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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
天狗

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30/53

天狗①

 瞬間移動した先は、岩場の洞窟の前だった。洞窟は入り組んだ岩の重なりでできており、人工的に造ったようにも自然にできたようにも見える。洞窟の前は少し開けており、平坦な赤土の地面が剥き出しになっている。洞窟の上には大きなアカマツの木が一本、天に向かって突き出していた。その枝の上に、高下駄で立つ大きな天狗の姿があった。

季仙坊きせんぼう、宝珠を連れてきたぞ』

 地面には下りず、低空飛行を続けながら、烏天狗は松の木にいる天狗を仰ぎ見た。

青天狗あおてんぐ神通力じんつうりきを使ったのか』

 大きな天狗は、人間にすると年の頃は五十代半ばほどの壮年で、精悍な顔つきをしている。こちらも山伏の装束を身に着け、日に焼けたように赤い顔をしており、長い鼻をしていた。

『待ちきれなくてね。季仙坊だって、宝珠に早く会いたかっただろう』

 いかめしく声を掛けられても悪びれず、烏天狗は頭の後ろで両手を組んだ。壮年の天狗は一瞥しただけでそれ以上は何も言わず、六花と瑞貴に視線を移した。

『我が名は季仙坊。こやつは青天狗の檜扇坊ひおうぼうだ』

「柄掛山の大天狗と小天狗ってことね」

 六花も、季仙坊と名乗った天狗を睨み返した。季仙坊は灰色の羽の混じった白い翼を一度だけ大きく羽ばたかせ、ゆっくりと地面に降り立ち、手に持った錫杖しゃくじょうを地面に突き立てた。引き締まった逞しい体つきで、高下駄を履いているせいもあり見上げるほどの巨体だ。

「蒼を足止めさせたのも、あなたたちの差し金なの」

 怒気を含んだ声で六花が凄んだ。季仙坊は高い位置から六花を見下ろす。

『そうであったらどうなのだ。あやつなら無事だ。見てみるがいい』

 そう言って、季仙坊は錫杖で洞窟の入り口を指さした。そこには人の背丈ほどの古い楕円形の鏡が置いてあり、その滑らかな表面にチェスをしている京弥と蒼の姿が映し出されている。二人は穏やかな雰囲気で勝負を進めているように見えた。

『あれから二月ふたつき、宝珠の力も少しは育ったようだな』

 季仙坊は錫杖を高く掲げる。錫杖の頭部についた遊環ゆうかんが赤い光を纏い、小さな火花を散らす球体を生み出した。瑞貴が宝珠で作る光の球体とよく似ている。無表情のまま季仙坊は錫杖を大きく振り上げ、シャンと音を立てて、瑞貴がいる方向に振り下ろした。赤い球は弾丸のように、瑞貴をめがけて飛び出す。

「瑞貴!」

 六花が叫んだが、その時にはすでに、瑞貴は右の掌を赤い球体に向けていた。球体は空中で蒸発し、青い蒸気となって瑞貴の掌に吸い込まれた。

『なるほど。基本的な力の扱いは覚えたということだな』

 季仙坊は頷いた。瑞貴は右手を下ろし、季仙坊を見据える。

『宝珠の力が現れた時、ここで何があったか知りたいか』

 季仙坊は錫杖を下ろし、抑揚のない声でそう訊いた。その灰色の瞳からは、感情が読み取れない。

「知る必要があるなら」

 瑞貴はそう答えた。それを聞いて、季仙坊は片方の唇の端をつり上げて笑った。

『そうか』

 烏天狗――檜扇坊は、瑞貴たちから距離をとるように空中を少し高い所まで上昇して滞空した。風が吹く。六花は眉をひそめた。

『我々はあの日、お前を殺そうとしたのだよ』

 感情の乗らないうっすらとした微笑を滲ませたまま、季仙坊は言い放った。落ち着き払ったその様子は、薄ら寒さを覚えるほどだ。

『この時代に宝珠が顕現することは危険だ。だから、力が顕現する前に芽を摘んでしまおうと思ったのだがな』

 一瞬、雲の切れ間から陽の光が差した。遮るもののない山肌に、突然強い太陽の光が照りつける。

「危険って……どういうこと?」

 問うた六花にちらりと視線を投げた後、季仙坊は語り始めた。

『かつて日本は曖昧模糊としており、怪異をありのままに受け容れ、追究しない気質を持っていた。人知を超えた存在を信じ、敬い、畏怖の念を以って接していたのだ。しかしその気質は今や失われてしまった。人間は、自分たちがすべてを理解できると心得違いをし、理解できぬものの存在を否定しはじめたのだ。そして、人間の命が最も尊く、その身の安全は当然守られるべきものと驕り、それを脅かすもの、害をなすものを排除しようとするようになった』

 再び、太陽が雲に隠され、陽がかげる。

『この時代に妖怪をはじめ、妖魔神仏が力を得て再び人間の前に姿を現したとて、受け入れられず、策をろうして駆逐されるのが関の山だ』

「そんなことはさせない。私たちは妖魔と人間が共生できる方法を模索したいんです」

 六花が訴えるように叫ぶ。それが六花の純粋な想いであることは、瑞貴にも分かった。しかし、季仙坊はその顔から笑みを消し、眉をつり上げた。

『共生だと。そんなことが本当にできると思うのか。妖魔の中には、人間を殺したい、喰らいたい、それを生業なりわいとするモノもいるのだ。民保協にあっても、人間に害をなす妖魔を監視し、必要とあらば抹殺することをも目的の一つとしているだろう。あの男のようにな』

 季仙坊は視線を二人に向けたまま、鏡に映し出された蒼を錫杖で指した。シャン、と錫杖が音を立てる。

「それは……」

 六花は絶句して、唇を噛んだ。錫杖を元に戻した季仙坊は、わずかに漏れ出てしまった怒りの感情を隠すように、再び抑揚のない声で続ける。

『平和な共生など、望むべくもない。それとも、人間にとって都合の良い妖魔だけ取捨選択して、標本のようにのこすのか?』

 ずっと季仙坊を見据えたまま、瑞貴は話を無言で聞いていた。その脳裏には、いちかや新宿御苑の小十郎爺、立派な妖怪になりたいと言った子狸の太月、社会勉強をしようとしている一輝や三久のことが浮かんでいた。

「民保協や国がどう考えているのか、僕は知りません」

 徐ろに、瑞貴は口を開いた。静かで穏やかな口調だ。

「ただ、僕が人類の存在を肯定も否定もできないように、あなた方にも妖魔の存続が良いか悪いか、決めることはできないと思います」

 言いながら、瑞貴は視線を自分の右手に落とし、その掌から白い光を浮かび上がらせた。

「僕は、この宝珠の力を授かった以上、これをどうやって使うか、考えていきます」

 淡々としながらも力強く、瑞貴は宣言した。高い所で羽ばたきながら浮遊していた檜扇坊が、ブワッと髪を逆立てた。

『季仙坊、やっぱり宝珠を殺しちまえよ!』

 言うが早いか、檜扇坊は鴉の鳴き声でギャアと一声、咆哮した。すると、頭上に開けた空に、瞬く間にたくさんの鴉が集まってきた。

「瑞貴!」

『主さま!』

 六花とフウロが叫ぶ。六花はすかさず護符を取り出し、呪文を唱えようとした。しかし、檜扇坊は先ほどと同じ五色の糸の縄を投げ、六花をからめとる。そしてもう一声、集まった鴉たちに号令をかけるようにギャアと一喝すると、そのまま六花をさらって葉団扇を扇ぎ、姿を消した。

「あっ、六花さん!」

 さすがに瑞貴も慌てた。天狗たちは本気で宝珠や民保協をなきものにするつもりなのか。

「フウロ、戻れ」

 危険を察知した瑞貴が命令すると、管狐は竹筒に吸い込まれていく。

『でも、主さまぁ…っ』

 心配そうなフウロの声が聞こえたが、瑞貴はそのまま竹筒の栓を閉めた。

 空に群がった鴉たちが、瑞貴めがけて襲いかかってくる。しかし、その鴉たちはほとんど《《普通の》》鴉だった。檜扇坊に操られており、邪悪な人のような目をしているが、妖力はそれほど強くない。瑞貴は掌をかざし、鴉たちの妖力を一網打尽に吸い取った。わずかずつながら、一気にたくさんの鴉の妖力を軒並み吸い上げたせいで、瑞貴の中でエネルギーが昂るのが感じられた。

 鴉はどんどんその数を増し、空で渦巻いている。瑞貴の中で、吸い上げた妖力がたぎりはじめる。瑞貴は掌の上で、緑色の光の球を次々と作り、連なった球を空遠くに思い切り投げた。何度かそれを繰り返し、投げるたびに鴉たちは数十羽が一団となり、緑の球を追いかけて飛び去って行く。

『少し知恵もついたようだな』

 鴉と戦う様子を一歩退いて見ていた季仙坊が呟いた。

『よかろう。わしが引導を渡してやる』

 季仙坊が錫杖を一振りすると、それは太刀に変わった。蒼が持っている小太刀とは比べ物にならないほど大きくて、鋭く研ぎ澄まされた刃。季仙坊の発する気迫に、空を覆い尽くす鴉が一斉に散開した。またしても命を狙われるとは。宝珠の命を奪いたがっている妖怪は、思いのほか多いようだ。

 季仙坊は、太刀の切っ先を瑞貴に向かって突きつけると、両手で振りかぶって助走をつけた。一気に間合いを詰め、太刀を振り下ろす。ビュン、ビュン、と何度か太刀が瑞貴を掠めた。重量のある太刀は命中すれば命取りだが、一振りが重いせいか狙いが甘い。俊敏さはあるので何とか避けたが、勢い余って地面に転がる。瑞貴は右手の掌を天狗に向け、妖力を吸い取ろうとした。しかし、季仙坊は自らの前で太刀を構え、その刀身に黒いオーラを纏わせた。

『そうはさせんぞ』

 黒いオーラに阻まれて、宝珠は季仙坊から妖力を吸い取ることができない。新宿の雑居ビルで瑞貴が纏ったあの黒いもやと同じだ。季仙坊はにやりと笑って、再び太刀を振り上げた。斬られる。瑞貴は片膝をつき、身構えた。その時、地面に転がり落ちた竹筒の栓が抜け、中からフウロが飛び出してくる。

『主さま!』

 フウロの体は大きく膨らみ、空中に浮いたかと思うと、ムササビのように飛んで、天狗の顔面に覆いかぶさるように落ちていった。

「フウロ!」

『おのれ、野衾のぶすまに化けおったか』

 不意打ちを喰らった季仙坊はバランスを崩してよろめいたが、咄嗟に太刀を横ざまに一閃する。キャン、とフウロの鳴き声がして、狐に戻ったフウロの体が地面に投げ出された。

「大丈夫か、フウロ!」

 瑞貴は地面に這いつくばり、フウロの体を抱き寄せる。

『主さま、しっぽが……』

 目を潤ませているフウロの、細い体と同じくらいの大きさの尻尾は、半分ほど切り落とされている。幸い、ほとんどが毛でできているため、身のある部分の傷はわずかだった。

 瑞貴はフウロを懐に抱いたまま、季仙坊を睨みつける。

『ほう、式神にすら情をかけるのか。ならば、あれを見るがいい』

 季仙坊の太刀が再び錫杖に姿を変え、その頭部が洞窟の鏡に向けられる。そこには、真剣な表情でチェスに熱中している京弥と蒼の姿があった。

『狐の異層は術者が自ら解かなければ、現世うつしよに戻ることは叶わぬ。あの男が勝負に勝たなければ、管狐の片割れも引き出しに封じられたままだな』

 そして、季仙坊が錫杖を一度打ち鳴らすと、鏡の映し出す画面が切り替わった。切り立った崖の上に大きく枝を伸ばすブナの木。この柄掛山のどこかだろうか。その枝に大きなかごが吊るされて、風に揺れている。そのそばには、小天狗・檜扇坊が羽ばたきながら滞空していた。画面が籠にズームする。籠の中に、人が横たわっているのが見えた。

「六花さん……」

 六花は、眠っているのか気を失っているのか、籠の中で丸くなった姿勢のまま微動だにしない。

『あれを吊っている糸が切れたら、籠は崖下まで一息に落ちような』

 季仙坊の瞳が妖しく光る。

『檜扇坊も躊躇はしまい』

 一気に、瑞貴の中に怒りが湧きあがった。今までに見せたことのないような鬼の形相で、季仙坊を下から睨み上げる。同時に、瑞貴の身体全体が、赤い靄に覆われた。

『ほう…!』

 季仙坊は歓喜の声を上げた。赤い靄は強い光に変わり、炎のように揺らぐ。

『それでこそ、宝珠……』

 瑞貴は掌の宝珠に力を溜めていく。憤怒に満ちた視線は、天狗に据えられたままだ。総毛立つような怒りのオーラに、フウロがおののいて飛びすさる。

 膨大なエネルギーが宝珠に蓄積され、瑞貴の右腕全体をめらめらと火焔のように覆いつくした。季仙坊の額にはじっとりと汗が滲んでいるが、その表情は喜色満面きしょくまんめんだった。

『さあ、来るか、宝珠』

「望み通り」

 錫杖を構えた季仙坊の挑発に、瑞貴が乗ろうとした、その時だった。

――駄目よ、瑞貴。

 突然、涼やかな声が天から降る。白く柔らかい大きな光が瑞貴の上に舞い降り、瑞貴の赤いオーラごと身体を包みこんだ。

――怒りに任せてはいけない。

 瑞貴の、宝珠のある右手がそっと握られた。憶えのあるひんやりした感触。

――あなたにはすでにその炎は扱える。でも……

「母さん……」

 白い光の中に、幻影のように母、悠花の顔が見えた。悠花は少し悲しそうな表情をしている。

――憎しみは何も生まないわ。ちゃんと、目を開いて……

 瑞貴は我に返った。一度目を閉じると、深く息を吸う。そしてゆっくり瞼を開けると、季仙坊を、再度真っ向から見つめる。瑞貴はすっと立ち上がり、背筋を伸ばすと、宝珠に溜めた赤い炎を季仙坊に向かって放った。

『なにっ⁉』

 炎は、季仙坊が構えた錫杖に絡みつき、それを真っ赤に燃やした。季仙坊が火焔の上がった錫杖を取り落とす。地面に落ちた錫杖を灼くほむらはさらに燃え盛り、金の錫杖は一瞬にして真っ黒に焦げ、灰になった。

 白い光の中の悠花はにっこりと微笑むと、そのまま光に溶け込み、光ごと空に上がっていく。空には真珠色の雲が浮かんでおり、その雲が白い光を吸収した。真珠色の雲の上に羽衣を纏った天女のような姿が、一瞬見えたような気がした。

『宝珠に救われたか……』

 空を見上げ、季仙坊が悔しそうに呟いた。その両手は、赤くただれて黒い煙を立ち昇らせている。

 そして。

「チェックメイト」

 鏡の中から、蒼の声が聞こえた。勝負は、ついたのだ。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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