縊れ鬼①
瑞貴たちの学校は、期末テスト期間に入っていた。期末テストが終わって数日すれば夏休みだ。
「宝珠、なんでお前、ここで勉強しておるのだ」
カウンターの向こうの座椅子から、雄然が話しかける。
「落ち着くんですよね、ここ」
数学の問題集とノートをテーブルの上に広げて勉強を続けながら瑞貴は答えた。
「ここは自習室ではないぞ」
呆れたように言いながらも、雄然はいつも通りコーヒーを淹れてくれていた。
一学期の初っ端に四日間も欠席した後、宝珠の力のことでさんざん振り回されたので、中間テストの成績はいまいち振るわなかった。期末テストは少し頑張らないといけないのだが、なかなか身が入らない。捗らない数学の問題集を前に、瑞貴は頭を抱えていた。
「蒼に教えてもらったらどうだ。あれでも医者だからな」
「そうですね」
店の一角を我が物顔に陣取っている瑞貴だったが、今日はちゃんと理由があって桃泉堂に来てはいる。
「雄然さん、後で京弥さんが来ますよ」
京弥と結はめでたく婚約したそうだ。昨日、柄掛山の鴉がやって来て、京弥が明日、桃泉堂で礼をしたいと言っていると告げていった。あれは檜扇坊の使役している鴉だと思われるが、そんな伝令のような遣いも請け負っているのか。
「ああ、柄掛山の。縁談はまとまったのか。良かったな」
雄然は、細い目をさらに細めて、さして興味もなさそうに呟いた。相変わらず客の来ない店で退屈そうに座椅子に埋もれている雄然に、瑞貴は思い出したように言う。
「そういえば、この前、学校の特別授業に三井清舟さんが来ましたよ」
古典音楽の講師の一人として清舟が来て例の楽筝を演奏したこと、その音色がこの世のものとは思えないくらい美しかったことを話すと、雄然は満足げな笑顔を浮かべた。
「おお。そうであろう。年月を経た良品の調べとはそういうものだ」
座椅子に身を委ねたまま、心なしか慈しむような表情にも見える。先日も付喪神を流通させる商いだと自負していた雄然のことだ。自分が送り出した商品にはやはり愛着があるのかもしれない。
「しかしどんな名品も、その魅力が引き出せるかどうかは演奏者の腕次第だがな」
雄然は清舟の演奏を聴いたことがあるのだろうか。商品は何度か購入してもらっているようではあったが。
「ほれ、いよいよ勢いづいてきておるな」
「えっ?」
鼻唄でも歌いそうに上機嫌な雄然の言葉に、瑞貴は振り返る。
「良くも悪くもだ。狐が嫁入りしたり、付喪神である古楽器が美しい音を奏でたりと、陽の気も感じるが、悪さをしてやろうという陰の気も感じる。縊れ鬼のこともそうだろう」
そこで瑞貴は、最近気にはなっていた美弦に聞いた山の事故の話や、学校に現れた不審者のような妖怪と鎌鼬のことを話した。
「宝珠の力はそこはかとなく漂っておるからな。皆、あやかりたくて近付いて来る。そうして力を得ると、昔のように人間にちょっかいをかけたくなるのだろう」
妖力が弱って絶滅しかけていた妖怪が活気を取り戻してきたのは良いことかもしれないが、今度はある程度制御が必要になってくる。
「どうなっちゃうんでしょう。このまま、妖怪の力がどんどん強くなったら……」
「妖怪が妖力を得たはいいが本来の力を発揮できずにいると、鬱屈してしまうからな。何かきっかけがあれば、暴れ出さんとも限らんな」
「でも、そうなったら、共生どころじゃなくなりますね」
不安そうな顔で、瑞貴は独り言のように呟いた。今、妖怪が力を取り戻していることに、宝珠の顕現が大きく影響していることは間違いない。瑞貴も少なからず責任を感じているのだ。
「そうならんためには、まずは発散させてやるのが良いだろうがな」
珍しく、雄然が腕組みをして思案している。
「発散?」
瑞貴が訊き返すと、雄然は首を捻り、そしてぽつりと言った。
「百鬼夜行、とかな」
「百鬼夜行……」
「妖怪はみな、おのれの力を誇示したいのだ。お祭り騒ぎをすれば、一旦は気も済むだろう」
瑞貴の頭の中に、夜闇の大空を妖怪たちが行列をなして闊歩する様子がぼんやりと浮かんだ。
その時、桃泉堂の扉の鈴がチリンと鳴る。瑞貴は音のした方を振り向いたが、入ってきたのは京弥ではなかった。
「おや、噂をすれば、だな」
「俺の噂をしてたのか」
「少年がな、家庭教師をしてほしいそうだ」
「ああ、期末テストか」
店の奥まで入ってきた蒼が、テーブルの上に広げられた瑞貴の問題集やノートに目を遣る。
「どうした、蒼。今日は一人か」
六花が一人で桃泉堂に来ることはよくあるが、蒼が一人で来るのは珍しい。雄然も驚いているようだった。
「ここに来れば、瑞貴と連絡が取れるかと思ったんだ。……民保協の携帯電話をあまり使いたくなくてね。ちょうど会えるとは奇遇だな」
蒼はいつも携帯電話を二台持ち歩いている。六花と三人で連絡を取っている携帯電話は民保協の携帯電話だったようだ。
「六花に聞かれるとまずい話か」
察しのいい雄然がにやりと笑う。雄然の問いには答えずに、蒼はテーブルまでやって来て瑞貴の向かいに座った。
「民保協が縊れ鬼の駆除を決定した」
「駆除……斬るってことですか?」
「それで、瑞貴に手伝ってほしいんだ」
「手伝うって、何を?」
「いつもすまないが、あいつをおびき寄せてくれないか。至近距離までな。それから……」
と、蒼は言い淀み、上目遣いに瑞貴を見た。
「このことは六花には内密にしてほしい」
蒼は相変わらず感情を表には出さないので、言葉の意図は汲めない。
「もちろん、六花も縊れ鬼の駆除命令が出ていることは知っている。ただ、今回のことは六花抜きで進めたいんだ」
これには雄然も少し驚き、困惑した顔をしている。
「六花だって、そこまで脆弱ではなかろう。隠し立てするほどのことではないのではないか」
「いや。六花は今もこの件で、民保協の本部に抗議の申し立てをしている。感情的になりやすいんだ。まだ若いからな」
「お前とてまだ四十手前だろう」
呆れたように雄然が言う。六花はおそらく二十代。蒼は若く見えるが、クリニックの院長であることを考えると、三十代後半というのは納得がいく。普段あまり気にしたことはないが、二人は十歳近く年齢が離れているのか。
「六花が納得していないなら尚のこと、強行するのはあとあと厄介なのではないか」
雄然が案じるのをよそに、蒼の意思は固かった。ひとまず、蒼はプライベートの携帯電話で瑞貴と連絡先を交換した。
『ごめんください』
今度こそ、黒瀧稲荷社の京弥の訪問だった。今日はワイシャツにネクタイを締めたスーツ姿に、中折れ帽を被っている。道行く人が振り返るほどの美貌は変わらずだ。
『こんにちは、宝珠様、桃泉堂さん。おや、蒼さんもいらしていたんですね』
「いらっしゃい」
三人に向かってにっこりと微笑みかけた京弥に、雄然が応えた。
『この度は、瀬尾稲荷の結さんと婚約いたしましたので、そのご報告と御礼に参りました。まず、こちらはお土産です』
京弥が差し出したのは、烏天狗の顔の形をした鯛焼きのようなスイーツだ。
『柄掛山には名物がないので、ご近所の高尾山の天狗焼きです。檜扇坊ではないですが、可愛いでしょう』
スイーツの烏天狗の顔は愛嬌があり、柄掛山の檜扇坊とは似ても似つかない。スイーツの入った袋はまだ温かかった。やはり妖怪は人間に化けていても、順当に電車で移動したりはしないのか。
『そしてこれは、桃泉堂さんへの御礼です』
今度は手に持った無地の紙袋の中から古めかしい木の箱を取り出し、カウンターの上に置いた。
『桃泉堂さんはコーヒーがお好きでしょう』
そう言って、京弥は自ら木箱の蓋を取ってみせる。中には小ぶりの手挽きのコーヒーミルが納まっている。流線型の美しいボディで、純和風な雄然の店の雰囲気にも合わなくはなさそうだ。
「気を遣わせたな」
『いえいえ。これで挽いたコーヒー豆はとてもいい香りですよ。そして、こちらは宝珠様への御礼です』
続けて京弥はテーブルに歩み寄り、小さな紙箱を両手で恭しく瑞貴に渡した。
『どうぞ、開けてみてください』
京弥に促されて、瑞貴は箱を開けた。布に包まれた古い懐中時計。蓋の部分に緑色の石が嵌め込まれている。
『その石は、猫目石です。妖魔の気配を感じると色が変わるんですよ』
猫目石というだけあって、光の加減で真ん中に一条の光彩が現れる。桃泉堂の中は妖魔だらけなので、現在の緑色は妖魔の気配を察知した色ということだろうか。
『どちらも私が懇意にしているアンティークショップで購入したものです。こちらのお店と同様に、不思議な力のあるものをたくさん扱っているんです』
先日のチェスボードといい、どうやら京弥はアンティークマニアのようだ。しかも、妖力を帯びた古道具に興味があるらしい。
「そのアンティークショップというのは、どこにあるのだ」
座椅子から立ち上がり、コーヒーミルを木箱から取り出しながら雄然が尋ねる。同業者として気になるのだろうか。コーヒーミルを手に取った雄然は、鑑定士のような目をしていた。
『都内ですよ。そんなに遠くありません。ご紹介しましょうか』
京弥は勿体ぶるように言い、なぜか得意そうだ。
「あのチェスボードもそこで入手したのか?」
それまで無言で聞いていた蒼が口を開いた。
『ええ、そうです。蒼さんとのチェスの勝負は楽しかったですね。ぜひまたお手合わせをお願いします』
京弥は終始上機嫌だった。
『この度は素晴らしいご縁を結んでくださり、宝珠様には本当に感謝しております。結さんの弟妹の管狐にもよろしくお伝えください』
そう言って京弥は深々と頭を下げた。
嫁入りは七月二十一日の予定ということだった。その日程なら瑞貴も夏休みに入っており、仲人として立ち会える。段取りは両家ですべて行うということであり、瑞貴は立ち会うだけで良いようだった。京弥はそれを伝えると、再度丁重に挨拶をして、桃泉堂を去って行った。
「やれやれ。では、さっそくこやつで珈琲豆を挽いて、京弥の土産でも食うか」
鑑定士としての眼鏡に適ったらしく、コーヒーミルを撫でながら雄然が言った。しかし、その言葉を聞いてか聞かずか、蒼は思い立ったように椅子から立ち上がった。
「俺は今日はこれで失礼する」
ポカンとしている雄然と瑞貴を尻目に、蒼はそそくさと店の出入り口に向かう。去り際に瑞貴にまた連絡する、と言い残して。瑞貴が蒼に数学を教えてほしいと思っていたことを思い出したのは、桃泉堂の扉がばたんと閉まった後だった。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




