泉①
家に帰ると、父親はすでに帰宅しており、電話をしている最中だった。固定電話で通話しているのは珍しい。相手は多分、祖父だろう。父親は、祖父とあまり仲が良くないらしく、携帯電話の番号も教えていないようだった。
「ですから、帰らないと言ってるでしょう。何もありませんから。ご心配には及びません」
普段温厚な父親が、いつになく語気を荒げている。しばらくの押し問答の後、電話を切ると、父親は溜め息をついた。
「おじいちゃんから?」
「ああ、瑞貴、帰ってたのか。また帰省して来いって言ってきたが、懲りないな、あの人も」
父親がなぜ祖父と不仲なのか、瑞貴は詳しくは聞かされていなかった。上条の家は、代々名のある神社の神主で、父親はそれを継ぎたくなくて家を出たと言っていた。ただ、どうもそれだけではないようだった。瑞貴が二歳ごろまでは、両親とともに父親の実家である祖父の家に住んでいた。父親が家を出たのは、母親が病死してからだと聞いている。何か複雑な事情があるのだろうと思い、瑞貴はこれまで深入りしてはこなかった。
「それはそうと、今日は弁当を忘れていったんだな」
「ああ、うん。ごめん」
「うん。大丈夫だったか?」
「購買でパン買って食べたから、大丈夫」
食卓の上に、瑞貴が忘れていったままの弁当箱が載っていた。そばには匂い袋もある。あの日以来、父親は毎日、弁当と一緒に匂い袋を瑞貴に持たせる。毎日一緒に置いてあるので、特段何も考えずに持って行っていた。
「……そうか。腕、怪我したのか?」
「あ、うん。大したことないよ。保健の先生が大袈裟に包帯巻いただけで」
「何で怪我したんだ?」
「部活で……備品の片づけをしててさ。倉庫で引っかけたんだ」
なぜか、瑞貴は父親に嘘をついた。瑞貴自身、最近起こっているおかしなことが、ただの偶然の重なりだと思いたかったのかもしれない。
「気をつけろよ。さぁ、ごはんにしよう。着替えて来い」
「わかった」
瑞貴は言われた通り、着替えるために自分の部屋に向かった。
その夜。瑞貴は学校を休んだ間の授業ノートのコピーを机に広げていた。ノートは隣の席の藤田風子に借りたが、思った通り、読みやすい。ぱらぱらとコピーをめくり、授業の穴を確認する。そうしつつも、瑞貴は上の空だ。あの、柄掛山で倒れた日以来続いている異変が、頭の中をぐるぐる駆け巡る。原因不明の高熱と掌の傷。家の中のラップ音。何かを知っていそうな女と男。たくさんの動物の亡骸。鎌鼬のような突風と襲ってきた鴉。考えれば考えるほど、偶然とは思えない。しかし、何がどうつながっているのかも分からない。
瑞貴は徐ろに立ち上がり、ハンガーに掛けてある制服のブレザーのポケットを探った。紙片と名刺。長身の女性から渡された陣野医院の連絡先と、袴姿の男から渡されたリユースショップの名刺だ。瑞貴は机に戻り、ノートのコピーをずらすと、その二つを並べて置いた。
女は、身体に異変があるなら、陣野医院に相談しろと言った。男は、困ったことがあったらリユースショップに来いと言った。試しに、それぞれをスマートフォンで検索してみる。陣野医院は、それ自体のホームページはなく、クリニックの口コミサイトしか出てこなかった。院長の名前は、陣野蒼。口コミに、院長は無口な男の先生と書いてあるので、あの女性ではないようだ。一方のリユースショップ桃泉堂もホームページはなく、骨董好きのブログや情報サイトがヒットした。かなり古い掘り出し物も扱っていて、マニア受けが良いようだった。
(うーん……)
瑞貴は唸った。身体に異変はあるが、医者にかかるような異変とは違う。もちろん、困ってもいるのだが、こんな突拍子もない話を信じてもらえるかどうか。そして、女も男も得体が知れず、信用して良いのかどうかも分からない。
ふと、名刺に貼り付けられた透明の袋に入っている古銭に視線を落とし、瑞貴は自分の目を疑った。
(考えすぎておかしくなったのかな……)
古銭は、『承和昌寳』という貨幣だったが、問題はそこではなかった。貨幣に小さな目玉がついていて、こちらを見ている。瑞貴は目をこすった。
『お主、なんという力!』
「わ、喋った!」
瑞貴は叫んだ。貨幣が喋っている。
『雄然の言っていたことは真実であったか』
ポカンとしたまま、瑞貴は貨幣を見つめた。本来なら気味悪く思うところだが、貨幣の見た目のコミカルさと、言葉遣いの割に重厚さに欠ける高い声に毒気を抜かれる。
『驚いて声も出まい。儂は平安の世の貨幣だ。盗人の間を渡り歩き、刃傷沙汰で血潮を浴びながらもなんとか永らえ、火事や大水もくぐり抜け、付喪神となった。妖力がすり減り、もはやこれまでと思っていたが、やれ助かった』
けたたましく喋る貨幣だ。透明の袋から、今にも飛び出してきそうだが、動けるわけではないようだった。
「その……。なんでいきなり、喋り出したんだ……?」
貨幣の小さな目を見つめて、瑞貴は独り言ともつかない言葉を発した。
『お主、まだ己に起きたことを知らぬと見えるな』
「お前は何か知ってるのか?」
貨幣の言葉に、瑞貴は食いついた。おかしなことが起き始めてから、瑞貴の問いに明確に応えてくれる者はなかった。藁をもすがる思いだった。
しかし、貨幣はゆっくりと目を閉じた。
『いかん、まだ気力が十分でない……。長くは喋れんな……』
まずい。このままでは、この貨幣からも話を聞くことができない。
「どうすればいい?どうすれば気力が戻るんだ?」
『そうさな、儂をお主の懐にでも入れておけ。そして……真実のことを知りたくば、桃泉堂へ行くがいい……』
そこまで言うと、貨幣の目玉はなくなり、ただの貨幣に戻った。瑞貴は袋に入った貨幣を凝視した。今はどう見ても、ごく普通の古い貨幣だ。一瞬、居眠りをして夢を見たのだろうか。瑞貴は名刺ごと手に取り、電気の光に透かしたり、振ったりしてみた。しかし、貨幣はもううんともすんとも言わない。
(桃泉堂……)
リユースショップは、瑞貴の通学路からそう遠くない。明日は部活のない木曜日だ。いちかばちか、瑞貴は桃泉堂に行ってみようと決心した。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




