折衝①
首塚は、白い砂利と滑らかな白い石畳に囲まれた近代的な空間だった。寺院や緑地の一角にある苔むした記念碑や像のようなものを想像していたが、奥に安置された石燈籠こそ古びて歴史を感じさせるものの、手前の墓石のような石碑は表面が輝くほどに磨かれている。十数メートル四方ほどの区画は綺麗に整備され、明るく開けた平面が無機質な印象すら与えた。
「ずいぶんシンプルなのね」
「二〇二〇年に改修される前はもっと植栽もあって、もう少し塚らしい雰囲気だったがな。敢えて近代的な造りにして、悪い気が溜まらないようにしたのかもしれない」
拍子抜けしたような六花に、蒼が敷地を見渡して言った。ただでさえ引力の強いビルの谷間のパワースポットだけに、鬱蒼として湿った空間では吹き溜まりになってしまいやすい。これだけ風通しの良い空間なら、陰の気も集まらなさそうだ。
コンクリートの階段を上がった先で、ぬらりひょんは徐ろに腰差しかますから煙管を取り出す。
『盆で人もおらんだろうが、騒ぎになると面倒なのでな。周囲に気付かれんようにしておこう』
石碑の正面のスペースまで進んで渋々準備を始める壱流を横目に、ぬらりひょんが優雅に煙管をふかすと、火皿から細い煙が立ち昇る。煙は夜闇に吸い込まれて消えることなく、蜘蛛の糸のように一筋になり、するすると横に伸びて流れていく。糸のような煙は途切れることなく、首塚の空間をぐるりと一周囲んだ。
『存在を消すのがぬらりひょんの特技だからの。これも技のひとつだよ』
不思議そうに見ている瑞貴に、ぬらりひょんはそう説明した。狐狸の異層とは違って、異なる次元へ移動したわけではないようだ。煙管の煙で空間が封じられ、この内側で起きていることは外から見えないということらしい。
一方の壱流は、持参したペットボトル入りの水で手を浄めた後、東側に位置する石碑から少し離れて向き合うように石畳の上に座っている。ボストンバッグの中から出した蝋燭を眼前に立て、盛り塩を自らの周囲に五角形を描くように配していく。そして一度立ち上がると石碑の前まで進み、一礼して線香を一本焚き、供えた。一挙手一投足に無駄がなく、動きはきびきびとして、普段の人懐っこくゆるい雰囲気の壱流とは別人のようだ。再び一礼して、盛り塩の五角形の中に戻ると、正座して蝋燭に火を点けた。
「掛けまくも畏き平将門公、いかでこの場に御出で給え。我らに貴公の言の葉を聞かせ給え」
ゆっくりと目を閉じて、壱流は唱え始めた。少し鼻にかかった高い声。背筋はピンと伸びている。夏の夜の生温い風が吹き、蝋燭の炎が大きく揺らぐが、壱流が目を見開くと、炎は再び真っ直ぐに立ち昇る。
壱流が何度か同じ文言を繰り返していると、やがて石碑の三メートルほど上空に紫色の雲が湧き出して、渦巻きはじめた。石碑と壱流の間に立っている一同は目を瞠り、息を詰めて見守る。瑞雲の文様のような形の雲の下には、小さな稲妻が線香花火のように瞬いている。
『吾の眠りを妨げるのは貴様等か』
寺の梵鐘のように反響する声とともに、紫色の雲の渦の中に巨大な生首が現れた。
「来たな……」
蒼が低く呟いた。瑞貴は生唾を飲み込む。
「平将門公、参られ給いて我らが願い聞し召しませ」
壱流は再び目を閉じて唱えると、額を地面につけ、そのまま低い声で呟き続ける。
『吾を降霊術で呼び出すとは、それなりの覚悟があってのことだろうな』
『平将門公。お久し振りにお目にかかります。妖怪の総大将をしております、ぬらりひょんにございます』
ぬらりひょんが一歩前に進み出た。緑色の肌をした全長一メートルほどもあろうかというざんばら髪の生首は、血走った目玉で睨みつける。
『妖怪の総大将が、吾に何用だ』
『この度、貴殿もご存知の宝珠が再来いたしましてな。ご挨拶に伺った次第で』
『挨拶だと』
将門の生首は雷鳴のようにがなり立てるが、ぬらりひょんは顔色ひとつ変えない。むしろ眼光鋭く、下から生首を睨み上げる。
『昨今の妖魔神仏の勢いの衰えは貴殿もご承知の通り。そこへ宝珠が顕現したとあらば、我々も再び活力を得ることが叶いましょう。三大怨霊と畏れられる貴殿にも無縁な話ではございますまい』
『宝珠。なるほど。秩父の巫覡か』
宝珠のことは怨霊も知っているらしい。平将門伝説は秩父にも残っており、愛妾だった桔梗姫を祀った神社もあるほどで、縁の地といえなくもない。宝珠の存在は、生前には知らなくとも怨霊になってからは耳にしたことがあるのかもしれない。
ぬらりひょんは煙管を燻らしたまま、瑞貴に目で合図をする。
『我々妖怪も百五十年ぶりに力を得まして、やや持て余し気味でございましてな。このままでは妖魔神仏と人間との均衡が崩れかねませぬ。そこで、この宝珠より、貴殿のご協力を賜りたいと申し出がございます』
『ほう』
将門はぎょろりと眼を動かし、瑞貴を見下ろした。瑞貴は身を竦ませる。全身に針が刺さったかのように痺れ、緊張が走った。会話が途切れると、背後から壱流の低い呟きが滔々と続いているのが聞こえる。瑞貴は気持ちを奮い立たせ、将門の生首を見上げた。
「将門様。力を得た妖魔の閉塞感を打破して、人間との調和を図るために、百鬼夜行を起こしたいんです。どうかお力を貸していただけませんか」
瑞貴は一気に叫んだ。声が震えないように、できる限り腹に力を籠める。
『百鬼夜行とな』
「はい。将門様に百鬼夜行の指揮を執っていただきたくて、お願いに上がりました。現代社会に生きる妖怪たちをもう一度奮起させて統率するには、三大怨霊である将門様のお力が必要なんです」
ふうぅと生首が溜め息をつくと、紫色の雲から雷鳴が轟き、ひときわ大きな稲光が走った。
『怨霊といわれたのも昔の話。今、吾はここに祀られ、崇め奉られておる。現状に不満はなく、晴らすべき憂さもない』
将門は、さして興味もない風に言い、瑞貴を値踏みするような目で眺めた。瑞貴の額には汗が滲み、血の気が引くような感覚すらあった。そこへ、ぬらりひょんが大袈裟に困った顔をして、言葉を挟む。
『さぁて。将門殿にこのお話を受けていただけないとなると、今度はどちらにお願いに参りましょうかねぇ。大宰府の菅原道真公か……』
『道真公……』
『それとも、白峯の崇徳院殿か……』
『崇徳院だと……』
『ええ。なにしろ、約三百年ぶりの百鬼夜行ですので、頭領は品格と威厳を備えた方にお願いしないとなりますまい。それにふさわしい御方となりますと、なかなか』
と、ぬらりひょんはわざとらしく、上目遣いにちらりと将門を見た。さすがは妖怪の交渉係と言っていただけのことはあり、老獪さが垣間見える。将門の生首は、鼻の穴を大きく膨らませる。
『ふん。平穏な日々で些か退屈していることには違いない。戦ほど面白くはなかろうが、力を貸してやらんこともないぞ』
「本当ですか⁉」
瑞貴は思わず歓喜の声を上げた。そして、ここぞとばかりに、携えてきていた大きな瓢箪に入った酒を将門の方へと差し出す。
「将門様。こちらは柄掛山の黒瀧稲荷社より賜りました御神酒です。どうぞ、お納めください」
『稲荷の酒か。なるほど、よかろう。では、今から参るか』
将門は、ざんばら髪を振り乱し、大きく吼えた。それを、ぬらりひょんが慌てて制止する。
『お待ちくだされ、将門殿。三日後。百鬼夜行は送り盆の夜半といたします。全国の妖怪に号令をかけ、準備をいたしますゆえ』
『なんだ、そうか。では吾も、首だけでなく、身体と馬も調えような』
『ありがとうございます。それでは、明々後日、十六日の子の刻にお迎えに上がります』
『うむ。わかった』
慇懃にぬらりひょんが頭を下げると、平将門の生首は、満足そうに紫色の雲の中に消えていった。瑞貴が献上した稲荷の酒も雲に吸い込まれていく。紫の瑞雲は小さな雷鳴を残しつつ、渦を巻きながら霧散していった。ざあっと突風が吹き、短くなっていた壱流の前の蝋燭の炎が揺らいで、ふっと消えた。
「ああぁ。怖かったー!」
コンクリートに額をこすりつけて低い声で呪文のようなものを唱え続けていた壱流は、勢いよく顔を上げると気が抜けたように大声を出した。
「壱流、ありがとう」
瑞貴がそばに駆け寄り、膝をついて声を掛ける。
「すごいね、瑞貴!平将門に願いを聞き届けてもらえるなんて」
「いや、ぬらりひょんさんのお陰だよ」
壱流の興奮は醒めやらない。いつもの人懐っこくて無邪気な壱流に戻っている。
「交渉成立だな。よくやったな、瑞貴」
「ほんとに。どうなることかと思ったけど」
蒼と六花も胸をなでおろしている。六花は数珠を握りしめていたが、三大怨霊ともなると蒼も斬るわけにはいかないため、投げ矢で六花の護符を射込む準備だけしていたようだ。
これで、百鬼夜行の最大の課題は解決した。日取りは三日後の送り盆の夜。この東京を中心に、全国の空を妖怪が闊歩する。鬱屈した妖怪たちのエネルギーを開放して、ひとまず落ち着きを取り戻したい。残された時間はあとわずかだが、まだ少し、準備が必要だった。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




