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過去の僕

 誰かに話すことなんて、ないと思っていた。

 話す気になったのは彼女が死者であるということと……、彼女の面影を見たからだ。


「愛実は、僕が殺した」

「えっ? どういうこと……?」


 物騒な言葉に眉間に皺を寄せる。


「僕のせいで愛実は、死んだから」

「だから、殺したというの?」

「そうだ」


 嫌な記憶。胸の奥がうずうずと疼く。傷が広がる。誰にも話すつもりのなかった愛実と僕の話。ふたりだけの、秘密。


「僕にとって彼女は特別な存在だった」


 この力のことを信じてくれた、ただ一人の女の子。


『すごいね! じゃあ、まなのおかあさんともおはなしできる?』


 幼稚園の頃に、そう言われたとき、僕は驚いて、目をぱちくりさせたものだ。

思えばあの頃から、愛実は他の子たちとは少し違っていたような気がする。


 ふたりで愛実のお母さんを探しに出かけて、迷子になって保護されて親に怒られた。結局、愛実のお母さんを見つけることはできなくて……、そして愛実のお母さんが亡くなっていることを聞かされた。もうどこにもいないのだと、もう会えないのだと。大人が口をそろえて僕に言う。


 そんなことは、知っている。だからこそ、僕だからこそ、彼女のお母さんを見ることができるのだと言おうと思ったのに、母親の目が怖くて僕はなにも言えなかった。


「……意気地なしだと思うよ。自分でも」


 だけど、どうしようもできなくて、愛実に謝った。あの時はなにも言わなかったけれど、あとになって愛実に、あの時は本当に嬉しかったと感謝されていることを知った。


「いいえ。とても勇気のあることだと思う。それにしても、一緒に迷子……、ね」

「幼稚園児だったからね」


 無謀なことをしたものだと思う。ふいに少女を見るとなにやら考え込んでいる。


「なにか思い出したのかい?」


 何度目かになるセリフにまたか、と彼女がため息を吐いて首を振る。


「それ以外に言える言葉はないの?」

「……すまない」

「あっ……、その、ごめんなさい。別にあなたのせいじゃないのに」


 慌てて申し訳なさそうに謝る彼女に、苦笑した。今のが自分の八つ当たりであると自覚できているところを見ると、彼女は優秀だったのだろう。


「でも、なんでかな? わたし、あなたを知っているような気がする……」

「え?」

「なんて、そんなはずないわよね。あなたはわたしのこと、知らなんでしょ?」

「ああ……、そうだな」


 愛実に似ている。だがそれだけだ。彼女と面識などない。


「ごめんなさい。話を続けて」

「愛実は、誰よりも僕のことを理解してくれた」



 『すごいことなのにな』と、彼女はことあるごとに言った。僕としては怖くてたまらなかった。この力を知られることを恐れて、彼女のすごいって言うことの意味を誤解していた気がする。


 あれは小学生四年生の夏。愛実と歩いていると、小さい女の子と目が合った。


「わたしのこと、みえるの?」

「っ」


 僕は無視をした。この子は自分のことを理解しているし、それなら僕にできることなんて何もない。


「おねがい……みえるのなら、つたえて」


 気づいていない。僕はなにもみていない。言い聞かせながら、彼女の横を通り過ぎる。


「ままに、……ありがとう、って」


 泣きそうに、少し震えた声。その言葉に胸が詰まって、思わず足が止まってしまった。それに気づいた愛実が僕を振り返る。


「……どうしたの?」

「ううん……、なんでもない」


 そっと振り向くと、少女はもういなかった。


「もしかして……、誰かいたの?」

「……行こう」

「ねえ、いいの? なにか頼まれたんでしょう?」


 その場から逃げようとする僕の腕を引っ張って引き留める愛実に、首を振る。


「彼女は、もういっちゃったし」

「でも……」


 納得できないような愛実の瞳を、まっすぐに見ることができない。彼女の願い、それを聞いても聞かなくても、もう彼女はいない。だったら、関わりたくない……って言うのが本音だ。


「ね、なにを頼まれたの?」

「……ありがとうって、伝えて……って」


 こうなったら僕が答えるまで愛実はひかないだろう。渋々と白状するとパッと笑顔を作る。


「だったら伝えてあげようよ!」

「……」


 それに僕は答えられない。


「やめた方がいい」

「だって」


 さっさと立ち去ろうとする僕と、動かない愛実。


「愛実」

「……だって」


 悲しそうな顔に言葉に詰まる。だけど、彼女がいつこの世界からいなくなったのかが分からない。お葬式をしている気配はないし、もしかしたら、少し経っているのかもしれない。もしくは今さっきの出来事だったのかもしれない。


「……だめ」

「ならいい。わたし、言いに行くから」

「ちょっ、待てって。この家の子かも分からないだろ?」


 慌てて愛実を止めたけれど、キッと泣きそうな顔で僕を睨んだ。


「それでも。なにもしないよりはいいと思うの」

「その子の名前すら知らないのに?」

「……っ、それ、は」


 可哀想だけれど、あの子がここの子である保証はない。恐らくは間違いないと思うけれど、あの子の名前さえ分からない。


「どうして、そんな意地悪言うの……?」

「意地悪じゃない」


 ただ、僕は知っているだけだ。善意が善意として受け取られることはあまりないということを。


「僕は、まなみを傷つけたくないだけだ」

「わたしなら大丈夫……」

「死者に、関わっちゃいけないんだ」

「……」


 もしかしたら、あの子の伝言は親を救うかもしれない。だけど、追いつめるかもしれない。僕はいろんな場面を見てきた。だからこそ――愛実の提案に頷くことなどできない。


「もしも、愛実のお母さんから伝えたいことがあるよ。って、全然知らない子に突然言われて、それを信用できる?」

「わたしは……」


 なにかを言いかけてそのまま黙った愛実はゆっくりと首を振った。


「……ごめんな」

「わたしこそ、ごめんなさい」


 素直に謝ってくれる愛実にほっとした。



「だけど、僕も愛実も子供だった。僕はこれで大丈夫だと思ったけれど、愛実はそうじゃなかった」

「……なにかが、起こったんですね?」

「愛実にとっては、到底納得できることじゃなかったんだろう。その翌日、愛実は死んだ」


 もっと早く気づいていれば……なんて後悔は今もずっと心の奥底で燻ぶっている。


 僕がもう少し気づかないふりが上手ければ、愛実が僕の力を知らなければ……、数えきれないほど改善できたことはあったんだと思う。


「あの日を、僕は忘れたりしない」


 愛実が、亡くなった日。僕は愛美と一緒にいた。


「学校帰りに寄り道をした僕に愛実が声をかけてきたんだ」



「いーけないんだ」

「わっ」


 公園のベンチでアイスクリームを食べようとした僕は、突然かけられた声にアイスを落としそうになって慌てて顔をあげると、くすくすと笑った愛実と目が合った。


「なっ、おま……、今日は用事があるって帰ったんじゃ……」

「うん、もう終わったから」

「なんだよ、ビックリさせるなよ……」

「ふふっ、だけど、買い食いなんて怒られるよ?」


 咎められてるのが分かって、バツの悪い気分になる。確かに、買い食いはよくない。だけど、こんなに暑くて、たまになんだから見逃してくれるだろう、と愛実をちらりと見る。


「少しやるから、黙っておけよ」

「ううん。いらない」

「はぁ!?」

「さっき食べてきたの。だから。あ、ほら! 早く食べないと溶けるよ?」


 日差しにやられてアイスがポタリと地面にたれて、慌てて崩れてきた部分を舐める。冷たくて甘いミルクの味が口いっぱいに広がる。


「うん、美味い!」


 このアイスは当たりだ。と思っていると、俺の隣に愛実が腰かけた。


「なんだよ? もうやらないぞ?」

「いらないって。だけど、黙っているかわりに今日はわたしに付き合ってよ」

「はあ?」

「だって、最近付き合い悪いじゃない」


 ムッと唇を尖らせて僕を睨む愛実に、こっそりとため息を落とす。愛実はすごく可愛い顔立ちをしている。性格もさっぱりしているし、密かに男子のマドンナになりつつある。対して僕は平々凡々(むしろちょっと暗いくらいかもしれない)釣り合わないのは分かっているけれど、ハッキリ言葉にされるとちょっと凹む。


 去年までは誰も何も言わなかったのに、一緒にいることに対しての非難が僕に向いた。だから、愛実と一緒にいるのはあまり良くないんだろうと漠然と考えていた。避けているつもりはなかったけれど、確かに以前に比べて一緒にいることは少なくなっていた。


「だから、今日はわたしに付き合うこと! 分かった?」

「はいはい」


 クラスの連中に見つからなければ僕は全然構わなかった。アイスを食べ終わるのを律儀に待ってくれた愛実を見て、どこに行くんだ? と問いかけた。


「海」

「え。は!? 海!?」


 一瞬なにを言っているのか耳を疑った。確かに天気はいいし、気温も高い。だけど、海開きはまだ少し先のはずだ。


「だって、約束したでしょ? 夏には海に行こう、って」

「つーか、それっていつの約束……」

「いいから、ほら、行くよ」

「ちょ、待てよ。どうやっていくんだよ」


 海なんて、車や電車に乗らないといけない。


「子供料金なら、そんなにかからないから、お小遣いで行けるって」

「えっ? でもそんなにお金持ってないぞ」

「大丈夫」


 にこり、と笑った愛実について駅に向かった。子供だけで電車に乗ることなんて滅多にない。特に僕は。愛実は平然と電車に揺られているけれど、ひとりで乗ったりするんだろうか?


「あ、降りるよ?」


 さっさと電車を降りる愛実を追いかけて、改札に向かう。


「って言うか、ここって、僕たちの駅から全然離れてないじゃないか」


 電車に乗って十分ほどの駅で愛実が下りた。休日ならば自転車で十分来られる距離だ。


「だから、大丈夫って言ったでしょ?」


 お財布の中身が心もとないが、確かにこれなら問題なく電車で帰れそうだ。万が一帰れなくても歩くことができる……と思うんだけど。


「って言うか、海って……」


 公園の中に入って目の前の視界が開ける。広がったのは海。確かに海だけどさ……。


「港じゃないか」

「海は海でしょ?」

「なんだ。僕はてっきり砂浜がある海だとばかり……」

「だって、海開きもまだじゃない」


 それくらいは僕だって気づいていたけどさ。そよそよと海風が吹いてきて、ほんの少し涼しくなったような気がした。静かな公園の中、ゆっくりと海を見ながら並んで歩く。


「よくこんな場所知ってたな」

「……お父さんがね。よく連れてきてくれたの」

「えっ?」

「お母さんが生きていた頃の話だけど」


 愛実の口から父親の話がでてきたのは初めてだったような気がして、少し驚いた。


「よく覚えてるな」

「うん。小さかったけど、お父さんとの思い出がこの場所だからかな?」


 ふ……、と目を細めて水平線を見つめる。その姿が寂しそうに見えて、小さな手を握ろうと手を伸ばした。だけど、タイミング悪く愛実が動いて、僕の手は空を切った。


「どうかした?」

「な、なんでもない。それで?」

「……お母さんが死んで、お父さんも忙しくなっちゃって、わたし、ずっとひとりだった。そう思ってた。でも、そうじゃなかったって、やっと分かったの」

「え?」


 愛実のお父さんは仕事仕事でほとんど家にいない。愛実がいつもさみしそうにしていたことを僕は知っていた。だから、僕は愛美のお父さんを好きになれなかった。厳しい表情をしているのが印象的だ。


「だって、いつも一緒にいてくれたでしょ」

「僕?」

「うん。だから、お父さんがいくら忙しくてもそんなに寂しくなかったんだ」


 そう言って、にこりと笑った。僕と出会ったことで、愛実がこんな風に言ってくれるとは思っていなかった。嬉しいはずの言葉なのに、僕はなぜか違和感が拭えなかった。


「突然どうしたんだよ」

「この先、ずっと一緒にいられる保証なんてないんだなって。ちょっと思っちゃったんだよ。最近、わたしから離れていこうとしているみたいだし?」


 むぅ、と睨むようにそう言ったけれど、その言葉は半分冗談で半分本気なんだろう。


「僕は、弱虫だから」

「そんなことないよ!」

「……いや、そうなんだよ」


 嫌というほど分かってる。みんなに言われるまでもなく、愛実とは不釣り合いだってことも。


「もー、ほんと昔っから変わらないね」

「しょうがないさ」

「自分の力が、怖い?」


 ふいに真剣に見つめられて、すぐに言葉が返せない。


「……怖くはない。だけど、普通がよかった」

「うん。そう思えることがすごいと思うし、やっぱり、素敵な力だと思うんだけどな」


 他人事だと思って……と、小さくため息を落とす。この力は、いつか消えるんだろうか? 分からない。分からないから、僕は普通を目指して生きて生きたい。


「簡単に言うなよ」

「うん。そうだね。ごめん。でも、これだけは覚えておいて」


 愛実が僕の顔をじっと見つめて、にこりと笑う。


「わたし、お母さんを一緒に探してもらえて、本当に嬉しかったんだ。あの時、わたしは救われたから」

「愛実……」

「お父さんもね。大変だったと思う。お母さんに会いたがるわたしとどう接していいかも分からなかったと思うし、お母さんを失って悲しいのはわたしだけじゃなかったのに……。だから、お父さんにも感謝してる」


 迷いのない言葉に、微かに頷く。きっと、愛実のお父さんも辛かったはずだ。そんな簡単なことにも、僕は気づけなかった。


「愛実は偉いな」

「……そうかな? だけど、少し遅かったかも」

「そんなことないよ。まだこれから先があるじゃないか」

「そっか。そうだよね」


 愛実が笑う。綺麗な笑顔に一瞬見惚れたのは僕だけの秘密だ。


「そろそろ帰ろうか?」

「あとちょっとだけ、ここにいたい」


 これ以上遅くなったら、確実に怒られる。そう思うのに、愛実が手を合わせて「お願い。あと、ちょっとだけ」とかいうもんだから、結局僕が折れて、付き合うことになった。


 しばらく二人で海を見つめる。オレンジ色をした夕陽が海に落ちていく。


「……綺麗だね」

「そうだな。まあ、こんな景色見られるなら、ちょっとくらい怒られてもいいか」


 そう言って笑いかけたら、愛実が嬉しそうに笑い返してくる。だけど、さすがに暗くなりはじめて、いい加減に帰らないといけない時間になる。


「……そろそろ帰ろう」

「うん」


 きっと、帰りつくころには真っ暗になっているかもしれない。それでも、僕に後悔はなかった。


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