ヒロインな私が異世界トリップしちゃって、ヒーローとラブラブできると思ったのに!
『他の誰でもなく、君がいいんだ。君が傍にいてくれるだけで…』
艶やかな赤髪を風に靡かせ、甘い笑顔を浮かべる生徒会書記。
鳩羽ミサキ君は、大手化粧品メーカーの御曹司。
輝かしい世界に身を置き、順風満帆な人生を送っているはずの彼だったが、それ故のしがらみが彼を拘束していた。
他者に愛されることを求めるが、自分は他者を信用できない。
笑顔の仮面を付け続ける彼は、いつも孤独だった。
しかし、それもここまで。
彼を孤独から救い出す可憐なヒロイン、私、柴田愛花がいるのだから。
『好きだよ、愛花』
「わ、私もすき……」
つれなかった彼が溢す甘い言葉に、私は胸を高鳴らせる。
ついにミサキ君と結ばれる日が来た。
手は緊張で小刻みに震えていたが、それをもう一方の手で押さえ。
愛の告白に、迷うことなく是を返した。
するとたちまち、柔らかな彼の笑顔にピンク色の花が添えられた。
物語の、エンディングである――…。
「……はー!ミサキ君、本当かっこよかったー!」
ハッピーエンドに分岐されたことによって表示された、ウェディングスチル。
それを思う存分堪能した後にひとつクリックすると、画面に流れ出すのはゲーム製作者のリストと、エンディングテーマ曲。
乙女ゲームのプレイ中は、夢のような時間が過ごせる。
その楽園から現実という地獄に引き戻すのは、いつもコレだった。
エンディング画面をスキップしてしまい、直ちに楽園へ再びダイブ出来たら文句がないのだが、押しキャラのミサキ君が登場する今回の乙女ゲームは、初見ルートではそのような機能は付いていなかった。
とはいえ、大人しく画面を見つめているのは、私にとっての苦行である。
そういう場合にいつも行うのは、クリア直後のキャラと過ごす毎日の空想。
私がミサキ君と幼馴染だったら、もっと早く救ってあげることが出来たのに。
そうしたら、絶対絶対悲しませないし、本当の笑顔の意味を深く教えてあげられる。
孤独を癒すために、いつも傍にいて、片時も離れない。
例えば、こうやって単に座っているときでさえ、手を握って大丈夫だよって言ってあげたい。
ゲームの世界が現実だったら、彼のために何だって尽くすのに!
…もし現実だったら、うちの学校の制服を着たミサキ君が、私と手をつないで一緒に学校へ行くのかな。
そうしたら、学校一お似合いのカップルよね!
学校中から祝福される姿を想像する。
そんなことになったら、幸せすぎて宙に舞ってしまいそう。
「きゃー!!」
気恥ずかしい心を抑えるため、叫びながらベッドに飛び込む。
だが、そこにあったのはふかふかとした布団ではなく、ひたすらに続く暗黒と空虚感であった。
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異常事態へ慄いた私は、目に涙が浮かんでいた。
しかし、唐突に辺りは光に包まれる。
ペッと吐き出されるように、先ほどいた場所から転がり出ていたのだ。
「な、なに…?」
明順応されるまで、一時的に目が使い物にならない。
それでも、今いる場所を手で探ってみると、触れるのは土。
汚い、という考えも一瞬浮かぶものの、既にゴロゴロと転がってしまったのだ。
今更であると自棄になった私は、土の上へ大の字になる。
ぼんやりとし続けると、次第に見えてくるのは、雲ひとつない青空。
緑色の木々から覗く太陽の光がポカポカと暖かい。
どうして、私は外にいるの…?
先ほどまで、私は確かに部屋にいたはずだ。
虚ろに思考していると、真上から声が掛かった。
「失礼、よろしいですか?」
「え?」
そちらを見ると、赤髪の男の人。
葉の間から降り注ぐ光が髪に当たり、きらきらと輝いている。
「ミサキ君…?」
「はい?」
端正な顔立ちに、赤髪。
ミサキ君が現実の世界にいたら、こうだという理想が、私の目に映った。
恥じらいに頬が赤らむのを自覚する。
どれだけ見つめていても、飽きないほどの美貌だった。
「…あの、お手をどうぞ」
差し出された手を、反射的に取る。
すると、ミサキ君は紳士的にエスコートするように、地面から私を起こしてくれるではないか。
その様に、私はますます胸をときめかせる。
起き上がった後も、ミサキ君の手をぎゅっと握ったまま、暫く彼を凝視していた。
「よろしいですか…?」
「はい!大丈夫です!」
ハッとした。
いくらミサキ君の方から差し出してくれた手だからといって、いつまでも握ったままなのは、はしたない。
こういうことは、男性側に任せることだ。
私は、慌てて手を引っ込めた。
「…それでは、改めまして。ミドスタン王国へようこそ、異世界からの来訪者」
「ミドスタン王国?異世界?」
「はい。貴方がこうしてミドスタン王国へいらしたのには、事情がございます。我々は貴方に危害を加えるつもりはありませんので、まずは私の言うことを聞いていただけますか?」
「わ、分かりました!」
ミサキ君の口から出るファンタジーな言葉に、きょとんとする。
あの乙女ゲームは、生徒会をメインにした学園もの。
生徒会が権力を持っている、といったように。
非現実的な部分はあれど、現代が舞台である。
王国や異世界といったものは、彼の口には似つかわしくない。
と、思ったところで。
「あれ?」
顔立ちを見る限りでは、まさしく彼はミサキ君。
しかしながら妙なのだ。
ミサキ君は、サラサラストレートの赤髪を持ち、いつも笑顔を浮かべている。
ファンクラブの女の子達を喜ばせる、甘い言葉の数々が特徴的なキャラクターだった。
対して、彼はどうだろうか。
確かに、端正な顔立ちや笑顔、赤い髪はミサキ君そのものだったが。
明らかに異なるのは、赤髪に緩やかなウェーブがかかっていることだ。
……彼は、ミサキ君ではない?
まさかの別人説が浮かび上がり、愕然とする私に「どうかなさいましたか」と問い掛ける彼。
「先に、お名前を聞いてもいいですか?」
「私は、アドニス・ベイツと申します」
「…そうですか…ありがとうございます。私は夢野愛花です」
肩を落としてしまうのは、仕方がないことだった。
アドニスさんも、確かにかっこいい。
それでも、ミサキ君の笑顔に隠された孤独感が、私の胸キュンポイントだったのだ。
今にも溜息を溢してしまいそうなほど落ち込む私に、アドニスさんは遠慮がちに声を掛ける。
「あの。それでは、事情をお話させて頂いても構いませんか…?」
「はい、お願いします…」
「それではまず、この世界についてですが――……」
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「じゃあ、私は迷い込んだ勇者なんですね?」
「その通りです」
「私は、魔王退治とか何もしなくて良くて、保護してもらえるんですね?」
「はい。異世界人を救済・管理するための「ブルジョワ制度」に従って、保護させて頂きます」
「わかりました。よろしくお願いします」
アドニスさんの話を聞き、大体の異世界トリップ事情を把握した私。
彼がミサキ君でないということで落ちていたテンションは、浮上しつつあった。
というのも、魔法!貴族!といった、憧れワードが連続した説明だったのだ。
高揚せざるを得ないだろう。
それに加えて、アドニスさん。
アドニスさんが話しているのを観察しながら、改めて冷静に考えてみたのだが、彼はミサキ君と通じる所がある。
赤髪だし、ピアスだし、ずっと笑顔だし…もしや、世にいうチャラ男キャラではないだろうか。
それに加えて、ミサキ君と同じく出会ってからずっと笑顔を保っている。
もしや、彼も笑顔の裏で孤独を感じているのでは。
だとすれば、私の恋心はチクチクと刺激される。
そういう事情で、アドニスさんの提案を承諾したのだが。
あっさりとオーケーを出したことに、アドニスさんは戸惑いを感じているようだ。
困ったように眉を下げる様を見て、私はますます笑みを深める。
チャラ男説が、どんどんと濃厚になっていくからである――…。
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それからの数日間。
私は、アドニスさんと交流を深めることに尽力した。
アドニスさんのチャラ男説はほぼ確定で、一挙一動に身を高鳴らせる毎日だった。
チャラ男キャラといえば、明るさに裏に隠された孤独感は必須萌えアイテム。
まだその実態は掴めていないが、キャラが確定された以上は間違いない。
あとは、少しずつ謎解きをして綻びを解いていくだけだ。
どうやら、彼の寂しさは根深いようで。
さすがに心を完全に開いてもらえるまでには至っていない。
だが、私に本音をぽつぽつと漏らすようにはなってきたのだ。
彼と分かち合える日も、着々と近付いているといえるだろう。
「あっ!アドニスさーん!おはようございます!!」
「…ユメノさんですね。おはようございます」
背中であったとしても、アドニスさんのことは見逃さない。
今にも遠くへ行ってしまいそうだったため、大声で名前を呼び引き留める。
心の中に私という存在を置き始めたのだろうアドニスさんは、振り替えることなく私であると当ててみせた。
むふふ、と思わず笑ってしまう。
「アドニスさんアドニスさん。今日がいよいよ貴族の方との対面の日ですね…」
「ええ、ようやくですね…」
「緊張して、昨日は夜も眠れませんでしたよー!」
「そうお変わりないようですが」
「人前では、いつも明るく振る舞おうって決めているんです!でも、実は繊細なところもあるんですよ…」
今日でアドニスさんとは一時的にお別れになる。
私は、貴族の家に預けられることになるのである。
アドニスさんとの暮らしの中で、私の恋心は徐々に積もっていった。
そのため、訪れると分かっていた別れであってもつらくてたまらない。
いずれ再会の時が来ると分かっていても、胸を締め付けられるような気分だ。
――そう。
この別れは、アドニスさんと結ばれるためには仕方がないことなのだ。
恋にイベントは付き物なのである。
その日に備えて、別れの到来その時まで、私はアドニスさんの好感度を上げ続ける。
だーいすき、私のヒーロー!
当然のことながら、アドニス・ベイツと夢野愛花が結ばれることはありません。
幸いだったのは、彼女は乙女ゲーム中毒症なだけで、それ以外に害はないということです。
このことから、「善人なおじいちゃん貴族の家で孫娘のように見守られる」という運命が待っています。
夢野愛花にとってそれが幸福かどうかは、言うまでもないことですが…。