原点②
毛足の長い絨毯の敷かれた、天井の高い広間の真ん中に、白いクロスの掛かったテーブルがある。おそらく、新宿御苑の狸がしたのと同様に異層に移ったのだろう。足止めされてしまったが、こうなっては無理に突破することもできない。
「最近の狐狸の幻はお洒落ね」
「西洋かぶれだな」
六花と蒼は半ば呆れている。京弥は三人をテーブルに誘い、二匹の管狐にはアンティーク風のオットマンを勧めた。二人のメイドが現れ、お茶の準備を始める。
『これは本物の紅茶ですから、ご安心を。季仙坊と檜扇坊は、もう少し上で皆様を待っておられますので』
「この山の大天狗と小天狗の名前か」
『その通りです』
京弥は微笑みを絶やさない。白い肌に金色に艶めく前髪がさらさらとかかり、まるで貴公子のようだ。提供された紅茶は、香り高いアールグレイ。三人は京弥と共にテーブルを囲んだ。管狐にも陶器のボウルに入ったミルクが振る舞われる。
広間のアーチ窓のそばには、小さなマホガニーの猫足のテーブルがあり、その上にチェスボードが載っている。
「俺たちが今日、ここに来ることを知っていたのか?」
『ええ。檜扇坊の遣いの鴉が報せに参りましたので』
遣いの鴉。宝珠の力が覚醒したばかりの頃、鴉に襲われて雄然に助けられたことを瑞貴は思い出す。
『天狗どのはご自身も空を飛べますし、鴉も使役できますからね。広い情報ネットワークをお持ちなんです』
京弥は自らも紅茶のカップを口に運びながら、にこやかに言う。
『宝珠様の力が開花した日は、この山もかなりざわめきました』
「宝珠が顕現したことに、みんな気づいたということですか?」
話に瑞貴が食いついた。先ほどから彼らを覗きに来ていた林道の妖怪たちも、あの日の宝珠の顕現を知っていたということか。
『ええ。開花した瞬間、宝珠の力は山全体に少し漏れ出したのです。山の妖怪たちは、皆それに気づきました』
「民保協のことは?どこで知ったんだ?」
『日本が国として妖怪を保全しようとする動きがあるということは、噂になっています。そして、この山で、宝珠の覚醒に立ち会っていたということも。ほかにも色々、我々は存じておりますよ』
意味深に言いながら、京弥は席を立ち、窓際のチェスボードの置いてあるテーブルに歩み寄る。
『天狗どのは、宝珠と民保協は、いずれこの山に戻ってくるだろうと仰いました。先見の明がおありですね』
チェスボードの上には、駒が整然と並べられている。日本の妖怪がチェスなんてするのだろうか。
『このチェスボードは、とあるアンティークショップで購入しまして。美しいでしょう』
つやつやとした光沢のある重厚な木製の台座には、細かい装飾の取っ手のついた引き出しがあり、盤面は唐草模様のような透かし彫りで縁取られている。
『装飾もさることながら、これは少し妖力を帯びておりましてね』
京弥はしなやかな手つきでチェスボードを愛でるように撫で、引き出しを開けると、パチンと指を鳴らす。すると、ふかふかのオットマンの上でミルクを飲んでいたタカネの体がふわりと浮き上がって引き出しに吸い込まれ、そのまま引き出しが閉まってしまった。
「えっ⁉」
「タカネ!」
あっという間の出来事に、三人は息を呑み、椅子の上で腰を浮かせる。フウロも驚いて跳び上がった。
『兄様!』
蒼が懐の中で、懐剣の鍔音をカチャリとさせた。
『宝珠様の式神をお預かりしました。無茶はなさらない方がいいですよ。異層の中で、術者の意に反することをされますと、元の世界に戻れなくなるかもしれません』
「何が目的なの?」
変わらず穏やかな口調でにこやかに警告する京弥を、六花が睨みつける。
『どなたか、チェスで私と勝負しましょう。私が負ければ管狐をお返しします。私が勝ったら、宝珠様にひとつ言うことを聞いていただきます』
「タカネは……」
『管狐は安全ですよ。同じ一族の妖を危険に晒したりはいたしません』
広間の優雅な雰囲気とは対照的に、三人の間に緊張が走る。
「僕は……チェスはやったことないです」
瑞貴が言い、六花と蒼の方を見た。六花も首を振っている。すると、顎に手を当てた姿勢で俯いていた蒼が口を開いた。
「俺がやろう」
それを聞くと京弥は満面の笑みで頷き、嬉々としてセッティングを始めた。白と黒のポーンを取って、合わせた両の手の中に入れてから、握った二つの拳を蒼の前に差し出す。蒼は憮然としながらも、京弥の右手を選んだ。中に入っていたのは、黒のポーン。
『私が先攻ですね』
狐狸に騙され続けている瑞貴は、訝りながら眺めていた。狐と、ましてや相手のテリトリーの中でゲームをして、勝つことなどできるのだろうか。
京弥と蒼は、色ガラスの嵌ったアーチ窓から淡い光の差し込んでいるテーブルに向かい合わせに座る。蒼は眼鏡の奥から無表情に京弥を見つめた。タカネが封じられたチェスボードを前に、京弥は両肘をついて長い指を組む。
『では、私から始めますね』
楽しそうに言って、京弥が真ん中のポーンを指でつまんだ。白いポーンが二マス先の盤面に置かれたその時、対峙している二人もろとも、広間が消え去った。瑞貴と六花、そしてフウロは、元の竹藪の中にいた。
「…っ。どういうこと⁉私たちだけ異層から出された……⁉」
竹藪には風が吹き、ただ、さざ波のような竹の葉擦れの音だけが聞こえる。
『主さま……』
フウロも不安そうだ。
「タカネと蒼さんを人質に取られたってことですね……」
「たぶん、はじめから蒼を狙ってたのかもね」
蒼がいなければ、いざという時に妖怪を斬ることができない。妖怪たちがそこまで下調べしていたかどうかは分からないが、京弥の言っていた天狗のネットワークというのが本当にあるならば、可能性はある。
『さぁ、お前らは季仙坊どののところへ行くんだ』
竹藪の中で待っていたのか、狐に出会う前からついて来ていた送り犬が近付いてきて、人語で促した。蒼を置いていくことにはなるが、ここで待っていたところで役には立たない。仕方なく、二人はフウロを連れて歩き始めた。
六花と瑞貴は、陸上部がトレーニングコースにしている道を辿って瑞貴が倒れていた地点に近付いた。瑞貴には記憶がないが、六花は倒れている瑞貴を発見した地点を記録していた。送り犬も、後になり先になり、ついて来る。先ほど以降は話しかけてこないので、方角は間違っていないのだろう。瑞貴は、いつになく六花がピリピリしていることに気付いていた。いつも行動を共にしており、仲も良さそうなので、蒼のことが心配なのだろう。
六花が小さな地図を広げ、トレーニングコースの道から枝道に入る。
「瑞貴が倒れてた場所まで、もう少しだよ」
六花はそう言いながら、リュックサックのサイドに括り付けていた白い日傘を手に取った。千鳥ヶ淵で宮乃介と会った時、ボートの上で差していた日傘だ。山歩きにはそぐわない装備だったが、何かの道具なのだろうか。
道はだんだん細くなり、道ともいえない様相を呈してきた。土は柔らかく、瑞貴は走り慣れた感触に少し安心感を覚える。
下草の少ない日蔭。曇っているのか、木洩れ日も薄い。遠くで、木の幹を斧で打つような音が聞こえ、六花が顔を上げた。フウロも首を竦めている。
ザッと突風が吹き、六花が素早く日傘を開いた。傘のシャフトに護符が数枚結わえつけられている。バラバラッと、傘に何かが当たる音がする。石礫だ。傘で防げないはずの範囲にも石礫は降りかかってきたが、護符の力なのか、六花と瑞貴を除けて、石礫は散っていった。
『よく来たな、宝珠』
頭上でバサバサと羽ばたく音とともに、若い男の声がした。樹々の枝を透かして、逆光の中、シルエットだけが見える。翼を生やした小柄な山伏姿の影。
「烏天狗ね……」
日傘を閉じて、六花が呟いた。影は漆黒の翼を羽ばたかせながらゆっくりと下降してきて、地面すれすれで浮遊した。歳若い、人間にするとティーンエイジャーくらいの風貌の天狗だ。
『民保協はあまり歓迎しないが、宝珠を導いてきたとなりゃ、ご苦労だったな』
嘴はあるが目元は涼しく整った顔立ちをしており、不敵な笑みを浮かべている。
『送り犬、もう良いぞ』
烏天狗は、ずっとついて来ていた送り犬の方を向くと、懐から草鞋と握り飯を取り出して、その鼻先に投げる。送り犬は握り飯をキャッチしてその場で喰い、草鞋を咥えて去っていった。
『さぁ、季仙坊がお待ちかねだ』
烏天狗は五色に染められた太い糸を縒り合わせた縄を、瑞貴たちに向かって投げた。縄が六花と瑞貴の周囲を囲むと、二人の体がふわりと浮く。フウロが慌てて、瑞貴の肩まで駆け上った。烏天狗が手に持った葉団扇をひと扇ぎすると、その場から全員の姿が一瞬にして掻き消えた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




