変態たちの青春
俺は変態なのだと気付いた。正確には、自分の中にある変態性が1つじゃなかったことに気付いた、というべきか。とにかく話は1年前にさかのぼる。
その日は高校時代所属していた漫画研究会の同窓会だった。特に仲の良かったのは俺達が1年の時の代で、当時3年だった先輩が赤ら顔で訊ねてくる。
「懐かしいなぁ、佐野。今何してんだ?」
「普通にサラリーマンです」
何度目だ、と思いながら答えた。最初聞かれた時より大分さっぱりした適当な答えだとは自分でも思ったが、酔いが回った人間にはそれでも満足らしい。「そうかそうか、頑張れよ~」と頷いて、ジョッキを持って俺以外の同期に絡みに行った。
佐野というのは俺の名字だ。部員数の少なかったうちの部では誰一人として苗字がかぶらなかったので全員苗字で呼んだ。
「森先輩、すっかり酔っちゃってるねぇ」
「神谷先輩も顔赤いですよ」
「あれ、本当? そんなに飲んだっけ、俺」
のんびりと受け答えするのは神谷朔太郎先輩、俺の1つ上である。思えば、当時からこの人が一番普通で不思議だった。
さらにさかのぼって高1の時の事。部活紹介の普通さに騙されて入部した後、中学時代の先輩から聞いた噂が本当だったと思い知った。
”漫画研究会は変人・変態の集まりだ”
なるほど、変人と変態の集まりだった。
例えばさっき絡んできた森先輩は、カモフラージュの仕方が変だった。よくやる漫画に別の小説なんかのカバーを被せてカモフラージュするやりかた、それをかなりマニアックなエロい雑誌でやっていた。しかも同じ大きさの雑誌を外側に置くだけならまだ分かる。同じ大きさの雑誌の表紙を千切りとって貼り付けていたのだ。しかも切り取り方が雑すぎて、表紙のエロさをより際立たせるというもはやカモフラージュなんだか先輩の特殊性癖なんだか分からないことになっていた。まずそんなものを学校でわざわざ読むなとか、そんな無駄なことするぐらいなら堂々と読めばいいじゃないかとかいうツッコミは、残念ながらこの人の耳には届かないのである。
他も大体似たようなものだった。突然てんでバラバラの衣装を制服の上から身に着け、何だと思っていたらリアルRPGだとか訳の分からない事を言って校内を練り歩く4人組(哀しいかな、全員俺と同期)だとか、1日10告白とか言って毎日10人の女子(学年問わず)に告白して玉砕してのける先輩とか。約10人の部員のほぼ全員がこんな感じで変人もしくは変態だったので、校内では”漫画研究会”という立派な名前があるにもかかわらず、”変態研究会”と呼ばれていた。確かに漫画の話は欠片もされてなかったが、変態の研究もしてなかったので未だに釈然としないものがある。
こんな部活に、何故か1人だけ普通の人間が交っていた。それが神谷先輩である。
この人は本当に普通だった。キングオブ普通と言ってもいい。この部にいるとそれだけで何故か同級生達から一歩引かれた、腫れ物に触るような扱いを受けるのだが、この人にはそれが無かった。それどころかいつもニコニコ微笑んでいて物腰も柔らかく、言動もまともで顔立ちもそこそこ整った柔和な顔をしていたので男女問わず人気があった。その上、周囲も互いの親も公認している彼女までいた。正確にはこの頃はまだ付き合ってなかったらしいが、大学に入ってから付き合い始めたのだという。
そういえば1度、その彼女が話題に上がったことがある。というよりむしろ、この時彼女の存在を知った。
「どうやったら女は振り向いてくれるんだ、答えろ神谷!」
「え、えぇ? 俺に聞かれても分かりませんよ」
全く女子がいないむさ苦しい部室でその日も元気良く玉砕してきた先輩が神谷先輩に泣きついた。それに対して神谷先輩は男にしては高めの声に戸惑いを滲ませながら答えた。
「うるせぇ、お前彼女いるんだろ!? どうやったんだ、どうやったら彼女できるんだ!?」
「え、神谷先輩彼女いるんすか!?」
今日は袴に野球のヘルメットという謎の衣装を身に着けた同期の1人がそれに喰い付く。迫られた神谷先輩はといえば、耳まで赤くして目を回す寸前だった。
「と、とりあえず、彼女いないから!」
「あ? 嘘言ってんじゃねぇぞ、お前こないだ『朔ちゃん』って呼ばれてたろうが。しかも手作り弁当付きで。高2の分際でもう愛妻弁当ですか、彼女いねぇ奴に見せつけてんですか。ふざけんなよコラァッ!!」
「さ、佐野君、ヘルプッ!」
「すんません、無理です」
「えええっ」
傍観していた俺にヘルプを求められても、俺には野獣退治なんてできないので断った。すると神谷先輩は尻に火のついた野獣を必死に宥めてみせた。うーん、有能。
「あの子は、俺のいとこなんですよ!」
曰く、彼女さんは小さい頃に母親と死別して父親と2人暮らしをしているのだが、神谷先輩から見て叔父にあたる父親が家に早く帰れない日は年頃の女の子1人では危ないからと神谷家に預けられることがままあるのだとか。で、先輩が目撃した日の前もちょうどそういう日で、お世話になったお礼にと彼女さんが作ってくれた弁当を、もったいないことに神谷先輩が忘れて行った。で、彼女さんがそれを届けたところを運悪く目撃された、と。
「そうそう、”彼女さん”ってところ以外全部その通りだよ、佐野君。まとめるの上手いねぇ」
嬉しそうな顔で神谷先輩に褒められるが、先輩、さり気に”彼女”ってところ否定しましたね? 何が悪いんですか。
「悪いっていうか……うん」
「うん、じゃねぇよ神谷。お前その子と話すだけで真っ赤になってたじゃねぇか。絶対ただのいとこじゃねぇだろ」
「そ、そこまで見てたんですか!?」
うわーっと声を上げて頬に手を当てる神谷先輩は、ここにいる誰もが飢えている女子成分を多分に持っていた。そのまましばらく1人で悶えていた神谷先輩は、やがて顔を真っ赤にしたままぽつぽつと呟き始める。
「……その、ですね……幼稚園の頃に”将来結婚しよう”とかふざけて言ってたんですよ……。でもですね、俺の方はふざけてたつもりじゃなくて、結構本気で……。でも、どんどんその子が可愛くなっていろんな男子に告白されるようになりまして……全部断ってるって聞いた時、俺も断られるんじゃないかって怖くって……」
おお、純愛――なんて言ってくれる良い奴は残念ながらこの部にはいない。
「よし分かった、今すぐ玉砕してこい」
「ええええっ、何でそうなるんですか!」
「馬鹿野郎、チキン野郎! ビビッてる暇あったらさっさと確かめてこいよ! そんで玉砕して俺と同類になれ畜生!!」
ここで嫌だとか言ったら怒られるなー、と思ったのは俺だけだったのか。神谷先輩を含めこの場にいた全員が「嫌だ!」と叫んだ。多勢に無勢とはこのことで、先輩はちょっと泣きそうな顔で「……そうか、俺と一緒は嫌か……」と呟いた。
「とにかく、それだけのことで彼女じゃないですから! それに叔父さんが結構怖くて、警察官なのに怒る時ヤクザみたいで……。そんな人に”娘さんをください”なんて俺には絶対無理です!」
「先輩、それはチキン野郎って言われても仕方ないですね」
「何で佐野君今日俺に厳しいの!? 何か悪いものでも食べたの? それとも小テストの点数悪かったとか?」
「残念、はずれです」
正解はこの謎の恋バナだったが、まあこの人達に気付けることは無いだろうと思った。今思えば若気の至りで済ませてしまえるような、青春の1ページというべきいい思い出である……たぶん。
「先輩は、何で漫研に入ったんですか?」
「ん~?」
さっきまで飲んでいた居酒屋を出てすっかりほろ酔い気分の神谷先輩に聞いてみた。この人に変態や変人の要素は見当たらない。誰にでも好かれる普通の人が漫研に入って辞める事無く3年間在籍し続けたのはやっぱり不思議だった。神谷先輩は普段以上ににこやかな顔で首を傾げている。
「何でだったかな~? 確か……ああそうだ、直接部室に行ったんだ。その時ちょうど普段通りの先輩達を見たんだよ」
「え……それ、逆に入りたくなくなりますよね?」
「佐野君も言うねぇ。うん、友達はみんな引いちゃってたけど、俺は逆に面白いなって思ったんだよ。ああいう馬鹿な事やれるのってやっぱり学生のうちだよね。今は無理だもん、だから周りには反対されたけど入ったんだよ」
……ああ何だ、十分この人も変だったんだ。ただ、周りが濃すぎて霞んでただけで、この人もまた変人の要素は持っていたんだ。
そこまで考えて、そもそもなぜ俺はこんなに神谷先輩を気にかけるのか考えてみた。出た結論は、ちょっと戸惑うものだった。
「……先輩、俺今1つ気付いたことがあるんですよ」
「うん?」
「俺、たぶんずっと先輩の事好きだったんです」
俺の言葉に先輩は目を丸くして、それから微笑んだ。
「後輩に慕われるのっていいねぇ。俺も佐野君のさっぱりしたところ大好きだよ」
余程嬉しかったらしい、当時から好きでよくカラオケに行っても歌っていた神谷先輩お気に入りのアーティストの曲を下手くそな鼻歌で歌い始めた。そんな先輩の横を歩きながら、俺は声には出さず先輩に反論した。
”好きは好きでも、俺のは慕ってるんじゃなくて恋愛感情だったっぽいですよ、神谷先輩”
横では上機嫌な先輩による下手くそな鼻歌が響き続けていた。
俺は人を観察するという結構変な癖があって、それが俺の変人たる証なんだと思っていた。ところが男に惚れてしまうというもっととんでもないものを持っていたらしい。手元にある結婚式の招待状を見ながら、それに気付かせてくれた人をぼんやりと思った。
”やっぱりあんた、普通じゃないかもしれないですね、神谷先輩”