縁①
狐が美しく化けることはよく知られている。九尾の狐が化けた玉藻の前が傾国の美女であったことは有名だが、それ以外にも狐が美人に化ける逸話は全国に存在する。化けるのであるから、いくらでも美しくなれるとも言えるが、想像できないものには化けられないので、美意識が高いということではあるだろう。六月の末に桃泉堂で行われた黒瀧稲荷社の京弥と瀬尾稲荷の結の見合いは、溜め息が出るほど美しい、めくるめくひとときだった。
蝶ネクタイを着けたスーツ姿の京弥と艶やかな淡桃色の振袖姿の結。目が眩むほどの美貌の二人の傍らにはそれぞれ、妖艶で気高い美女に化けた京弥の母と、訪問着をきっちり着こなして見違えるようなメイクを施した雪絵が控えている。京弥の美しく整った顔はいつもと変わらないが、結のオリジナルの化け姿を瑞貴は初めて見た。豊かな黒髪に大きな縮緬のリボンをつけ、透き通るような白い肌に桜色の紅を差した結は、控えめな性格に似合って儚げで清楚な雰囲気だった。
四人と仲人である瑞貴、そして店主である雄然が囲んだテーブルには、雄然が用意したコーヒーと千疋屋のメロンババロアが並んでいる。二人の母親はほくほくして、雄然のセンスの良さを絶賛した。慣れない仕事に緊張している瑞貴はまったくそれどころではなかったが。
当の本人たちは、お互いに一目見て相手を気に入ったようだった。女性と見紛うような曇りのない笑顔の京弥は余裕綽々だが、もう一人、緊張を隠せずにいるのが結だった。コーヒーに口をつけるので精一杯な様子ではあったが、潤んだ瞳で遠慮がちに京弥を見つめる初々しい姿は可愛らしい。見合いは滞りなく進み、最後に京弥は結と二人で出かけたいと申し出た。
『いざという時は異層に移ることもできますし、私が結さんをお守りしますので』
京弥は自信満々にさらりと言ってのける。初対面ながら良い雰囲気であり、二人で過ごすのも良いだろうと、母親たちも賛成した。化け狐の衣装替えは簡単で、京弥はカジュアルなカラーシャツとジャケット姿に、結は夏らしいロングワンピースに化け直す。これはこれで、バランスの良い美男美女だ。
主役の二人を送り出し、両家の母たちが一足先に家路についた後、瑞貴は桃泉堂のテーブルの上に突っ伏した。
「終わったー」
「お疲れさん」
何をしたわけでもないが、ずっと硬い表情で見合いを見守って疲弊した瑞貴を、雄然が労う。一息ついて、冷めきったコーヒーの残りを啜る瑞貴のスマホに、六花からメッセージが届いていた。椅子にだらりと腰掛けたままメッセージを開き、瑞貴は顔を上げた。
「雄然さん、六花さんが、お見合い終わったんなら桃泉堂に来たいって言ってますけど」
「蒼も一緒か」
「そうみたいです」
六花と蒼の二人に会うのは、柄掛山に一緒に行って以来だった。縊れ鬼のことは報告したが、やはりいきなり接触するのは危険だということで、民保協の本部の判断待ちになっていると聞いている。
一時間ほどしてやって来た六花は、オレンジ色の紙袋を持っている。
「はい、差し入れ」
「ああ、タンジェリーナか」
「店長の幼馴染み権限で、裏メニュー作ってもらったの」
そう言って六花はテーブルの上に紙袋を置く。雄然もタンジェリーナを知っているのか。
「あ、千疋屋のメロンババロア」
テーブルの上に二つ残されたババロアを見て、六花が呟く。瑞貴は一応、六花と蒼に化け狐の見合いの一部始終について話した。
「そう。じゃ、首尾は上々ってとこね。うまくいくといいけど」
妖力の強い化け狐同士の縁組は、種の保存という意味で民保協にとっても重要なのだそうだ。
「私たちもちょっと聞いてほしいことがあってね」
時刻は正午過ぎ。六花はテーブルの上にタンジェリーナで作ってもらったサンドイッチやキッシュを並べていく。思いのほか豪華なランチだった。
「この前の民保協の会議のことなんだけど」
民保協では、三か月ごとの関東支部会と年に二回の全国会議があり、先週の会議は上半期の全国会議だったらしい。六花と蒼は四月以降だけでも、暁父山の妖怪、館林のいちか狸、一つ目小僧、新宿雑居ビルの妖怪などデータベース新規登録も多く、特に雑居ビルの妖怪については、新しい妖怪の生存戦略として報告書を提出し、高く評価されたそうだ。
「それは良かったんだけどさ」
何種類もあるサンドイッチから卵サンドを選び、六花が不満そうに洩らす。
「季仙坊が言ってたじゃない。人間にとって都合のいい妖魔だけ取捨選択して遺すのか、って。私、あれがずっと気になってて」
雄然が、六花と蒼の分のコーヒーを淹れてテーブルに置く。瑞貴は試しに宮乃介の好物のキューカンバーサンドを食べてみて、その意外な美味しさに驚いていた。プロが作ればこうも美味しくなるものなのか。
「人間に害をなす妖怪をどうやって保全していくのか。これから妖怪が宝珠の力で活発化していくならなおのこと、早急に対策が必要になる」
「人間に致命的な害をなす妖怪は斬ってもいいっていう決まりは、原則、緊急避難措置だからな」
いつも、いざとなったら斬ってやると嘯いている蒼も、本来妖怪を斬りたいわけではないのだ。
「害をなすとは、どの程度のことを言うのだ。多かれ少なかれ、妖怪は人間に害をなすものだろう」
横からのんびりした口調で、雄然が口を挟んだ。雄然はランチには参加せず、座椅子に戻ってコーヒーを飲んでいる。
「この店にもたくさんの付喪神が巡って来るぞ。私の仕事は彼奴等を流通させることだ。ほとんどが曰くつきの品で、中には強い呪詛がかかっているものもある。それを知りながら、私はそれらを商っている」
ここでまた、雄然はいつものチェシャ猫の笑みを浮かべる。なぜか人を不安にさせる微笑だ。
「これだけの付喪神を扱っている私が、そもそも人間かどうかも分からんしなぁ」
雄然は愉快そうだが、六花は顔をしかめた。
「やめてよ、雄然。そんなこと言われたら、私たちは貴方を斬らなきゃいけなくなるかもしれない」
「そうだろうなぁ。怖いな」
ふふふ、と雄然は声を上げて笑った。何かを企んでいるような表情は、本当に妖怪のようだ。そう言われれば、瑞貴は雄然のことをよく知らない。民保協の二人はしばしばこの店を訪れるが、雄然自身は民保協には所属していないようだ。しかし、宝珠のことについても妖怪のことについても、ただならぬ知識を持っている。実際、雄然は何者なんだろう。
「今回の縊れ鬼の件は、死者が出たのがまずかったな」
そんな雄然を一瞥し、眼鏡を押し上げながら冷静に蒼が言った。民保協の調査では、先日公園で首を吊った男性は、あの後、病院で死亡が確認されたらしい。
「そうね。今の民保協は、害のある妖怪への対策が追い付いてないから」
縊れ鬼のあのぞっとするような笑顔を思い出し、瑞貴は身震いした。あれを保全するかどうかと言われると、悩ましいというのは理解できる。
「それに、もうひとつあるんだよ」
六花は右手でこめかみを押さえ、テーブルに肘をついた。
「宝珠と行動を共にしていることを指摘されたの。過度な宝珠との接触は問題だ、って」
「えっ、僕ですか⁉」
大仕事を終えて急に空腹に襲われキッシュを頬張っていた瑞貴は、唐突に自分の話題になって咽そうになる。
「民保協にとって宝珠は妖魔に影響を与える存在であり、監視対象ってことだ」
蒼も忌々しげに言い放つ。
「仲良しでは、《《いざという時》》に困るということか……。国の考えそうなことだな」
呆れたように雄然が言った。どうやら、宝珠はあまり民保協には歓迎されていないらしい。
「まぁ、だからって別に、私たちは変わらないけどね」
「宝珠の力を借りて業績を上げているのが気に入らない奴もいるんだろう。ただのやっかみだ」
六花と蒼の様子を見て、瑞貴は一安心した。宝珠の力が顕現して以来、二人にはずいぶん助けられてきた。ここで見放されてしまっては、瑞貴も困る。
「今回の会議では本部もキャパオーバーで、色々なことに結論を出せなくて持ち越しになってる。結果次第ではまた交渉が必要かもね」
パストラミとチーズのサンドイッチを美味しそうに食べながら、六花はそう言った。宝珠という立場上、六花や蒼の負担になるのは不本意で心苦しいが、気遣いは心強く嬉しかった。
「夏休みにはまた、秩父に行くんでしょう」
「ええ。八月からですけど」
「高校生の夏休みを修行に費やすのも大変だね」
「いえ。修行がなかったとしても、夏休みに特別何かあるわけではないんで」
瑞貴は淡泊に応えた。五月は十数年ぶりの帰省だったこともあり修行もそんなにきつくはなかったが、次回行く時には少し本格的な修行をすることを美弦と相談している。家にいてだらだらと過ごすよりは、むしろ新鮮な体験ができるかもしれない。
結が手を付けなかったメロンババロアを、雄然に食べていいと言われた六花が、いそいそと皿を自分の前に引き寄せた。
その日の夜、瑞貴のもとに美弦から連絡があり、京弥と結は一日デートを楽しんだ後、暁父山まで京弥が結を送って行ったということだ。雪絵が喜んで美弦に報告に行ったらしい。自己陶酔型でこだわりの強そうな京弥だが、相手が控えめでおっとりした結なら上手に合わせられそうだ。思いのほか順調にいきそうで、瑞貴は安堵した。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




