葉樹の頂で手招きするのがあなたなら喜んで剃刀の枝葉を登ろう!」

 馬鹿の極みだと初は思った。しかし、ここまで馬鹿になることによってのみ到達できる精神強度の極致、岩盤をも穿つ一念の実在を知った。


 「さりとて、受けてばかりは愚策」

 攻撃こそ最大の防御。このまま桜花の旋風に耐えて愛を確認しても、いたずらに時間と体力を浪費するばかりである。富嶽は勝負に出た。

 もうしばらく彼との闘争やりとりを楽しみたかったが。

 「痛いのでお覚悟を! 悪遮羅流春疾風!」

 悪遮羅身が富嶽のすべてではない。金剛の自動防御が無効化されても、相手の技を回避するなり打ち消すなりすればいい。

 渦には渦を。回転には回転を。

 右足を軸に長躯が独楽のごとく回り始めた。十分に勢いをつけると大女おとめは自らをつむじ風に変えて花魚の口へ飛び込んだ。


 「おお!」

 見物の三人が目を見張る。

 花鰯とは逆回転で桜の螺旋をほつれさせてゆく。内部から遠心力を相殺された桜の渦は、たちまち散り広がって屋内に降り注いだ。

 術の使い手も逆風に巻き込まれ、中道剣が手元を離れて床に刺さった。

 もはや桜花のクッションも期待できず、冷たい床へ叩きつけられる。

 その際、中道剣を納めていた厨子の蓋が大きく開いた。

 「忠太!」

 駆け寄ろうとする五一に富嶽が待機の合図を送る。

 「ここは最後まで私に任せてください」

 よろよろと忠太が立ち上がる。すでに赤い眼光も消え、足元もおぼつかぬ様子。

 優しく抱き止めた上で、どうお仕置きしてあげたものかなと考えながら近づいた時、異変は起きていた。


 「まったく……あなたに手をあげるのは金輪際これっきりにしてほしいですな」

 忠太は黙っている。米留も初も五一も無言であった。

 三人ともぽかんと大口をあけて富嶽の背後を凝視している。

 「どうしたんです皆さん?」

 「ふ……富嶽さん後ろ!」

 首筋を撫でる感触に振り返ると、いつの間にか厨子を背にしていたようだ。

 開放された蓋の奥から巨大な顔が覗いていた。

 襖以上の面積があり、紅蓮の瞳と緑の蓬髪から突き出た角が四本。

 (……悪遮羅アシャラ!)

 間違えようもない。何度も夢で見た鬼女だ。

 首に触れたのは蔓草のような鬼女の毛髪であった。


 「忠太くん逃げて!」

 「え……? ああっ⁉」

 引き寄せるより早く、鬼女の髪が大女おとめに足払いをかける。続いて少年を絡めとり、女郎蜘蛛のごとき手際の良さで少年をぐるぐる巻きにしてしまう。

 「若先生!」

 抵抗も空しく厨子の前へ引きずられてゆく。

 「忠太くん手を……!」

 握ろうとしたのをいったん引っ込める。何かがおかしいと感じた。

 直後、彼が発した言葉に誰もが凍りついた。

 「騒ぐでない。下衆むしめら」


 「誰が虫けらですか! おまえまで主を主と思わぬ口をきくなんて!」

 激昂する米留夫人をのぞく三名は忠太の発言ではないことを即見抜いた。

 虚ろな目つきと機械的に開閉するの口は、明らかに他者の意志を代弁している。

 「忠太がしゃべってるんじゃないわ!」

 「操られているんだよ!」

 正解、とでも言いたげに、厨子の奥で鬼面が口をキューッと歪めて笑った。

 とうに美童は気を失い、毛髪を通して鬼女の言葉を現代の日本語に翻訳するリモコン人形に仕立て上げられたのだ。


 「アシャラ! 何の真似ですか?」

 大女おとめは怯むことなく鬼女の名を持ち出して詰問した。

 「よく育った。むすめ

 「誰が娘だと? まず、その子をお離しなさい」

 「来い器。吾の受肉のために」

 「受肉ですって?」

 素っ頓狂な声をあげたのは初だった。

 「吾はこの日を一日千秋の思いで待てり。吾が宿るに相応ふさわしき肉体の誕生を」

 「それが富嶽だとおっしゃるのですか? そんな馬鹿な!」

 「どうしてよ! あたしだってあんたを倒した姫の末裔なのに!」


 大里逗母娘が猛然と食って掛かる。

 本来、一族の守護神に抗議するなど畏れ多い行為のはずだが、自分の血筋こそが本流であることを否定するかの如き発言を聞き流せるはずもなかった。

 「どうして富嶽ばっかり! 図体だけ近けりゃいいってもんじゃないでしょ!」

 「神のくせに自分のことばかり考えて恥を知りなさい! 大里逗家があなたを氏神に祭り上げてやった数百年を何だと思っているんです!」

 「他人の勝手アラはよく見えるんだね」

 五一が冷ややかにつぶやく。


 「吾を殺した輩の血族など根絶やしにすることしか考えておらなんだわ」

 「根……根絶やし……」

 歓喜の声が祇怨閣に響き渡り、米留は立ちくらみを起こす。

 支える役を初と五一に任せて富嶽は前に出る。

 「いまだ妄執絶ち難しか。しかしアシャラ、あなたが捕まえている子はただの使用人、あなたの復讐を受けるいわれはありません。お離しください」

 「これはもらって行く。これはいものじゃ」

 富嶽は痛恨の表情で拳を握った。鬼女もイメージを重ね合わせていたのか。

 伊良忠太とアシャラが求めていた〝妖精〟を。

 「返して欲しくば追うがよい。うぬが吾の肉体となることと引き換えじゃ」

 忠太が厨子の中へ消え、ばたんと蓋が閉じられた。


 「富嶽さん追って! これを持って」

 五一が中道剣を拾ってくると、しっかり富嶽に握らせた。

 「おまえはどこまで余計なことにばかり気が利くんです! せっかく取り戻した家宝をくれてやる人がありますか! この阿保馬鹿頓智気!」

 「いいわ。ここは富嶽に任せる」 

 「初、何を言うの!」

 「お母様は黙ってて!」 

 いまだ家宝の所有に執着する母を娘は叱咤した。目元に涙をたたえて。

 「ここで悪遮羅を復活させたら、よっぽど家名に泥を塗ることになるのよ! 今まで鬼女に踊らされていたんだから!」

 彼女とて霊剣への未練はある。だが、魔物征伐で名を遂げた大里逗家を守るために為すべきことを見失うほどの蒙昧さはなかった。


 「富嶽、中道剣を聖剣として使えるのはあんただけよ。あの怪物に引導渡して忠太を取り戻してきなさい」

 「初さん……」

 「とことん女を下げちゃったからね。中道剣はあんたの物!」

 「お嬢の御墨付だ。忠太を頼んだよ」

 「ありがとう」

 二人に礼を言って、厨子の蓋をこじ開けた。

 「ああ……なんてことなの……本物の鬼子が一族にいたなんて……」

 米留夫人は頭を振って一心に祈りを捧げる。

 もはやすがるべき神など、この社にはいないというのに。



残り2話で完結します。

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