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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
ぬらりひょん

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ぬらりひょん②

 その日から一週間、瑞貴は寒月峰神社で修行をした。早朝のみそぎ山駈やまがけ、巫女舞や神楽の稽古、夜の拝殿での瞑想。食事もすべて精進料理にしてもらった。まだ神職になるわけでもないのに食べ盛りの高校生が、と蔦子には心配されたが、瑞貴としては数日で体は慣れたし、デトックスした気分だった。巫女舞と神楽は吏と晴海に稽古をつけてもらったが、巫女舞を舞う時には巫女装束を着け、黒髪のウィッグと白粉と紅で完全に女装した。

「舞も出で立ちも上出来ね、瑞貴。これなら、八日の納涼祭で奉納できるよ」

 と、吏には太鼓判を押されている。八月八日には寒月峰神社で納涼祭がある。これは地域の盆踊りのようなもので小さな祭りではあるが、寒月峰神社に古くから伝わる一風変わった祭りだと聞いていた。

 他にもこの一週間は、宮司の話を聞いたり、山のいおりで瞑想したり、神社の仕事を手伝ったりして過ごした。毎朝、美弦と一緒に川で禊をしていると、少し離れたところに小豆洗いが出るようになった。『小豆研ごうか人取って喰おか、しょきしょき』と物騒に歌うが、宝珠の力がほんの少し漏れ出ているのを享受しては消えていった。昼食前後と就寝前の時間は自由に使えたので、悠花の墓参りや神社周辺の散策、一応夏休みの宿題などもしていた。神社と離れには結界があるので妖魔は侵入してこないが、一人で外出する時には管狐を連れて行く。暁父山はタカネとフウロの故郷なので、二匹は意気揚々と道案内をしてくれる。山の中では常に妖怪の気配を感じていたが、ちょっかいをかけられることはほとんどなかった。こうして、最初の一週間は瞬く間に過ぎた。

 祭りの日は表参道に夜店が立った。神社の石段の両脇に配された石燈籠に火が灯り、境内では篝火かがりびが焚かれる。五月五日の巫女舞奉納の時と同様に、神楽殿は磨き込まれていた。境内の中央にはやぐらが組まれ、盆踊りの準備がされている。しかし、この祭りの一番の特徴は、参加者が顔を隠さなければならないことだった。山深い神社で夜に行われる祭りには一見の客はほとんどおらず、多くは昔から祭りに参加している熱心な氏子だった。この祭りのならわしをよく知る参加者は、覆面やお面を持参する。境内の中、特に盆踊りの輪に加わる者は、子どもであっても必ず顔を隠す決まりだった。ゆえに、神社の入り口では様々なお面や顔を隠すための手拭いが配られている。この祭りで唯一、顔を隠さなくて良いのが神職と巫女だった。

「まぁ、ほんとに、女の子にしか見えないね」

 化粧を施し、千早を着て黒髪を絵元結えもとゆいに束ね花簪はなかんざしを着けた瑞貴は、神秘的な美貌すら湛えている。

「見違えたな、瑞貴。物腰も、五月から比べたら段違いだ」

 吏も美弦も手放しで褒めてくれる。瑞貴は、ゴスロリファッションで街を歩いた時の高揚感とはまた別の、不思議な感覚にとらわれていた。

 巫女舞は、日没である十八時四十一分から奉納され、それに引き続いて盆踊りが始まる。巫女舞自体はほんの数分であり、祭り開始の序のようなものだ。

「この祭りの間は、年に一度だけ、神社の結界が解かれるんだ。祖霊だけじゃなく、山の妖魔神仏が踊りの輪に混じってくる。だから、自分で自分の身を護ることができる神職や巫女以外は、顔を隠さないといけないんだ」

 美弦の話では、この年に一度の結界の解放を伴う祭りは、普段の寒月峰神社の結界をより強固にするためにも必要な神事なのだそうだ。

 日没になり、瑞貴は一段高い神楽殿に上った。風が通る。緊張はあまりしていなかった。ただ清々しさがあり、雑念のない妙に落ち着いた心持ちだった。

 一人で舞う剣の舞。五月から練習していた魔除けの舞だが、ものとして真剣を使った練習をしたのは八月に秩父に来てからだった。対角線上で鏡像のように舞っていた吏から独り立ちしたのは三日前。振りはもうほぼ覚えており、ここ数日は重みのある真剣を扱えるよう体を慣らすことだけが課題だった。

 観衆は気にならなかった。五月の時のように観覧席はなく、祭りの参加者はそちらこちらに立って神楽殿を眺めている。瑞貴が刀を鞘から抜き、構えたのを合図に、雅楽の演奏が始まる。瑞貴は笛の音に合わせて剣を振り、四方を固めていくことだけに集中した。夕焼けの残る薄闇の空の下、瑞貴の瞳は、今ここではないどこかを見ていた。

 打ち物の最後の一音が鳴り響き、暫しの静寂があった。神楽殿の照明が前触れもなく落ち、代わりに櫓の照明が灯って太鼓が打ち鳴らされる。ここからは盆踊りの始まりだった。

『さぁ、お集りの皆様、寒月峰神社の盆踊り、お楽しみください』

 氏子会のアナウンスの割れた音を聴きながら、暗がりの中、瑞貴は神楽殿のステージを降りた。

「大役、ご苦労」

 神楽殿に近い篝火の下で、晴海に声を掛けられる。

「良かったよ、瑞貴。落ち着いてて、練習通りだった」

 隣には吏もいる。巫女装束の瑞貴は、そのままたおやかに一礼して、社務所に退さがった。

 社務所の座敷で一人、花簪を外し、千早を脱いで、瑞貴は一息ついた。祭りで芸能を奉納する男子は、原則神職だ。しかし、巫女舞は女性の舞であり、巫女には特別な資格はいらない。そして、今日の舞は寒月峰神社として正式な宝珠のお披露目であり、宝珠のその特性から、男子である瑞貴が巫女の姿で里神楽である剣の舞を舞うことを特別に許す、というのが晴海の考えだった。真剣を振るって舞うことで、結界の解かれた祭りの最中も祓いの力が生きていることを知らしめるための舞でもある。そして、ここから夜半まで、人間と祖霊と妖魔神仏が入り混じり、渾然一体となった盆踊りが続くのだ。

「あらぁ、宝珠の坊ちゃん。素敵な舞でしたねぇ」

「雪絵さん」

 白衣しらぎぬ緋袴ひばかまのまま境内に出た瑞貴に声を掛けてきたのは、瀬尾稲荷の雪絵だった。雪絵は千鳥柄の浴衣を着て、おかめの面を着けている。

「巫女の出で立ちも良くお似合いで。上条の血筋は皆、美人ですものねぇ」

「雪絵さんは今日は狐の面じゃないんですね」

「娘を嫁に出したら、急に淋しくなっちまいましてねぇ。思い出さないようにしております」

 浴衣の袂で面の口元を押さえる雪絵は、どこまでも人間くさい元・狐だ。

「でも、今日は年に一度のお祭りですからね。ささ、宝珠の坊ちゃんも踊りの輪にどうぞ」

 雪絵に背中を押されて、瑞貴は櫓のそばまで連れて行かれる。夜だというのに、境内にこんなに人がいるとは驚きだ。いや、すべてが人というわけではないのだろう。皆、思い思いの方法で顔を隠し、踊りの輪に入る者、遠巻きに眺める者、会話に興じる者と、様々だ。櫓の照明の他は篝火のみで、櫓から離れるほどに薄暗く混沌としている。空には僅かに欠けた月が昇り、東京では見られない数の星が瞬いている。

 見よう見まねで数曲踊ってみたが、振りに着いていけず、瑞貴は中心の輪から脱落した。神楽殿のそばまで戻り、踊りを眺めていると、ぬらりひょんが近寄ってきた。ぬらりひょんは頭巾で顔を覆っていたが、大きすぎる頭と古風な着物の着こなしから、すぐにそれと分かる。

『瑞貴。お前さんの剣の舞は素晴らしかったな。祀の黄泉帰よみがえりかと思うたわ』

「ぬらりひょんさんも、祀様をご存知なんですね」

「もちろんだ。先代も、先々代も、その前も。宝珠とは多少なりとも関わりがあるのでな」

 炭坑節や東京音頭の流れる華やいだ空気に酔ったように、ぬらりひょんは頭を揺らして笑った。

『祀はちょっと変わった娘だったね。八葉の花に宝珠の力を()めたいなどと……』

「八葉のこともご存知なんですか」

 瑞貴が驚いた声を上げたせいか、ぬらりひょんの笑い声が頭巾の中でくぐもる。

『いや、すまない。これはわたしと祀の秘め事であった。今ここで話すことではないな』

 それっきり、ぬらりひょんは八葉の花の話は止めてしまった。瑞貴も仕方なく、ぬらりひょんと同じようにまた踊りの輪を眺めた。

『みんなたのしそうだな。良い祭祀さいしだ』

 頭巾で顔は見えないが、ぬらりひょんの声は慈愛に満ちている。宝珠に会いたがっていると聞かされた時はかなり警戒したが、本当にそんなに悪い妖怪ではないのかもしれない。瑞貴も祭りの喧騒に慣れてくると、人間とそれ以外の区別がなんとなくつくようになっていた。ぬらりひょんの言う通り、人間も妖魔も楽しそうだ。特に妖魔のはしゃぎっぷりは、狐の嫁入りの宴会を彷彿とさせた。そして驚くべきことに、人間の方も、妖魔が混じっていることを知ってか知らずか、賑やかに祭りを楽しんでいる。妖怪は、半分は人の心の中に棲んでいる――数日前のぬらりひょんの言葉の意味が、少し分かったような気がした。その日、山の中の神社の祭りは、夜更けまで続いた。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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