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彼女と僕の現在

 愛実と一緒に電車に乗って、地元の駅へと戻ると、辺りはすっかり暗くなっていた。家に向かう途中、お母さんに会ったその瞬間、いきなり怒鳴られて言葉を失う。


「どこに行ってたの!」


 思った以上に怒っていることに、ビクリと震えた僕を、突然抱きしめて泣き出した。そんなお母さんに困惑して、戸惑う。こんな風に、僕の心配をしたことは、今までなかった。


「よかった……、ほんとに心配したのよ」

「え…っ、突然なに?」


 ぎゅう、と抱きしめられた後、身体に異常がないか、顔に傷はないか、といろいろ質問されて、戸惑いつつも首を振る。


「僕は、なんともないよ」

「そう……、よかった。今日は愛美ちゃんと一緒じゃなかったのね」

「愛実? 愛実なら……」

「だめ」


 くるりと振り向いた僕の言葉を愛実が止めた。訳が分からずに愛実を見つめる。


「愛実……?」

「……あのね。落ちついて聞きなさい」


 真剣なお母さんの表情に、嫌な予感が消えない。お母さんの口から告げられた言葉に、僕は首を振る。


「……嘘だ」


 掠れたような、自分の声。だけど、お母さんには聞こえなかったみたいで、辛そうに眉根を寄せて、悲しそうに首を振るだけだった。


「う、そ……。うそだ! だって、愛実は、愛実……は」


 僕の目の前にいる。哀しそうに微笑んだ愛実がみえる。その唇が『ごめんね』と動く。


「どう、して……っ」


 手を伸ばす。愛実に向かって、だけど、そっと首を振った愛実が僕の手を避けるように一歩下がる。


 嘘だ、愛実はここにいる。僕の目の前に――。


 お母さんの言葉は、僕の耳に届かず、頭の中が真っ白に染まっていく。最後に覚えているのは、自分の情けない叫び声だ。


 愛実に伸ばした手は、遂に愛実まで届くことはなかった。



「その後、情けないことにぶっ倒れて三日間高熱で苦しんだ。回復したころには愛実の葬儀も告別式も、全部終わっていた」


 あの時、熱なんか出さなければ、愛実の声をもっと聞けたかもしれないのに。


「殺されたの……」

「育児ノイローゼの母親に。自分の娘を殺していたらしい。俺が見たあの子の最後の言葉を伝えに行かなければ、愛実は殺されることなんてなかったのに」


 僕のせいで愛実は凄惨な事件に巻き込まれてしまった。

 半狂乱で笑っている母親に気づいた、近所の人が通報したようだ。ぐったりとした愛実は病院に運ばれたけれど、すでに死亡していたらしい。その前日に殺されたと思われる自分の娘はベッドの中で亡くなっていたそうだ。


 学校の噂で聞いただけだ。お母さんも親族も、僕に愛実のことを話そうとはしなかった。僕も、聞く勇気を持てなかった。「早く忘れなさい」そう言った母親の哀しそうな表情は、今でも忘れることができない。


「愛実がいなくなって……、僕は後日、線香をあげに愛実の自宅に行った」


 早く忘れて欲しいと願っているものの、僕が愛実と一番仲が良かったことは母親も分かっていた。どうしてもと頼み込んで、愛実の家に連れて行ってもらう。玄関までは何度も来たことがあるのに、そういえば、入るのは初めてだったと思った。


 憔悴した愛実の父親に出迎えられて、僕は怖かった。あまりにも印象が変わっていたせいだ。愛実を喪ったことの大きさが、重大さが、僕の胸を突いた。


 もしかしたら、怒られるかもしれないと思っていたけれど、愛実のお父さんは声を荒げることはなかった。怒鳴られた方が、マシだったかもしれない。


「……ありがとう」


 愛実のお父さんがお礼を言ったけど、その目が僕を見ていないことに気づく。子供だった僕にさえ、愛実のお父さんがものすごく悲しんでいることが嫌でも伝わってきた。

 そんな人に、ありきたりなことしか声をかけることができない母も、沈痛な面持ちを向けた。


「では、わたしたちは、これで……」


 言葉少なに退室を促す母親に、ちょっと待って、と声をかける。


「あの、愛実が……」


 僕が愛実の名前を出したことで、緩慢な動きだったけど顔が僕の方を向いた。一瞬、言葉にするかどうか躊躇う。だけど、伝えなくちゃいけない。


「愛実が、言ってました。ずっとひとりだと思ってたけど、そうじゃなかった、と」


 愛実のお父さんが、辛そうに視線を下げる。


「君が……、いてくれたからかい?」

「違います。お父さんに、感謝してるって。仕事で忙しくて、家にいなくても、なかなか会えなくても、愛実はお父さんのことが大好きだったと……」

「……愛実、が?」

「小さい頃によく連れて行ってくれたという海で、僕に話してくれました」


 驚いたように、目を見開いた愛実のお父さんの瞳に、みるみる涙が溜まる。言葉に詰まらせたお父さんが慌ててハンカチを取り出して、目を抑える。


 何度も娘の名前を呼ぶお父さんに、ぺこりと頭を下げた。


 伝える必要は、なかったような気がする。だけど、伝えたかった。愛実がお父さんを大切に思っていたことを。感謝していたことを――幸せを願っていたことを。


 たぶん、言葉は全然足りなかったと思う。子供だったし、上手く伝えられる術を僕は持っていなかった。だけど、愛実の家から出た時にぽんぽんとお母さんが頭を叩いてくれたから、間違っていなかったんだと思った。


「なんて、な」

「?」

「ただの自己防衛だよ。愛実はきっと伝えなくていいと思っていたような気がする」

「そうかな?」


 愛実そっくりな彼女が首を傾げる。


「そうでもしないと、僕はきっと生きていけなかった」


 それから、死者の話をよく聞くようにした。あの時の後悔はもう二度としたくなかった。


「そうだったの……」

「だから、君の道を探してあげたいっていうのは、僕のただの自己満足なんだよ」

「懺悔じゃなくて?」

「さあ……、どうなんだろうね」


 僕自身、もう、よく分からない。


「さて、これで僕の話はおしまいだ。なにか思い出したかい?」


 彼女は肯定も否定もせずに、俯いていた顔をゆっくりと僕に向けた。


「……もう、許してあげてもいいんじゃない?」

「えっ?」

「あなたを」


 なにを言われているのか分からなくて、軽く眉根を寄せて、首を傾げてから、首を振る。


「……ごめん、なにを言ってるのか」

「ごめんね」


 ほんの少し、悲しそうな顔をした。その顔が、愛実に重なって見えてピクリと身体が震える。


「あのさ、そういうのはいらないんだ」

「違う。わたし……」


 そう言いながらも、少し辛そうに眉根を寄せた。


「どうかした? ……なんだか苦しそうだけど、大丈夫?」


 ぐっと身体に力を入れているみたいだ。こんなのは初めて見る現象だけど、いちいち驚いてはいられない。分からないことの方が多いのだから。


「待って。まだ」


 ぽつりと呟いた言葉を聞き取れないまま、彼女の方を向くと、ブワッと彼女の身体から風が吹くようになにかが溢れるように身体の外に出た。それから、大きく息を吐きだしてまた僕を見つめた。その瞳が、少し悲しそうに揺れる。


「……だから、綺麗なままなんだね」

「え?」


 どうしようもないほどの感情を抑え込むように両手で自分を抱きしめるようにして、ぎゅっと拳を握る。


「もしかして、なにか思い出したの?」

「ねえ、彼女はあなたの好きな人だったの?」


 僕の質問には答えずに、そう言われて、少し考える。


「……好きだったよ。愛実は僕の傍にいて当たり前で、出会った時から特別だったから」


 ただ、当たり前に、傍にいてくれるものだと、あの頃はそう思っていた。初恋だったのかと問われれば、たぶんそうなんだろう。


 上手く人と付き合えなかった僕を、優しく包み込んでくれたのは愛実しかいない。


「そう」


 ふっ、と彼女が柔らかく笑う。なんだか嬉しそうに見えた。


「……よかった」

「君は……」

「わたし、思い出したよ」

「えっ?」


 きゅっと唇を引き結んで、やっぱりどこか悲しそうな顔で僕を見つめた。思い出して「よかった」と、ほっと息を吐くと、彼女がふるふると首を振る。


「よくないの。どうして……、わたしは……」


 彼女の言葉の意味が分からない。もしかしたら、記憶を思い出して混乱しているのかもしれない。


「落ち着いて、混乱する気持ちは分かるけど。落ちつけば、きっと道が……」

「わたしが、道なの」

「は?」


 顔をあげた彼女の瞳に、意思が宿っている。


「君が……道?」

「お願い。逃げて」


 苦しそうに、彼女が顔を歪めて、僕を睨む。強い瞳に、ドキリと心臓が跳ねた。


「え? 逃げる?」


 意味が分からない。僕がなにから逃げる?


「早く……、早く、わたしから、離れて……! そうちゃ……」


え。と頭が言葉を意識する前に、強い力が、僕を吹き飛ばす。


「なっ!?」


 彼女の身体から溢れた力に押されて、僕の身体が吹き飛んだその瞬間、思い出した。


「あ……」


 ゆっくりと、スローモーションのように、僕の身体が宙に浮いている。



 そうだ。道を探していたのは僕だったんだ――――。



 迫りくる車、幼い少女の身体。身体への衝撃、飛ばされたときの空の色。遠くで聞こえた悲鳴。


 あの事故で、死んだのは……、僕だ。


「まな、み……」


 すとん、とゆっくりと地面に着地をして、彼女を見つめた。もう、そこに、僕の知っている彼女はいなかった。


 真っ白い羽が生えた。彼女の無機質な瞳が僕を見つめた。


「綺麗な魂を回収に来ました」

「君は、愛実なのか……?」


 僕の問いに、なにも答えない。さっきまでの彼女はどこにいった?


「さあ、私と共に来るのです」


 す、と手を差し伸べてくる。彼女が、道だと言った。僕を回収していくということからもきっとこの道を行けばいいのだろう。

 ほんのりとした光に包まれて、上手く考えることができなくなる。


 ああ、そうか。こうやって魂がいなくなっていっていたのか。

 光に包まれて幸せそうにいなくなる死者たちは、こうやって導かれて――。


 ゆっくりと、手を伸ばす。まるで抗えない力が働いているように、差し出された手に触れようとした瞬間、頭の中の靄を払うように声が響いた。


『だめっ、逃げて……!』


 ハッと我に返ってぴたりと手を止める。今の、声は……。


「愛実?」

「さあ、私と共に来るのです」


 無表情の天使が、また同じ言葉を繰り返す。思わず一歩後ずさる。


「……嫌だ」


 明確な拒否の言葉に、スッと目が細くなる。無表情は変わらないのに、怒らせたと分かって、ゾクリと背筋が凍る。


「いけません。綺麗な魂は回収しなければ」


 無機質な声がして、突然その手に槍のようなものが握られる。


「穢れる前に、回収を」

「おわっ」


 振るった槍から光が放たれて、慌ててそれを避けた。自分が死んだことを自覚したおかげで、思った以上に身体が動く。今の僕の形はただ、生きていた頃の記憶が影響しているだけだから。さすがにあれに当たったら消えるんだろうな……と嫌な想像がつく。


 何度も振るわれる槍に、対抗策が浮かばなくて、ただひたすらに避けながら、距離を取る。


 ちょっと息が切れてきた……違う。そんな感覚はないんだ。


 思った以上に生きていた頃の記憶が厄介だと思う。これくらいで疲れるだろう。という感覚で身体の動きが鈍ってしまう。それを瞬時に切り替えて、なんとか光を避けるけれど、これじゃ、時間の問題だ。


「……あれに攻撃できたとして効くのか?」


 思考をフル回転させてみるけど、結論は否。たぶん、僕の方が圧倒的に弱いだろう。あれはこの世のものじゃない。いや、僕もこの世のものじゃなんだけど。


――この世のものじゃ、ない?


「……それなら、もしかして」


 天使が、いい加減に怒っているらしい。あんなものを天使だとは思いたくないが、一応そんな形に見えるから、しょうがない。


 全身が光って、辺りを覆う。


 逃げ場がない。思うが早いか、眩しい光に思わず目を瞑ってしまったのは、仕方のないことだと思う。


 次の瞬間、景色も、僕の周りにあったなにもかもが、目の前から吹き飛んだ。



次で完結します。

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