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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ


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泉②

 桃泉堂は、リユースショップというよりは、昔ながらの質屋か骨董品屋のような佇まいだった。ショーウィンドウいっぱいに所狭しと並んだ壺や古時計や箪笥。軒先には、一枚板の看板に筆書体で『桃泉堂』と書かれている。左右のショーウィンドウの奥の店内は薄暗く、真ん中にある木製の扉には商い中の札が掛かっているが、なかなかに入りづらい雰囲気だ。

 店の前に、瑞貴は一人で立っていた。午後四時半。放課後すぐにここまで来たのだが、先ほどから店に入るか入るまいか、逡巡している。

 ブレザーのポケットには名刺と貨幣が入っている。貨幣はあれ以降、目玉もついていないし、喋らない。

 瑞貴は右の掌を目の前にかざした。この痕ができてから二週間くらい経つが、掌の痕は桃の形がさらに鮮明になっている。連続する不可解な出来事の手掛かりは、今のところこの店しかない。

(よし、入ろう)

 瑞貴はぐっと右の拳を握りしめ、意を決して店の木製の扉を押し開けた。

 チリン、と扉につけられた鈴が鳴る。重い扉を開けると、店内は思いのほか広かった。奥行きはあるが、こちらも所狭しと色々な物が並んでいる。品揃えとしては、日本の古物がメインのようだ。雑然としているようでいて、種類によってコーナー分けされている。家具や食器などの生活用品のほか、美術品や和服、古い楽器なども置いてある。店内には香が焚かれており、奥ゆかしい香りがほのかに漂っている。客は誰もいないようだった。店員すら見当たらない。瑞貴は物と物の間の狭い通路を通り、慎重に歩を進める。たくさんの古物が積まれたり吊るされたりしている店内は見通しが悪く、すぐに体がぶつかりそうになる。

『雄然、戻ったぞ!』

 突然、自分の懐から叫び声がして、瑞貴はびくっと身体を震わせた。その瞬間、胸のポケットに入れていた名刺の袋を弾けるように突き破り、ピョンと貨幣が飛び出した。

「えっ、あっ……」

 貨幣は、並んだ古物の上を器用にピョンピョンと飛び跳ね、奥にあるカウンターに着地した。なんと、貨幣には目玉だけでなく、小さな手足もついている。

 瑞貴は貨幣を追ってカウンターに歩み寄った。商品の置かれていない店の奥の一角にテーブルセットが設置されている。カウンターの向こう側にもスペースがあり、そこに置いてある座椅子で袴姿の男が寛いでいた。

「……やっと来たか」

 男は腹の上で両手を組んで座椅子に深々と座ったまま、満足そうに笑った。チェシャ猫の笑み。細い目が、なくなりそうだ。

「高村雄然さん……?」

 グレーの袴に細かい模様の入った黒い羽織を着た男は、ゆっくりと身を起こした。確かに、鴉に襲われた時に助けてくれた男だ。

「いかにも。兄さんが来るのを待っていたよ」

 カウンターの上で貨幣がまだピョンピョンと跳ねている。

『雄然、連れてきたぞ!お主の言った通りであったな!』

 にわかに、店の中が騒がしくなった。何かが軋むような音、ぶつぶつと低く呟く声のようなもの、店のどこかで何かが床に落ち、さざなみのように小さな金属の触れ合う音がした。

「あなかまたまえ、皆の者、滅されたいか」

 雄然は立ち上がると、ぴしゃりと言い放った。途端に、店内は静まり返る。貨幣も跳ねるのをやめ、カウンターの上で縮こまる。静かになったことに満足し、雄然は瑞貴に微笑みかけた。

「やはり、本当にホウジュなのだな。ものすごいエネルギーだ」

「エネルギー……。僕が?」

 雄然は頷き、カウンターの向こう側から出てきて瑞貴に近づいた。

「右手を見せてみろ」

 瑞貴ははっとした。そして、おずおずと雄然の前に右の掌を広げて見せた。雄然は手相でも見るように覗き込む。

「おお。素晴らしい。見事なホウジュだ」

「ホウジュ?」

「そう。宝の珠、宝珠だ。大いなる力が顕現しておる」

「どういうことですか?僕に何が起こってるんですか?」

 瑞貴の質問に、雄然は首を傾げ、小さく溜め息をついた。

「まったく何も知らんのだな」

「知りません。教えてください」

「兄さん、上条の血を引く者だろう。寒月峰かんげつほう神社の巫覡(かんなぎ)の」

 雄然は億劫そうに言いながら、カウンターの中に戻っていった。寒月峰神社は確かに、父親の実家の神社の名前だ。雄然は、カウンターの隅にある戸棚を開けたり閉めたりして、瑞貴の方も見ずに言葉を継ぐ。

「上条の巫覡の血筋には、百五十年に一度、宝珠が現れるのだ。宝珠は強大なパワーを持つ。森羅万象の生命力、霊的な力を増幅する力の泉となるのだ」

「森羅万象…」

「この世のあらゆる存在だ。中でも、妖怪やその類は、その顕現を心待ちにしておる。時を経て文明化を果たしたこの国は、だんだんと妖怪の棲みにくい世の中になっておる。兄さんには、妖怪などお伽話に思えるだろう。しかし、妖怪は今も生きてはいるのだ。弱くなった妖力を何とか絶やさないように、細々とな」

 雄然はカウンターの向こうでコーヒーをれ始めた。鉄瓶から湯が注がれると、目の醒めるような匂いが立ち上った。

「太古の昔から、人間と妖怪は共生してきた。上条家に百五十年に一度現れる宝珠は、人間や動植物のみならず、妖怪や鬼神の類にも活力を与えてきたのだ」

 カウンターの上に湯呑み茶碗が二つ置かれた。時代を感じさせるごつごつした焼き物の茶碗にコーヒーがなみなみと注がれている。

「上等の珈琲が手に入ったんでな。飲んでごらん。そして、承和じょうわ、お前にはこれだ」

 そう言って、雄然はカウンターの上で鳴りをひそめていた貨幣の前に猪口ちょこを置くと、一升瓶から濁り酒を注いだ。

『おお、有難い。妖力がみなぎっておれば、褒美の酒の味もまた格別だ』

 貨幣はそう喜ぶと、猪口の縁をよじ登り、自ら酒の中に身を沈めた。

 雄然が飲んでほしそうにしているので、瑞貴も湯呑み茶碗を受け取った。自分も満足げにコーヒーを飲みながら、雄然は話を続ける。

「今から百五十年前にも、上条家に宝珠は現れた。時は、江戸から明治に変わる頃。文明開化の影響で、多くの妖怪が妖力を保てなくなり、消えていった。宝珠である上条家の巫女は、そのいくばくかに妖力を与え、救ったのだ。その巫女の力は強大で、慈愛に満ちていた。そこで永らえた妖怪も、この百五十年で一部は滅び、今なお存在する妖怪ももはや息も絶え絶えだ」

 薫り高いコーヒーを口に含みながら、瑞貴は聞いていた。自分の身に起こっている不思議な出来事は、すべてそのせいなのだろうか。

「ときに兄さん、何か薬草を身につけておるのか」

 急に問われて、瑞貴はきょとんとした顔をした。薬草?……ハーブ?そう考えて、瑞貴はあっと声を上げた。鞄を開け、弁当の袋から、父親に毎朝渡される匂い袋を取り出した。

「これのことですか?」

 雄然は再び瑞貴に近づいてきて、匂い袋を手に取った。

「成程。よく出来ておる。これで魑魅魍魎ちみもうりょうから身を隠しておったのか。なかなか見つからないわけだな」

 匂い袋を鼻に近づけ、くんくんと嗅いで雄然は感心する。

「この香りは、宝珠であるその存在を見つけにくくする遮断の香りだ。これを作ったのは兄さんの血縁の者かい」

「僕の父です」

 それを聞いて雄然は大きく頷いた。

「上条の覡か」

 どうりで、匂い袋を家に忘れた日に限って、鎌鼬に怪我を負わされたり、鴉に襲われたりしたわけだ。

「抜け駆けはなしだよ、雄然」

 突然、店の入り口から女の声がした。扉を開ければ鈴の音が鳴るはずなのに、音もなく入ってきたのか。声の主は、立て込んでいる店内を、慣れた様子で入ってきた。新客は二人だった。瑞貴は息を呑んだ。あの女性だ。柄掛山で瑞貴を助けてくれたという女性。そして、もう一人は眼鏡の男性。海斗や吉田先生から聞いた、柄掛山で救助された時の話が蘇る。

「おやおや、ミンポキョウのおでましか。抜け駆けとは人聞きの悪い」

 雄然は二人を見てニヤニヤと笑っている。女性は今日は、モノトーンのトリックアートのようなハチの巣模様のシャツに、ブラックの細身のパンツを穿いている。外国のファッション誌から抜け出してきたかのように、相変わらず目立つ外見だ。一方の男性は、グレーのワイシャツに、カチッとしたデザインのジャケット姿。マッシュルームカットに丸眼鏡が特徴的で、全体的に上品で物静かな雰囲気だ。

「上条瑞貴くん。やっぱりあなた、宝珠だったのね」

 女性はハスキーな声で、雄然と同じことを言った。

「私の名前は島崎六花しまざきりっか。民俗保全協会のメンバーよ。こっちは相棒の陣野じんのあおい。」

「どうも」

 男性が初めて口を開いた。無表情で感情が読めない。陣野蒼ということは、昨夜スマホで調べた陣野医院の院長だ。島崎六花と陣野蒼は、まるで警察手帳を見せるかのように、身分証を掲げて見せた。

「民俗……」

「民俗保全協会。略して民保協みんぽきょう。私たちは日本の妖怪や神仏、霊的なものを保護する活動をしているの。国から委託を受けた外部機関よ」

「妖怪って、本当にいるんだ……」

 瑞貴がぽつりと呟いた。その言葉に反応して、猪口から貨幣がピョンと跳び上がった。

『いまや儂らには棲みにくい世の中だがな!』

「お前は黙っとれ、承和」

 雄然にいさめられて、貨幣はカウンターの上でおとなしくなった。

「まぁ、皆、座れ。六花と蒼にも珈琲を淹れてやろう」

 カウンター脇のテーブルセットを指さして、雄然は鉄瓶に湯を汲みはじめた。六花と蒼は慣れた素振りで椅子に座ったので、瑞貴は残った二つの椅子の一つにおずおずと腰かけた。

「今じゃ本当に妖怪を見つけるのも一苦労。彼らも人目を避けて暮らしてるからね。昔は人間を脅かしたり福を与えたり、人間と共に生きる存在だったのが、文明の波が押し寄せて人の心の余白に入り込めなくなったことで、妖怪の存続が危ぶまれているの」

「我々の活動は、例えれば、国際自然保護連合《IUCN》のようなものだ。妖怪の実態を調査してデータベースに登録し、レッドリストを作る。そして、絶滅回避のための施策を検討する」

 六花の説明に蒼が補足する。妖怪は、絶滅種や絶滅危惧種のニホンオオカミやトキみたいなもの、ということか。瑞貴は妙に納得した。

「そこへ、百五十年に一度の宝珠が現れたということよ」

 薫りの立つコーヒーの茶碗を六花と蒼の前に置きながら、雄然が細い目をさらに細めて言った。テーブルセットの残り一つの椅子に座るのかと思いきや、彼はカウンターの中の座椅子に戻っていった。

「寒月峰神社の神主の血筋に百五十年ごとに宝珠が現れるって伝説は聞いてたけど、この現代に本当に現れるなんてね。でも困ったね。宝珠の力がダダ漏れだ」

 六花はオレンジ色のふわふわな縮れ毛をかき上げ、テーブルの上で頭を抱える。

「力が顕現してから今までは、その遮断の香りで守られていたんだな。だから、宝珠の顕現に気づいた者はごく少数だった。だが、力はだんだん強大になっている。雄然の式神があれだけ元気になるほどに。そのうち、多くの妖魔が力に気づき、惹きつけられてくるだろう」

「えっ⁉」

 淡々と語る蒼の顔を、びっくりして瑞貴は見つめる。

「都会でも動きやすい小動物の姿をした妖怪で、敏いモノはもう寄ってきておるだろう。先日の鴉も、あれはどこぞの天狗の(つか)いだな。狐狸のようなモノもうろついておる」

 座椅子にまた深々と座り、雄然は言う。動物の亡骸も関係があるのだろうか。

「宝珠の力に引き寄せられてきたが、見失って力を享受できず、力尽きたモノたちもいただろう」

 亡骸になっていた蛇や鼠や狸も妖魔の類だったのか。瑞貴の中で、ようやく色々な出来事がつながってきた。

「何か、力をコントロールする方法があるんじゃないの?上条家は代々神主なんでしょう」

 テーブルに頬杖をついて、六花が尋ねる。

「父は、僕が小さい頃に実家である神社を飛び出したんです。祖父と折り合いが悪かったようで。それ以来、実家とはあまり関わっていなくて……」

「なるほど。血筋は上条だが、神職としてのトレーニングはまったく受けていないということだな」

 うつむいたまま、蒼が唸るように言った。瑞貴に非はないのだが、状況的に申し訳ない気がして、小さく「すみません」と呟いた。四人の間にしばし沈黙が流れる。

 会話が途切れると、店内に密やかなざわめきが感じられた。この骨董品屋には、承和のような付喪神の類が他にもいるのだろう。先ほど雄然に粛清されたが、宝珠の到来に皆、色めきだっているのだ。瑞貴は改めて、自分に顕現してしまった力にぞっとした。

「貴方のその力は、民保協の活動にも大きな影響力を持つ。だから、私たちも協力は惜しまない。力をコントロールする方法を探してみよう」

 沈黙を破ったのは六花だった。自分が力を発揮していることすら認識できていないのに、コントロールするなんてことができるのか。瑞貴は途方に暮れた。

「半蔵濠の宮乃介みやのすけに会いに行ったらどうだ」

 のんびりした口調で雄然が言った。

彼奴あやつなら、百五十年前の巫女のことも知っておるだろ」

 そうだね、と六花は頷いたが、蒼はなぜか憮然としている。しかし、何も言及せずにコーヒーを一口飲んだ。

「上条の神主に相談した方がいい。御父上もそれだけの遮断の香りを調合できるんだろう」

 冷静に蒼が言った。それは理に適っている。瑞貴の父親も、思うところがあって匂い袋を毎日渡していたのだろうから、何か知っているはずだ。

「早急に手を打たないと。このままじゃ、宝珠の力の泉がいたずらに奪われかねない」

 六花の言ういたずらに奪われるということがどういうことなのか、瑞貴には分からなかったし、知りたくもなかった。ただ、自分の身に危険が迫っていることは何となく理解した。

「そうだ、ちょっと後ろ向いて」

 突然、六花はそう言うと、白いレザーのボディバッグを開けて、ポーチを取り出した。瑞貴は言われた通り、座ったまま六花に背を見せる。六花の手には和紙に包まれた白い糸の束と縫い針。彼女は瑞貴の制服のシャツの衿を軽く引っ張り、背中心の衿のすぐ下から下向きに糸を縫いつけ始める。

「これはね、背守りっていって、そもそもは赤ん坊の産着に縫いつける魔除けだよ。この糸は護符と一緒に清めた糸だから、効果があると思う」

 六花が手際よく縫った縫い取りは、縦に九針、斜めに三針。白地のシャツに白糸なので、それほど目立たない。

「これも応急処置だから、そんなに長く持ちこたえられないかもしれないけどね」

 器用に縫い終えて、六花は瑞貴の肩をポンと叩いた。

 これはどうやら、逃れられそうにない、と瑞貴は内心呟く。宝珠の力というのはまだ半信半疑だが、これまで起こったことを考えると、納得せざるを得ない。自分が好むと好まざるとにかかわらず、この力と向き合わなければいけないのだろう。

 宝珠の力をどうやって守るか、議論を続ける三人の傍ら、瑞貴はそっとコーヒーを飲んだ。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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