その六:楽しかったよ。
その日も、イズルゥはいつもと同じく淡々と、私を迎えた。
「遅かったな」
遅れてねーよ。睨んでも、またニヤリを笑うだけで受け流す。
「行くぞ」
そう言って歩き出す。私はため息を押し殺して、後を追う。まったく、この男の行動原理は良く分からん。
あの二人で最後の起動に出かけた日から一週間。私はいつぶりか、平和な日常を過ごしていた。何だか、最近毎日あっちいって悶え、こっちいって恥じ入り、精神的にガリガリ磨耗する生活だったので、日常が戻って逆に拍子抜けして抜け殻になったくらいだ。
久々に、私が穏やかな心持でバイトをしていると、あれ以来音沙汰一つよこさなかった異星人が、いつものごとく突然に現れた。
「今日、時間あるか?」
誠に残念ながらバイトのあとは何も予定がなかったので、私の頭部は勝手に首肯していた。一緒に仕事してた先輩がものすごい形相で私たちを見ていたけど、以前のイズルゥの奇行を知っていれば当然だろう。
そうして待ち合わせた場所で、開口一番に文句を垂れたイズルゥは、何だかいつものイズルゥで、私は密かに拍子抜けしていた。
「ねえ」
「…」
「ねえ」
「…」
「ねえ、イズルゥったら」
「…なんだ」
うーん、やっぱりいつもと違うかも。
「どこいくわけ?」
いっつも似たような質問してるな、私。
「いいところだ」
その笑みで言われても胡散臭いものしか感じませんね。そして案の定、イズルゥが向かったのは、丁度大学の裏手にある、木が茂る小高い山の上だった。この辺りは、街の中でも、大学以外に建物が少なく、ちょっとした田舎のような雰囲気になっていて、あたりも街中より数段薄暗い。確か、何回目かの起動作業で来た覚えがある。てか、お星様が瞬くこんな時間に、こんな場所で、一体何するつもりなんだあんたは。
まさか…。
「へんな事を考えているだろう」
「何も言って無いじゃん」
「言おうとしただろう」
「何故分かった」
「それくらい分かる」
くだらないやり取り。うん、一週間ぶりだけど、何か落ち着く。って、何でだ。
「とにかく、別に変な気を起こそうというわけじゃない」
「じゃあ」
「礼をする、と言ったろう?」
「…おお」
一瞬押し黙ってから手をポンとした私に、イズルゥがいぶかしむ視線。
「思ったより反応が薄いな」
はい、すいません忘れてました。
「以外だな」
「自分でも驚きですはい」
どうやらいつもどおりでないのは、私も同様らしい。
「ねえ」
「何だ」
「お礼って何?」
「…来れば分かる」
イズルゥは山を登り続ける。鬱蒼としていて、登るのは骨が折れたけど、さほど時間も掛からずに頂上に辿り着いた。
そこで、イズルゥが振り返った。
「見ろ」
イズルゥが体をどけると、
「わあ…」
満点の星空が視界一杯に広がった。普段何気なく見ているものだが、いつもより少しだけ周囲が暗く、少しだけ空に近い分、どこか澄んだ空の色に見える。
と、そこで、私は冷静に。
「…これだけ?」
いや、確かに綺麗だけど。うん綺麗だよ。でも、何だか、物足りないかな。
「少し、待っていろ」
苦笑したイズルゥが言った。待ってて何かあんの? その質問には答えず、私とイズルゥは、静かに星空を眺めた。
「そろそろだ」
イズルゥが言った。何が? と聞こうとした私だが、口を開くことは無かった。それどころではなかった。
イズルゥが言った瞬間、私の周囲から燐光が発する。蒼いような紫のような緑のような、不思議な色合いの光が森を照らす。すると、一瞬のうちに光が一点、私たちの目の前に収束し、天に突き上がった。
弾けた。
「な」
とりどりの色の光が、満天の星空に弾けた。何本もの天に昇った光の束が、そして私の目の前から舞い上がった光が、まるで花火のように星の輝きの隙間に飛び散り、しかし花火の何倍、何十倍の鮮やかなスペクタクルを繰り広げている。
「す…」
凄い。
凄い。
パッと飛び散る光。絡み合う色の粒子。
まるで、夢か幻のように、綺麗だった。
「奴らの無人機が燃え尽きていくんだ」
傍らのイズルゥが言う。
「この光景は、俺たちにしか見えてない。他の場所には迷彩膜が張られている」
これを、貴女に見せたかった。
私はイズルゥを見る。イズルゥは、どこか寂しげな目で、空を見ていた。
「これで、全て終わりだ。これで、この星は救われるだろう」
本国のほうでも、もうすぐ決着がつく。
ああ、終わりなんだな。再び極彩色が飛び散る空を見上げ、私は思った。弾けた光はゆっくりと四方に拡散し始め、先ほどの壮麗さとは違う、静かで儚げな美しさを広げていた。
「貴女のおかげだ」
私は空を見上げている。
「私は…」
私は、空を見上げている。
「ありがとう」
私は、空から目を離さない。
「これで、俺の役目も終わりだ」
私は、光散り行く空を見上げ、言う。
「私も、意外と楽しかったよ」
あなたと話すのもね。そこは声に出さなかったが、それでもイズルゥは小さく息を呑んだ。
「そう、言ってもらえると、俺も嬉しい」
ポフッ、と、頭に暖かさ。それでも私は空を見上げている。
「じゃあな、サエ。ありがとう」
手が離れる。弾けた光は終息に向かい、星空はいつもの顔を取り戻し始める。それでも、私は空を見上げていた。隣には目を向けなかった。目を向けるべき存在はもうそこにいないことは、分かっていたから。
ふと、星の光が滲んだ。どうしたんだろう。薄く雲でもかかったのだろうか。予報では、今日も明日も快晴だったはずなのに。だが、すぐに、星だけでなく、視界に映る全てが、ぼやけていることに気付いた。
そう言えば、名前呼ばれたのは初めてだった。
今更気付き、私は妙な感慨に耽っていた。滲む視界は、単に埃が目に入っただけだと、努めて自分に言い聞かせながら。
夏の夜は、静かに更ける。




