エピローグ
新学期早々の土曜日。瑞貴は六花から桃泉堂に呼ばれていた。民保協の決定のいくつかが、今日通達されるらしい。その中には、蒼の処遇についても含まれているようだった。
「瑞貴、蒼くんに会うなら、これを渡してくれないか」
出掛ける支度をしている瑞貴に、珍しく土曜休みで家にいる千歳が話しかける。千歳は、仕事に使っている小さな棒瓶を瑞貴の目の前で振ってみせた。中には飴色のさらさらした液体が入っている。
「何これ」
「あの模造刀の手入れに使ってみてほしいんだ。刀の霊力を増幅できると思うよ」
「ふぅん」
千歳は妖魔に影響を与えるハーブや薬草、香の研究に余念がない。瑞貴に持たせるだけでは飽き足らず、蒼の世話まで焼き始めたのか。本業である化粧品の研究は大丈夫なのかと心配になるほどだ。瑞貴は瓶を受け取って、リュックサックのポケットにしまった。
突然、インターホンのチャイムが鳴って、来客を告げる。瑞貴たちの住むマンションはオートロックであり、インターホンはエントランスにつながっている。千歳がインターホンに応えると、小さな画面に二人の人影が映し出された。そして。
『こちらは、宝珠さんのお宅で合うてます?』
関西訛りの柔らかい女性の声がして、瑞貴は跳び上がった。まさかマンションに宝珠を訪ねてくる客がいるとは。千歳と顔を見合わせて、瑞貴もそっと遠巻きにインターホンの画面を覗き込んだ。画面には、切れ長の目をした笑顔の女性が大写しになっており、その傍らにサングラスをかけた男性が立っている。
「どちら様でしょうか」
千歳が瑞貴の様子を窺いながら、訪問者に尋ねる。女性は満面の笑顔をさらに画面に近付けてくる。
『うちは織津喬子いいます。こちらは大江ミチヒコはん』
相手の顔と名前を確認して、知り合いではないなと思いながらも、瑞貴はどこか引っかかる。
「どういったご用件でしょう」
『うちら、大江スタジオちゅう名前で広報活動をしとります。今日は京都からはるばる宝珠さんに会いに来たんどす』
大江スタジオと聞いて、あっと瑞貴は声を上げた。そして思わず口を押さえる。確か、大江スタジオというのは、壱流の教えてくれた『洛中あやかし台帳』というブログの発信元だった。咄嗟に、瑞貴は千歳に向かって両腕で大きくバツを作る。今日は約束もあるし、『洛中あやかし日記』のことはあれ以来すっかり忘れていて下調べもしていないので、いきなり押しかけて来られても及び腰になるのは仕方がない。
ちょうどそのタイミングで、スマホの着信音が鳴り響き、瑞貴は再び声を上げそうになった。見ると、着信は六花からだった。
「あいにく宝珠は不在にしておりまして。後日改めてお越しいただけますでしょうか」
インターホン越しに丁重に対応してくれている千歳に片手で拝むようにして感謝しつつ、瑞貴は電話に出た。
「もしもし」
『あ、瑞貴。大変なの』
六花がメッセージではなく直接電話をかけてくるのは、大抵良くないことが起こった時だ。やはり六花は少し緊迫した声で、早口で言葉を継いだ。
『雄然が襲われて怪我したの』
「えっ⁉」
『怪我自体は大したことないんだけど……』
「襲われたって誰にですか?」
『分からない。店を開けようとしたところを襲われて、格闘して撃退したみたい』
「妖怪ですか」
『それは雄然にも分からないって……。瑞貴、今日、桃泉堂に来られるんだよね』
「はい。今から行こうと思ってたところです」
六花から早く来てほしいと言われて、瑞貴は電話を切った後、慌てて支度に戻った。訪問客は、千歳の計らいで何とか引き下がったようだった。
「大丈夫か」
そわそわした様子の瑞貴に、千歳が心配そうに声を掛ける。瑞貴も何が起こっているのか把握できず、首を傾げる。
「分かんない。ちょっと、とりあえず桃泉堂に行ってくる」
「ああ。あんまり焦るなよ」
「うん」
そう言い残して、瑞貴はリュックサックを背負い、家を出た。マンションのエントランスを出ると、残暑のまだ強い陽射しが、肌を射るように熱い。瑞貴は明るく晴れた空の下を、駅に向かって駆け出した。路上にその背中を見送るふたつの影があることを、彼は知る由もなかった。
第一部 了
最後まで読んでいただきありがとうございました。『宵のハコブネ』第一部はこれで終了となります。今後、第二部を予定しておりますが、公開は十二月ごろからの予定です。未回収の伏線がたくさんありますので、これがどのように回収されていくのか、第二部どうぞご期待ください。
初めての作品で思いのほかたくさんのPVをいただけて、皆様には本当に感謝しております。読んでくださった方から、作品の感想やレビューなどをいただけましたらとても嬉しいです。
第二部開始に向けて鋭意、執筆を進めていきますので、応援していただけますと幸いです。
朔蔵日ねこ
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




