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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
狐の嫁入り

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狐の嫁入り①

 狐の嫁入りは夕刻に行われた。花嫁行列は十七時に暁父山を出発し、異層を通って十八時過ぎに柄掛山に到着する。異層を通過する時間が長いと、行列は時々現世(うつしよ)から見え隠れしてしまうので、目隠しのために雨を降らせる必要がある。梅雨明けの空は雨が降る気配がなく、行列に雨を降らせるために雨降り小僧が招かれた。結納や祝言しゅうげんには狐の世界の厳格なしきたりがあるようで、おおむね両家だけで進められている。花嫁行列も、長時間の異層の移動は宝珠といえど生身の人間には負担になるので、仲人ではあるが、瑞貴は柄掛山で待機することになっていた。花嫁行列が到着すれば、花婿の家で婚姻の儀が行われる。瑞貴はそこに立ち会うのだ。

 黒瀧稲荷社の祠のある竹林からほど近い寂れた四阿あずまやから、瑞貴は連なる山々を見はるかしていた。そこへ季仙坊がやって来て、瑞貴の隣に立つ。季仙坊の両手にはまだ包帯が巻かれていたが、覆われているのは掌だけで、指も動いているようだった。

『京弥は稲荷にいるのか』

「はい。行列を見てきたらいいって言われて」

 背後からも気配と視線を感じる。山の妖怪たちも狐の花嫁行列を観に集まってきているのだろう。

『この界隈では二百年ぶりの狐の祝言だからな。ちゃんと花嫁行列までするとは、派手好みの京弥らしい』

 瑞貴と肩を並べて山を眺めながら、季仙坊は言った。そうは言いつつ、今日の山には活気が満ちており、祝言を祝福するかのような明るいエネルギーが感じられた。

 遠くの山の稜線に、ぼんやりと光る灯りが見え始める。灯りはだんだんとその数を増やし、規則正しく揺れている。提灯だ。無数に列をなした提灯の灯りが、しずしずと迫って来る。

(あれが狐火か……)

 行列の周りにだけ雨が降っているのだろう。けぶる雨に滲む提灯の赤い光が、幻想的で美しい。行列はところどころ、現れたり姿を消したりしながら近づいてくる。先頭を、風呂敷包みを背負った年長の狐が歩き、その後に長持ちを担いだ若い狐たちが続く。多くの狐は獣姿に着物を纏って二足歩行をしていたが、中には化けていない狐もおり、背中に荷物を背負って行列に付き従っている。

 瑞貴の頭上でバサバサッと音がして、檜扇坊が現れた。

『さぁ、花嫁様のおでましだ』

 檜扇坊は羽ばたきながらゆっくりと下降すると、ふわりと地面に降り立ち、瑞貴と季仙坊に並んだ。

 差し掛けられた朱傘の下に、結と雪絵の姿が見えた。瑞貴たちの背後の妖怪たちからも、静かな嘆息が漏れる。

『狐の花嫁はやはり美しいな』

 季仙坊も檜扇坊も神妙な顔つきで行列を見守っている。

 行列の一行は全員狐の姿をしており、雪絵だけが狐の面を着けていた。白無垢姿の結の毛並みが、銀色に輝いている。獣姿とはいえ、その姿は気高く麗しい。

『主さま!京弥様がお呼びです。そろそろお支度を!』

 竹林の方から、タカネとフウロが転がるように走って呼びに来た。管狐たちも今日ははしゃいでいる。瑞貴は季仙坊たちと別れ、二匹の管狐に付き添われて竹林の稲荷社へと戻っていった。

 竹林の祠の前には広く花茣蓙はなござが敷かれ、その上に赤い毛氈もうせんが重ねられている。京弥は金色の毛並みをした狐の姿をしていた。紋付き袴を着ており、狐の姿でも美しく、まったく隙がない。

『宝珠様、花嫁行列はご覧になりましたか』

「はい。すごく……綺麗でした」

 急に緊張してきた瑞貴は気もそぞろで月並みな感想しか出てこなかったが、そうでしょう、と京弥は得意気だ。花茣蓙の上には京弥の親戚と思しき狐たちが和装の正装で居並んでいる。高校の制服で来ている瑞貴は、場にそぐわないのではないかと気を揉んでいた。すると、白い毛のだいぶ混じった年配の狐が進み出て、瑞貴に狐の面を手渡した。

『宝珠様はこの面を着けて、こちらにお座りください。婚姻の儀が終わるまでは、決してお言葉を発しませぬようお願いいたします』

 赤い毛氈の奥の中央に花婿と花嫁、その正面に、互いに向かい合う形で両家の親族の席が用意されている。瑞貴は新郎新婦の斜め後ろの位置に通された。狐の面を着けて着座する。両家の親族が見渡せる場所だ。面を着けることで、瑞貴の居心地の悪さも少し落ち着いた。

『花嫁様のご到着です』

 獣のままの姿をした歳若い狐が伝令に来た。誰そ彼(たそがれ)の中、整然と並んだ提灯の群れが山道を近づいてくる。間近に見ると、かなり長い行列だが、奇妙な静寂に包まれている。無表情な一団は、竹林の前の道まで歩を進め、祠の正面で歩みを止めた。全員が一斉に祠の方に向きを変え、音もたてずに一礼する。

 婚姻の儀は、終始無言のまま進められた。誰ひとり言葉を発することはなかったが、儀式は流れるように進行した。三々九度が行われ、引き続いて向かい合って並ぶ親族たちも酒を酌み交わす。瑞貴は正座したまま、息を潜めて見守っていた。瑞貴の前にも酒を注いだ杯が置かれたが、呑まなくてよいとあらかじめ京弥に言われていたので、杯を上げる仕草だけ合わせた。面を着けているのは瑞貴と雪絵だけだったが、全員が狐の面のように無表情だ。儀式は三十分ほどで終わった。

『ご参列の皆様に謹んで御礼申し上げます』

 初めて、京弥と結が口を開いて深々と頭を下げると同時に、竹林の花茣蓙は消え、すべての参列者は瀟洒な洋館の広間にいた。京弥と蒼がチェスの勝負をしたあの広間だ。異層に移ったのだ。瑞貴も狐の面を着けたまま、毛足の長い絨毯の上に立っていた。場の雰囲気は突如として和やかになり、あたりは雑談の声でざわめきはじめる。

『宝珠様、もう面を外していただいて結構です。本日はありがとうございました』

 京弥が結を連れて挨拶に来る。二人は金色の狐と銀色の狐のままだが、婚姻の儀を終えて晴れやかだ。瑞貴は面を外し、慌ててお辞儀する。

「あっ、今日はおめでとうございます」

『この後は宴になりますので、宝珠様もどうぞご参列ください。宴は三日三晩続きます。宝珠様の良い時にご自宅までお送りいたします』

「三日間も⁉」

 瑞貴は驚いて声を上げた。広間の長テーブルには、所狭しと豪華な食事や酒が並べられ、さらに続々と運ばれてきている。

『ええ。本日は狐のみ。日付が変わると山の妖怪の皆様もお祝いに来てくださいます』

 花嫁行列を見に行っていた時に、山の妖怪たちもこぞって見物に来ていたのを思い出す。山全体の祝福ムードを考えると、三日間賑わうのも不思議ではない。

 間もなく広間の宴が始まった。老若男女の狐たちが酒を呑み、ご馳走に舌鼓を打っている。みんな嬉々として愉しそうだ。雪絵や京弥の母親も瑞貴に挨拶にやって来る。雪絵は人間暮らしが長いので、瑞貴の口に合いそうなものを見繕ってきてくれた。酒の呑めない瑞貴のために、山の果物を使って作った果実水も用意されている。狐たちの酔いが回ってくると、歌ったり踊ったり化け合戦をしたりと、思い思いの余興がそこここで始まった。宴会はそれなりに面白かったが、山の中の狐の宴に未成年の人間である瑞貴が長居するのも気が引けたので、二時間ほどで瑞貴は帰ることにした。タカネとフウロは祝いの席に置いて行こうかとも思ったが、雪絵も結も管狐に主とともに帰るように言いつけていた。祝い酒を呑んで千鳥足の管狐たちを、瑞貴は竹筒に回収する。

『こちらは本日の御礼の品でございます』

 と京弥の母から渡されたのは、大きな瓢箪だった。

「えっ、これ、お酒ですか?」

 狐の姿でも妖艶な京弥の母は、目を細めて上品に笑う。

『ええ。稲荷の御神酒(おみき)は霊験あらたかですから。お呑みになれなくても色々とお役に立ちますかと』

 京弥の母の静かな圧に断るに断れず、酒の入った瓢箪を腕に抱え、瑞貴は京弥たちに見送られて異層から竹林に戻った。既に空は暗くなっており、灯りのない山の中は闇が濃く、稲荷の祠だけがぼうっと白い光を放っていた。竹林の周辺では、山に棲む妖怪たちが酒に呼ばれるのを待ち構えている。

『儂が送ってやろう』

 季仙坊の声がした。振り向くと、高下駄を履いた巨体が立っている。

「いいんですか?」

『京弥に頼まれているのでな。お前を送って帰ってきたら、儂も宴に呼ばれよう』

 季仙坊の瞬間移動は檜扇坊に比べるとはるかに優雅でスマートだった。季仙坊に抱えられ、その大きな葉団扇がひと扇ぎされると、一瞬にして瑞貴は柄掛山を後にした。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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