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短編集

異世界

作者: 海野もずく

朝。


閉じられたレースのカーテンから滲むように覗く朝日。寝起き特有の怠さと軽い頭痛。あまりいい目覚めではないと感じながら、俺はゆっくりと目を開けた。


しばらく眠気まなこで天井を見つめていた。やがてぼんやりと脳みそが覚醒していき、布団を被ったまま辺りを見渡した。


俺の部屋だ。間違いない。六畳ほどのフローリング、白いカーペット、小型の安い薄型テレビ。その脇には漫画本が詰まった本棚に、元カノが寄越した黄色い写真立てが乗っかっている。もう一度言うが、ここは確かに俺の部屋だ。


そこまで考えて気づいた。なぜ俺は部屋を見渡して、そこが自分の部屋だなんて、そんな当たり前のことを確認しているんだ?


俺が俺の部屋で目覚めた。当たり前だ。今まで何回も繰り返してきたはずのことなのに、どうして俺は、辺りをキョロキョロと見渡しているんだ。


取り敢えず起きよう。そう思って体を持ち上げようとしたとき、俺は初めて違和感を覚えた。


掛け布団が俺の体に乗っかっている。それも、俺の体全体を隠すように、肩まですっぽりと覆いかぶさっている。


自慢じゃないが、俺は寝相の悪さでは誰にも負けないと自負している。寝相の悪さで彼女に振られたこともあるくらいだ。


つまり、そんな俺が朝まで掛け布団に埋まっているなんてことはあり得ないのだ。事実、そんなことは今まで一度もなかった。


なんだか怖くなり、布団を剥いで立ち上がる。とにかく服を着よう。そう思って箪笥に近づいた時、俺はまた、おかしなことに気がついた。


服を着ている。青いチェックのパジャマだ。確か、押入れの奥で眠っているはずの物だが、俺はなぜか今、それを着ている。


おかしい。俺は寝るとき、いつも全裸と決まっているのに……。


次第に頭が混乱してくる。なんだ、俺は一体どうしてしまったんだ。いや落ち着け。そうだ。昨日のことを思い出すんだ。昨日の状況を思い出せば、きっと今の現状が見えてくるはずだ。


俺は昨日、バイト上がりでそのまま家に帰った。それは間違いない。あ、違う。確かそのあとケータイに電話が入って……。そうだ。タカだ。大学時代の友人だったタカから電話が入って、飲みに誘われたんだ。思い出したぞ。二人で居酒屋に入って、それで……。


あれ。


思い出せない。タカと居酒屋に入ったところまでは思い出せるが、それ以降の記憶がない。なんだ、飲み過ぎたのか。いや、俺は酒には強いし、今まで記憶を無くすまで酔っ払ったことなど一度もない。じゃあ、なんで。


再び混乱状態な陥る中、俺はなんとか落ち着こうと、取り敢えずカーテンを開けることにした。


窓の外には、なんてことはない、いつもの風景が広がっていた。アパートの2階から見える景色はいつもと変わらない。目の前の小さな路地に設置されたゴミ捨て場、その向こうに空き地。頭上には電線が通っており、いつも通り、たくさんのカラスが肩を並べ、奇声を発して……。


いない。毎朝集団で電線に止まり、人々の安眠を妨げていた憎きカラスどもが一匹もいない。そうだ。そう言えば今朝はやけに静かだ。不気味なくらいに。そうか、俺も無意識にそのことに気づいたからこそ、寝起きに違和感を感じていたのかもしれない。


もしかしたら外で何かがあったのかもしれない。枕元にあったリモコンを手に取り、テレビを点ける。


点かない。何度リモコンの電源ボタンを押しても、テレビ画面は真っ暗のまま、うんともすんとも言わない。壊れたのか、こんな時に。


待て、何かがおかしい。こんなタイミングでテレビが壊れるか。カラスどもはどこへ消えた。なぜ俺はパジャマを着て、すっぽりと掛け布団を被っていたのだ。


もしや、誰かいるのか。


そうだ。タカだ。タカがいるのかもしれない。酔いつぶれた俺を自宅まで連れ帰り、パジャマを着せて布団をかけてくれたのかもしれない。そして俺が布団を剥ぐ度に、掛け直してくれていたとしたら、カラスとテレビ以外の疑問は解消される。


俺は部屋を出て、押入れ、キッチン、風呂場、トイレと覗いていった。部屋にタカの姿がない以上、そのどこかにいるはずなのだ。


しかし、タカの姿はどこにもなかった。タカじゃないのか。じゃあ誰が、いや、誰もいない。それは今確認したじゃないか。


あー、あー、バン


声を出し、壁を叩いてみる。何も違和感はない。声は聞こえるし、手は痛い。ものも見えるし匂いもわかる。つまり俺自身がおかしいわけじゃない。


やはり思い過ごしか。酔って帰った俺は、意味もなくパジャマを取り出してそれを着て、酔っていたからぐっすり眠って寝相も良かった。カラスがいないのもテレビが点かないのもたまたまだ。深い意味があるわけではない。


時刻は午前八時。そうだ。タカに電話してみよう。もしかしたら詳しい事情を知っているかもしれない。テレビの前に置かれていたケータイを手に取り、タカの電話番号をプッシュして耳に当てる。


たった2コールで電話は繋がった。


「もしもし、もしもし!」

タカの声は妙に切迫感があった。

「おう、タカか。悪いなこんな朝早く」

「そんなことはどうでもいい。お前今どこにいるんだ!」

な、なんだ。この焦り様は。

「ど、どこって、家だよ。自分の部屋に……」

「何言ってんだ。お前昨日トイレに行ってそのまま消えやがって、心配になって探してたんたぞ」

「あ、マジ?そっか、悪かったな。それでお前は今仕事か?」

仕事じゃないなら、会って謝ろうと思った。心配性なタカのことだ。きっとあちこち探し回ってくれたのだろう。

「違うよ!俺は今…」


「お前の部屋にいるよ」


は?

「お前がどこにもいないから、さっき大家さんに無理言って開けてもらったんだ。でも、お前の部屋、なんでか空っぽで、家具とかも全部……」


何行ってるんだこいつ。俺の部屋? いないじゃないか。ここには俺しかいない。タカなんかいない。俺しか……。


俺しか?


なぜテレビが点かない。カラスがいない。それは、映す人も映される人もいないから。カラス自体が消えたから。


違う。そうじゃない。俺だ。俺が、消えたんだ。


まさか。そんなことあるはずない。俺は急いで玄関に向かった。きっと何かのいたずらだ。タカもふざけているだけだ。外に出ればきっと、いつも通りの朝だ。俺が、おかしなことに巻き込まれるはずがない。そんなはずない。そんなはず……。


玄関が開かれる。靴も履かずに、俺は外へ飛び出した。



ああ 違う。違うよ。



どこだよ。ここ。



嘘だ嘘だ。なんだよこれ。おかしいだろ、おかしいだろ。どこなんだよ、皆どこなんだよ。俺はどこだよ。どこに消えた。カラス、テレビ、タカ、どこに行った。


そのとき、ふっと、頭の中に二つの言葉が浮かんだ。パジャマ、そして布団。


俺にパジャマを着せた奴。布団をかけ続けた奴。


耳元で、男とも女ともとれない不思議な声が囁かれた。



「ようこそ」



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