暗雲③
美弦からは、それほど日にちを空けずに連絡が来た。瀬尾稲荷の雪絵は、黒瀧稲荷社の京弥のことを聞くと二つ返事で、相手として申し分ないと喜んでいたらしい。問題はやはり、見合いをする場所だった。京弥はともかく、雪絵の娘の結は、長時間人間に化けて人目に晒されることには慣れていない。衆人環視のもとで狐の姿に戻ってしまうことは避けたいということだ。
『雪絵さんは、落ち着いて話ができればどこでもいいとは言ってたんだけど……。瑞貴、どこか探せるかい?』
「僕がですか?」
『一応、まだお見合いだから、暁父山か柄掛山というわけにもいかないと思って。それに、雪絵さんはぜひ宝珠である瑞貴に仲人をお願いしたいって言ってるんだ』
「仲人……?」
仲人なんて、現国の教科書に載っている文学くらいでしかお目にかかったことのない言葉だ。あれは、年配の夫婦とか世話好きの小母さんとかがなるものではないのか。
『まぁ、要は仲を取り持って、立ち会ってほしいってだけだから』
結婚どころか彼女もできたことがない瑞貴が、妖怪とはいえ仲人だなんて。瑞貴は頭を抱えた。しかし、タカネとフウロの手前、断りづらい。
「……分かりました。ちょっと、考えてみます」
美弦とそんなやりとりがあった三日後。部活のない月曜日の放課後に、瑞貴は一人で桃泉堂を訪れていた。
雨がしとしと降っており、ここ最近では涼しいくらいの夕暮れ。傘から滴り落ちる水が制服を濡らして不快だった。
瑞貴が桃泉堂の重い木の扉を押し開けようとした時だった。急に内側から扉が引き開けられ、扉に体重をかけていた瑞貴は前につんのめる。
「あら、ごめんなさい」
出てきたのは、和服の女性だった。高級そうな縹色の着物を粋に着こなし、一面に繊細な刺繍の施されたバッグを持っている。年齢は五十代かと思われるが、右目の下に泣きぼくろのある白い顔は凛として美しい。結い上げた髪に海月を模った大きな簪をつけているのが印象的だった。
女性は丁寧に瑞貴に会釈すると、上品な花柄の傘を差して、雨の通りに出て行った。瑞貴は女性の涼しげな後ろ姿に目を奪われながら、桃泉堂の中に入った。
「雄然さん、こんにちは」
四人掛けのテーブルで書類をまとめていた雄然に、瑞貴は声を掛ける。カウンターの上には、一張の古めかしい琴が置かれていた。
「おや、宝珠。しばらくだな」
「さっきの女の人、誰ですか?」
「うん?ああ、客だよ」
客。そうか。桃泉堂は古物商だった。いつ来てもあまりにも人がいないので、瑞貴はすっかり忘れていた。
「お客さん、いるんですね」
「失礼な。この店は、赤字を出したことなどないぞ」
「えっ、そうなんですか?」
素直に出てきた瑞貴の失礼極まりない言葉に、雄然が苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「今もその楽筝の商談がまとまったところだ。古い楽器でな、なかなかの値がついた」
雄然がカウンターの上を見遣りながら言い、瑞貴に顔を近づけて、楽筝の値段を囁いた。
「ええっ⁉そんなに⁉」
思わず瑞貴は声を上げた。高級車一台分くらいはする。確かにこんな商談が年に何件かあれば、赤字にはならないかもしれない。雄然はしたり顔で笑っている。
「あの人、何者なんですか?」
「あの客は、有名な演奏家だ。以前にもこの店で琵琶やら三味線やら買っておる」
「この店のものって、だいたい付喪神なんじゃないんですか」
「何でもかんでも付喪神というわけではないが……。まぁ、《《そういうの》》を好む客もおるということだ」
雄然は、手慣れたふうに楽筝を袋に収納しながら、意味深に言葉を濁す。
「少しくらい妖の力が及んでいる方が、楽器は美しく物悲しい音色を出すのでな」
「あのお客さんは、妖魔なんですか?」
きちんとした身なりながらただならぬ雰囲気を醸し出していた女性を思い出しながら、瑞貴は思わず訊いた。
「さぁてなぁ。買い手のことは詮索せんのでな」
雄然は瑞貴の方も見ずに袋に収納した筝とまとめた書類を一緒にして、カウンターの後ろの棚にしまった。
「ところで宝珠。今日はどうしたのだ。六花も蒼も、民保協の会議があるから来んだろう」
それは初耳だった。あの二人は会議に出たりするのか。民保協は国の外部機関であり、技術部なんかもあると言っていたので、それなりにちゃんとした組織なのだろう。
「今日は雄然さんにお願いがあって来たんです」
「私に用事とは珍しいな。珈琲を淹れるから、座って待っておれ」
そう言って雄然は、空いたテーブル席を瑞貴に勧めた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




