第0話 秘密と魅力と希望の美少女戦士、参上!
―これは、ヒトが闇に恐怖していた時代を遠くに置き去りにしてしまった事に対する、見えざる世界の者達からの復讐なのだろうか。
雑居ビルが立ち並ぶ、そこそこ程度に栄えている程度の駅前の裏路地界隈の、薄暗い場所。そういう場所で、人の身体の一部を喰らう妖怪が居るという妙な噂が囁かれるようになったのは、今から約半年前の事だった。
夜中にひとり人気の無い細い路地など歩いていると、音もなく、何処からともなく何時の間にか『そいつ』は現れるという。それは狐のような、栗鼠のような、犬のような…とその時々によって大きさも形状も一致しない。見た者によって見える姿が違うのか、或いは別々の個体なのか。何れなのかは解らないが、 共通点は全身真っ黒一色。それと、人間の他に野良猫等の手足の先を、一瞬のうちに喰いちぎっては、まるで煙の如く消え去るという。
最初は勿論、現代の常識の範疇に則り、悪質な通り魔、或いはたちの悪い害獣が出たのではと誰しもが思っていたが、被害者の年齢性別はバラバラ。人気がない場所で起こったという事以外、地域や交友関係にも何の接点も見いだせず。
それに夜と言っても、日が暮れたばかりの頃から夜明け間近と時間も一貫しておらず。警察に通報しても、現場にそれらしい獣の毛も無ければ凶器どころか足跡の特定も出来なかったという。一番ひどい被害は今のところ指三本喰われたという話で、事件発生の間隔は短くて四日、長くて二週間。人間外の生き物に範囲を広げれば毎日なのではとすら言われている。最初は首都圏を中心として発生していたが、今は全国にまで広がっており、徐々にマスコミ関係もその話題を取り上げる頻度が上がっていった。稀に逮捕される者が居ても事件に便乗した愉快犯や模倣犯と言われる類の連中ばかりで、結局は根本的解決には至っていないまま。
謎が謎を呼ぶその正体不明の黒い獣は、誰が呼んだか『妖怪ゆびきり様』
現代の怪談などと呼ばれ何の解決もせず、ただ夜間の人気のない場所での一人歩きはやめましょうとテレビCMで注意喚起が毎日繰り返されるばかり。
けれどもそんな警察の手に余るような奇怪な状況に人々の不安が募るばかりだった状況は、ネット上のある動画サイトに投稿された映像を期に、少しずつだが変わりはじめていく事となる。
それは、人気のない薄暗い裏路地の、ここ最近では誰も一人では近付きたがらないような『いかにもな場所』。赤茶の長いツーサイドアップの髪をなびかせる、赤い近未来的趣のある不思議な装束に身を包んだ少女が、犬のような形状のゆびきり様の、眼で追う事も碌に侭ならない程の猛攻を超人的スピードで華麗にかわしながら壁を駆け抜け、丸い円盤状の刃を投擲して相手の真っ黒な身体を切り刻んでゆき霧のように消失させると、少女もまた、ふっと姿を消していってしまうという、実に不思議な光景だった。
最初は誰しも本当に本物のゆびきり様を倒しているだなどと思わず、誰かが面白半分で作った嘘まみれの虚像だと思った。或いはゆびきり様の事含め、そもそも全部仕掛け人のいるヤラセだといった疑惑すらをも浮上した。
しかしある時は九州、ある時は関東や東北など、各地方でのゆびきり様によると思われる被害者の報告が徐々に減少。そしてそれに比例して全国に同じ少女と思しき姿の目撃情報も増え始め、偶然にも撮影出来た少女とゆびきり様との交戦シーンに至っては、ネットにアップされるや否やとてつもない再生数となり、テレビなどのメディアでも、それはもう様々な専門家が「あれは本当に本物であると思われる」と大変それらしい根拠を並べ立て、ついにはゆびきり様に襲われている所を救われた女性がテレビ出演を果たし、体験談を語るにまで至るのだった。
そうなってくると皆が気になるのは、突然現れた謎の少女の正体である。彼女は美しかった。肌理細かい白い肌、赤い装束に白い膝丈のプリーツスカートから覗く細くしなやかな肢体、涼やかな青い瞳に端正な顔。最初は何処かの新人ハーフ女優か何かと思われていた程で、愚かな事に浅はかな弱小事務所が在籍を匂わせ、散々勿体ぶって煽っておきながら結局嘘と判明するなどの茶番劇まで起こったものの、最後はどこの事務所もそんな女性は在籍しておりませんと否定。 或いはその身体能力からアスリートではという噂も出たが、それも不明のまま。
そして今日もまた、とある駅前の雑居ビル群の屋上。
朧月夜をバックに、近未来的な趣のある独特の赤い装束に身を包んだ美しい少女が、幾つものビルの間を軽やかに跳躍する。対峙するのは夜空を高速で舞うヘドロめいた質感に不気味な巨大蝙蝠めいた形状の、人を襲う化物・ゆびきり様。どちらかが逃げる側とまたそれを追う側と云う訳ではなく、互いに攻撃を繰り出し、また相手の反撃をかわしながらを繰り返す。
「……ハァ……はぁ………!くぅ……、フライングシザー!」
少女の必殺技の一つである空飛ぶ鋏を長い舌先で絡め取りながらも、蝙蝠は見逃さなかった。十数分間の応酬の末、少女の動きに僅かではあるが陰りが出るのを。その瞬間を見計らい、喉奥からもう一つ、先端が刃の様に鋭利な舌を伸ばして。空中で自在に繰られた鋏が捕らわれた事により彼女に生じた一瞬の隙を狙う。
鞭のように容赦ない、眼にもとまらぬ音速で少女の胴体めがけて繰り出された漆黒の舌先が、赤い装束に触れるか触れないかまで肉薄したのと同時。
「……プリズムカッター!」
少女が横跳びでそれを回避しながら紡ぐ詠唱と共に差し出した掌から華麗に繰り出したるは、螺旋状に舞う七本の虹色の刃。黒い身体は舌先ごと切り裂かれ、霧のように霧散し、跡形も無く消えてゆく。
数秒後、少女がゆびきり様を退治したと確信した、一連の遣り取り近くで見ていた野次馬達から歓声と拍手が巻き起こる。デジカメで撮影している物やパソコンや携帯片手に実況している様な輩も少なくは無い。果ては危険が無くなったと判るや否や、少女に接近しようとビルの屋上まで向かう者迄出る始末。序に云うなら警察やビルの持ち主だって野次馬どもと違って正当な理由が在るので黙って指をくわえている訳がなかった。
けれども、そんな彼女は群がってくる誰にも追う事も捕える事もできない。
どんなに目を凝らしても、どんなに辺りを探しても、まるで霧散したかの如く消えているのだ。
……先程の黒い化物と同じ様に。
赤い少女が漆黒の妖を狩った後、妖の死骸はおろか、彼女の髪の毛一本たりとも完全に痕跡を残してなどいなかった。どれほどに手法を凝らした現代の科学捜査班が何度調査を試みても、さっぱりのお手上げ状態なのだ。
謎が深まれば深まるほどに、それを知りたいと思うのは人の性。まるでテレビの特撮の様なありえない怪奇現象と、世にも不思議な正義の美少女ヒロインに、皆が注目していた。
「はぁ……あー!どうして疲れてるのに放っておいてくれないのか……」
果たしてこの非日常は、どんな結末を迎えるのだろう。別の何処か。絶対にばれる心配がなくなって後、息を切らして一人呟くのは―