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後編

 今現在、男子トイレの鏡の前に立っているのは中年眼鏡メタボバーコードハゲ男、元川武である。中の人云々とかではなく、正真正銘身も心も序に体脂肪率も。


「なんで思い付きもしなかったんだ……。でも、よかった……」

 自己嫌悪に満ちた長溜息の後、武はどっと安堵の息を吐く。

 あの後、美少女、もとい武は誰にも見咎められない様に何とか三階男子トイレの鏡の前迄何とか戻って来ると、『光の中の真実を、今此処に』と、変身解除の呪文を唱えた。ただそれだけで元の姿に戻り、あっさり事態は解決したのだ。変身アイテムを今持ってきていない=変身できないと云う訳ではないと言う事を、変身してしまった事で証明された訳で、それは即ち解除もまた然り……と云う事である。

(寿命が5年は縮んだ。若し此処に百華がいたなら、なんてリアクションをされるやら)

 笑うか呆れるか怒るか。今ひとつ掴みどころの無いあの人外婆の腹の内は武にはさっぱり読めなかった。 

(……。まさかあの婆さんが裏で一枚噛んで居ないだろうな。さっき変身した時は気が付かなかったが、何処かで見ているんじゃ)

 若しかして何処かで嘲笑っているんじゃなかろうか。そんな風に周囲から温厚で通って居るこの男ですら邪推してしまうのは、日頃の過酷な強制労働の所為であろう。この二人は基本的にあまり信頼や信用の構築できない関係である。


「係長ー?元川係長ー?」

 二階から登って来た相川の声が聞こえた。鞄やエコバッグの中に詰めておいた変身後の装束類は変身解除と共に跡形もなく消え去っており、恐らく同じ荷物を持っているとは思われまいと判断した武は、もう出てきても大丈夫だろうと判断し、律義に待っていてくれた部下に、待たせた事の謝罪の後、漸く帰る事となった。


「そういえば係長、さっきすごい可愛い外国人パートが、こっちの方に来てましたよ。見ました?」

「……さ、さあ」

「あ、係長の鞄ってその娘と同じですね。流行してるんすか?」

「……いやあ、三年くらい前に買ったやつだしなあ」

「大丈夫ですか、何か顔色悪いですよ?トイレにずっと居たみたいだし」

「あ、ああ……ちょっと腹具合がねえ。最近気温差が激しいからね」

(頼む、相川君忘れてくれ……。それにしても、結局百華は見えなかったな。……でも、なんで変身したんだろうか)


 さて一方。場所は変わって、至ってごく普通の住宅街にある一軒家。時を遡る事約数十分前。

 武の一人娘、緑は夕方、習い事から帰って洗面所で手を洗ったあと、銀色に光る何かが置かれているのに気が付いた。

「なんだろうこれ?綺麗…。あ!お父さんのかなあ?」

 それは、最近彼女の父がネクタイに付けている赤いラインの入ったタイピンだった。洗面台の横に置かれたそれを不思議そうに手に取ると、くるりとひっくり返して裏面を見る。

「えーと、『kibou no hosiyo ima kokoni』…?」

 小学三年ともなればローマ字は普通に判るので、タイピンの裏面に彫られたそれを読んでみた。然しその文字がメーカや産地、或いは其れ以外の何かなど、いったいどういう意味のものなのかについては彼女には良くわからなかった。考えても判らないので特に気にせず、父の書斎の机の上に置いた後、母親に呼ばれて晩御飯を食べ、塾と学校の宿題に取り掛かる事にした。

 

 それから更に一時間程後、お風呂から上がった後居間でテレビを見ていたら、父の武が帰って来たので、立ちあがる。

「ただいま」

「あ!お父さんおかえりなさい!ねえ、ビール持ってこようか?」

「頼むよ。ありがとう緑」

 そんな何時も通りの父娘の他愛の無いやり取りをして、緑は武の夕飯の準備をする母親を手伝いながら缶ビールをテーブルに置くと、こう切り出した。

「ねえお父さん、さっきね、洗面所で長方形の赤い線の入った棒みたいなのが置いてあったの。あれってお父さんのかなあ?って思ったから、書斎の机に置いたんだよ?」

 如何だろう?と緑が首を傾げて問うてみると、武はああ、と頷いた。

「ああ、そうだよ。今朝うっかり忘れちゃったんだ。ちゃんと片付けてくれたんだね、有難う」

「あの新しいの、最近毎日つけているわよね。気に入ってるの?」

 そう尋ねるのは妻のさつきである。

「ハハハ、お洒落ってほどではないけれどね」

 不意にタイピンの事に付いて触れられ、出来る限り平常心を保って見せた。

(気付かれてないだろうか。夫婦の間に隠し事をすると妻は勘づくって言うけど、まさか妙な勘違いとかされて居ないだろうか)

 そんな心配性気味な思考を巡らせる武の顔色はすこぶる冴えないが、その辺りは仕事で疲れているという言い訳は既に準備済みである。実際秘密の重労働をしているので嘘とも言い切れない所ではあるけれども。

「あれってお父さんの大事な物なんだ!裏に文字が書いてあったけど、もしかして『ぶらんど』ってやつ?」

 そろそろお洒落な者に目が行く年頃の少女である。ちょっと目を輝かせてそう問うた。

「……え?あ……」

(そういえば忘れない様に呪文を彫ったんだ!……まさか。)

「いやいや、そんなに高い物じゃないよ。高い物なんてお母さんに聞かないで買わないから」

「そっかー」

「もう、別に尻に敷いてなんかいませんよー」

(ま、まさか……そうか、そういうことなのか……?)

 なんとなく妻への弁明っぽくしてみせれば軽く拗ねた様な口調で返す。そんな軽口めいた楽しげな応酬をしながらも、武の内心は色んな思考と感情が渦巻いていた。推察と自己嫌悪、あとは例によってあの人外婆への不信感などである。

(そうだ、きっと緑が口に出して読んでしまったんだ。……緑は悪くない。全部俺が迂闊だったと言うだけだ。いや、こんな遠隔でも使えるなんてとんでもない仕様にしたあの婆さんがそもそも悪いんじゃないだろうか……)

 百華に対して武が言いたい文句は山ほどある。がしかし、目の前にいる愛する妻と娘の為に、逆らう事は許されない。若し正体が世間にばれたとしたら、彼女達も世間の好奇の目に晒される事になる。若し自身に何かあったとすれば、家族は如何なるのかと考えずには居られないのだ。

(出来るだけ早くもとの普通のオッサンとして生きていきたい……)

 今回はじつにしょうもない理由でピンチに陥った訳だが、妖怪根絶は未だまだ先の事であるのは明白であった。

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