暗雲①
『もしもし』
物腰の柔らかい穏やかな声がスマホから聞こえた。
「あっ、突然すみません、美弦さん」
『元気にしてるかい、瑞貴。心配してたんだ。母も宮司様も』
「ええ、まぁ、なんとか」
自宅のリビングのソファで、瑞貴はパジャマを着て濡れた髪をタオルで拭きながら、美弦に電話を掛けていた。部屋では、ペットのようにタカネとフウロが寛いでいる。季仙坊に斬られたフウロの尻尾の傷はだいぶ良くなったが、長さは短いままだった。
「今日はちょっとご相談というか、お願いがあって……」
瑞貴は言いにくそうに切り出した。
電話を掛ける羽目になったのは、先日の柄掛山からの帰り道、京弥から話があると言われて相談を持ち掛けられたせいだ。あの日、京弥はチェスの勝負が終わった後、蒼とタカネを連れて竹藪から洞窟まで歩いてきた。どうやらその最中に、タカネと話をしていたようだ。
「瀬尾稲荷の結さんと、お見合いしたいって言ってる方がいるんです」
『あぁ。それは雪絵さんが喜ぶね。お相手は稲荷の狐かい?』
「はい。柄掛山の黒瀧稲荷社の京弥さんという方です」
秩父滞在中に、瀬尾稲荷の雪絵から娘の婿探しを頼まれていたのを、瑞貴自身はすっかり忘れていた。だが、雪絵の娘ということは、タカネとフウロの姉に当たる。タカネの故郷の話から、そういう話題になったらしい。
美弦は驚きもせず、淡々と話を聞いてくれた。妖怪の見合いなんて、どうすればいいのか分からない。幸い今回は両者とも人間に化けられるので、普通にホテルのラウンジとかで会うのだろうか。
ひとまず、雪絵には美弦から伝えてもらうことになった。気が重い頼みごとが一つ片付いてほっとしている瑞貴に、今度は美弦が質問する。
『そっちは何か変わったことはないかい?』
「変わったことですか?」
『うん。神社の周りは最近ちょっと妖怪が増えてきて、宮司様に結界を張り直してもらったんだ。それに、近隣の山で事故も続いていてね。別々の山だけど、一人、増水した川に流されて亡くなったし、もう一人、山の中で行方不明になって捜索中なんだ。まさかとは思うけどね……』
まさか、妖怪の仕業では、と美弦は言いたいのか。瑞貴も、以前よりは身の回りに妖魔の気配を感じるようにはなっていたが、それが、自分の妖怪を察知する能力が上がったせいなのか、実際に妖怪が増えているのかは分からない。
「こちらは特に何もないですが……少し妖怪たちが活気づいているんですかね」
『うん……。事件や事故が増えなければいいんだけどね。瑞貴はまた夏休みにこっちに来るんだろう』
「はい。そのつもりです」
『楽しみにしているよ』
電話を切ると、玄関の方から音がした。瑞貴が風呂に入っている間に、千歳は出掛けていたのだろうか。もう午後十時過ぎだ。瑞貴はリビングのドアを開けて、玄関の方を見た。
「どっか行ってたの?」
千歳は玄関の三和土で靴を脱いでいるところだった。手には小さな御幣を何本か持っている。
「ああ。今日、帰りにちょっと嫌なモノを見ちゃってな。マンションの外周に結界を張ってきたんだ」
「嫌なモノ……?」
「うん。よくは見えなかったが、あれは鬼の一種だな。咄嗟に印を結んだから引っ張られなかったが、相当良くない感じがした」
さすがは上条の巫覡の血筋だ。まるでゴミ捨てに行くかのようにカジュアルに結界を張りに行く。
「父さんにも妖魔が見えるんだね」
「誰にでも、ちゃんと見ようと思えば見えるもんだよ。でも、ここ最近はちょっと存在感が強くなってきたかもな」
「ふぅん……」
『普段から妖怪と一緒に過ごしているからかもしれませんよ』
床でフウロとじゃれ合っていたタカネが真顔で口を挟んだ。それならいいのだが。先ほども似たような話を美弦から聞いたばかりだ。瑞貴は少し気がかりだった。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




