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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
暗雲

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35/53

暗雲④

「それで、この店で見合いをさせたいと」

 コーヒーの良い香りが立ち昇る年代物の湯呑み茶碗が二つ置かれたテーブルの向こう側で、雄然が難しい顔をしている。暁父山の結と柄掛山の京弥が見合いをすることになった経緯を瑞貴が話す間、雄然は珍しく座椅子に戻らず、瑞貴の向かい側に座って聞いていた。

「はい。他に良い場所が思いつかなくて」

 困った顔をして見つめる瑞貴に、雄然は呆れたように溜め息をついた。

「狐と言ったな」

「ええ。狐です。結さんのお母さんは、人魔相殺して人間ですけど」

「ふむ……」

「ここなら、何かあって化け術が解けても問題ないですし」

 雄然は首を捻りながら腕組みをする。細い目をほぼ瞑って少し考えた後、口を開いた。

「まぁ、駄目ではないがな」

「本当ですか⁉」

「ひとつ貸しにしておいてやる」

 そう言って、雄然はまたチェシャ猫のようににやりと笑った。

「あ……はい」

 借りを返せるような機会があるのかどうかは分からないが、瑞貴はとりあえず頷いた。これで、何とか期待された役割は果たせそうだ。そう思って胸をなでおろしていると、雄然が改まって顔を覗き込んでくる。

「なぁ宝珠」

 勿体ぶった笑みを浮かべたまま、雄然は続けた。

「近頃は妖怪たちが皆、浮き足立っておるな。分かるか。まるで冬眠から覚めたようだ」

「えっ」

「宝珠の存在が知れ渡ってきたのだろう。あの楽筝のように、妖力を持つ価値の高い古物が出回るのもそのせいだ。私にとっては商いが盛んになって良いことだがな」

 最近気になっていたことを、ずばり突かれた気がして瑞貴は動揺する。

「……やっぱり、僕のせいなんでしょうか」

 上目遣いに言う瑞貴を見て、雄然は細い目を丸くした。

「まだそんなことを言っておるのか。宝珠の力はお前が思っている以上に広く及んでおるぞ」

 薄々気づいてはいた。力が顕現した当初のように、闇雲に荒々しく力を奪いに来ることはなくなったが、妖魔たちは宝珠に引き寄せられてきているのだろう。分かっていたのだが、気付かないふりをしていたのだ。柄掛山の季仙坊にも、宝珠の力をどうやって使うか考えるとは言ったものの、まだその答えは見つけていない。

「安心しろ。お前は成長しておる。ゆえに皆、おいそれとお前に手出しはしなくなったろう」

 瑞貴の心の内を見透かしたように雄然は言った。そしてなおも、含みのある表情をして言葉を継ぐ。

「言っておくがな、宝珠。今後、お前の元には、救いを求めるモノ、おもねって利を得ようとするモノ、崇めるモノ、反発するモノ、無理難題を持ちかけるモノ、様々な妖魔が寄って来るだろう。それに応えるかどうかは、お前次第だ。求められたものを必ずしも与える必要はないのだからな」

 雄然の言葉は諭すようであり、しかし力強かった。

「ありがとうございます」

 思わぬところから激励されて力づけられた瑞貴は礼を言い、雄然は満足そうに目を細めて頷いた。

 瑞貴は、雄然と見合いのことについていくつか打ち合わせをして、桃泉堂を後にした。外に出ると、雨は上がっている。夏至を過ぎたばかりで日が長く、まだ明るい。瑞貴は濡れた傘を手に、家路についた。

 最寄駅から自宅マンションまでは十分もかからない。家に帰る途中に川があり、橋を一本渡る。その頃には空は暗くなり始めていた。瑞貴が橋に差し掛かった時、橋を渡って一本目の道路を救急車がけたたましい音を鳴らしながら右から左へと通り過ぎていくのが見えた。サイレンは橋の正面を通過して、少し行った辺りで音を消した。嫌な予感がする。橋を渡り切り、道路まで出た瑞貴が左側を窺うと、二ブロックほど離れた川沿いの公園の前に、救急車が停まっているのが見えた。並んで、警察車両とポンプ車も停車している。公園の前には人が集まってきており、中を覗き込もうとして警察官に制止されていた。瑞貴は、吸い寄せられるように公園に向かって歩いていった。

「首吊りだってよ」

「若い男の子だって」

「大学生?」

 人だかりから声が聞こえてきた。皆、生け垣の縁から公園の奥を見ようとしているが、薄暗くてよく見えない。野次馬に混じってしばらく眺めていると、やがて制服を着た救助隊員が人払いをして、ブルーシートで目隠しされたストレッチャーが歩道を横切り、救急車内に収容されていった。

(首吊り……自殺か)

 瑞貴は内心呟いた。救急車の扉が閉まると、歩道の野次馬が散り始める。その中に、紺色の甚平を着たぼさぼさの髪の男がいた。猫背でひどく顔色が悪い。手ぶらで足には草履を履いており、近所から騒ぎを聞きつけてやって来たようにも見えるが、瑞貴の視線はなぜか、その男に引きつけられた。

(あいつ……妖怪か?)

 男は歩道で仁王立ちになり、救急車を見つめている。俯いたその顔は、よく見なければ分からないが、確かに満面の笑みを浮かべていた。瑞貴は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。目を合わせないように、素早く視線を逸らすが、男のことが気になって、その場から動けない。

縊れ鬼(くびれおに)か……。あいつが、首を吊るよう仕向けたのか……)

 縊れ鬼は、通りすがりの人をそそのかして首を吊って自死させる妖怪だ。まったく死ぬ気がなくても、縊れ鬼に魅入られると首を吊りたくなるらしい。

―人を殺したい、喰らいたい妖魔もいる

 季仙坊の言葉が甦る。

 救急車がサイレンを鳴らして行ってしまうと、縊れ鬼と思われる男はゆっくりと体の向きを変え、真っ暗になった公園に入っていく。通行人は誰ひとり、男を気にすることなく素通りしていく。現場に残って作業している警察官たちも、男のことは目に入らないようだ。瑞貴は男の後を追って、公園に足を踏み入れようとした。と、後ろから強い力で腕を掴まれる。振り向くと、千歳が立っていた。

「瑞貴」

 声だけ掛けて、千歳は首を振った。瑞貴ははっとした。

「いくら宝珠でも、丸腰で行ったら引かれるぞ」

 千歳はジャケットの懐から封筒を取り出すと、中から塩をつまみ出して、瑞貴の背中と自分の背中に払うように振りかけた。

「ごめん、父さん。ありがとう」

「ああ。帰ろう」

 千歳は瑞貴の肩を抱くようにして促した。危うく、公園の中に引き込まれるところだった。

「あれが、この前見たって言ってた嫌なモノだ。マンションには結界を張っておいたが、まだ近所をうろついていたんだな」

 自宅へと帰る道を並んで歩きながら千歳が言った。

「縊れ鬼って、あんなに人を惑わす力が強いんだ……。他に犠牲者が出ないといいけど」

「そうだな。あの公園も祓っておいた方がいいな」

 その夜、瑞貴は六花にメッセージアプリで縊れ鬼の出現を報告した。危険な妖怪だが、民保協では対処できるのだろうか。いつもすぐに返信をよこす六花だが、その日はなかなか既読がつかなかった。雄然の話では民保協の会議に出ているということだったが、何かあったのか。瑞貴は少し気がかりだった。結局、その日は六花と連絡はつかなかった。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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