原点①
柄掛山で倒れ、宝珠の力を得てから二ヶ月が経った。たった二ヶ月前のことだが、はるか昔のことのように思える。高校はほぼ全員が内部進学で、高校受験のない学校なので同級生も変わらない。刺激がなく中三くらいから中だるみ状態だった平和な生活が、新学期早々一変した。そんな刺激を求めていたわけではないけど、と、瑞貴は車の後部座席で窓の外を眺めながら、ぼんやりと考えていた。
六花と蒼と瑞貴の三人は、蒼の運転するBMWで東京都西部の山道を走っていた。関東地方は数日前に梅雨入りしたが、幸い雨は降っていなかった。
「瑞貴は何回か柄掛山に行ってるんでしょう」
助手席から振り返って、六花が尋ねる。
「はい。部活で。今回で五回目でした」
「あの日のことは、全然覚えてないの?」
「いつものように、山道のコースを走ってたところまでですね。コースを外れたことも、どの辺でコースを外れたのかも、覚えてません」
今回、柄掛山に行く目的は、ここまでの道のりで聞いていた。おそらく、天狗。六花と蒼は、瑞貴が倒れた時に居合わせたのは天狗だと考えているようだった。二人はあの日、天狗の調査のため柄掛山にいた。それまで数回にわたって柄掛山を調査して、幾度も、大木が倒れるような天狗倒しの音を聞いたり、天狗礫といわれる小石の雨に降られたりしていたが、天狗自体はなかなか確保できずにいた。あの日は風のない穏やかに晴れた日だった。六花と蒼は柄掛山の中腹で、林道から外れた場所で妖怪の捜索をしていた。俄かに突風が吹き、幾羽もの鴉が同じ方向へ飛んで行くのが見えた。二人がそれを追っていったところ、林道から外れた木々の間の斜面で倒れている瑞貴を発見したのだ。
「鴉はもういなくなってて、でも、鴉とは違う、もっと大きな翼の羽ばたく音が聞こえた。きっと、直前まで天狗がいたんじゃないかと思う。宝珠の力の顕現とどう関係があるのかは分からないけど」
いまさら、あの日何があったのか知ることは、瑞貴にとってそれほど重要ではなかった。しかし、宝珠の力の顕現に特定の妖怪が関わっているのだとしたら、その目的は何だったのだろうか。
山の麓の駐車場に車を停め、山に入る。柄掛山は東京都と神奈川県に跨って連なる山々の一つだ。瑞貴が部活でトレーニングに来る時も、この駐車場までマイクロバスで来て、そこから歩いていた。今回はタカネとフウロも連れてきているが、山には妖怪の気配が多すぎて、二匹ともきょろきょろそわそわ、落ち着きなく歩いている。柄掛山は、もともとあまりハイカーや登山客は多くない山で、山道も秩父の暁父山などに比べたらはるかに緩やかで登りやすい。六花はデニム生地のオーバーオール、蒼はポロシャツにチノパンと、それほど登山らしくないカジュアルな服装で来ている。
時々、朽ちて封鎖された四阿や風化した地蔵堂のある小径を進み、林道らしくなってきた辺りで、何かがつかず離れず、一行について来るのに気がついた。
「送り犬か。宝珠に気付いたな」
犬というよりは狼のような風貌で、青みがかった灰色の毛並みをしている。こちらを窺って、ピョンピョンと跳ねながら、遠巻きについて来る。今日の瑞貴は薄くメイクをしているが、先日のゴスロリメイクの時に比べたら、宝珠であることは分かりやすいだろう。
「送り犬ねぇ……。天狗のところに案内してくれる気があるのかな。つまずいたら喰べられちゃうから、気をつけないとね」
曇天の下、林道は暗く鬱々としている。時々、樹々を透かして老婆や襤褸を纏った男のような人影がちらついたり、枝々を飛び移りながら獣のようなモノが寄ってきたりした。それらもきっと人外なのだろう。だが、みな一定の距離を保ち、何もしてくる気配はなかった。
わずかに上っている緩やかな坂道をしばらく歩くと、左手の竹藪の中に祠が見えた。苔むした石の礎の上に建つ古惚けた祠。朱塗りであったであろう木の外壁は色褪せて、表面がささくれ立っている。格子の中には、白い狐の像が安置されていた。
「狐……。ここにも稲荷があるんですね」
狐にしろ狸にしろ、あまりいい思い出がない瑞貴は警戒する。これまで柄掛山に来た時にも稲荷なんて気にしたことはなかったが、こうして見ると狐というのはあちこちで祀られている。
竹藪の中に、ぼんやりと白く光る人影があった。じっと佇んで、こちらを見ている。一行は足を止めた。ついて来ていた送り犬も動きを止める。
人影は、竹藪の中からゆっくりと姿を現した。男だ。女性と見紛うほど顔立ちが美しく、金色に輝く髪を後ろの高い位置で束ねているが、袖口を折り返したワイシャツに襟付きベストを着た肩幅は広くがっしりしている。
『主さま!あれは狐です!』
タカネがピョンと跳んで瑞貴に囁く。狐と聞いて瑞貴は反射的に身構えた。
『おや、クダを連れているのですね』
男は優美に微笑んだ。これは、世に出れば女性のみならず男性をも魅了する笑顔だ。
『私は、黒瀧稲荷社の京弥と申します。宝珠様と民俗保全協会の皆様ですね』
どうやら素性は知られているようだ。京弥と名乗った男の微笑からは、余裕すら感じられる。
「まさか、妖怪の方から民保協の名称を出されるとは思わなかったな」
蒼が上目遣いに京弥を見て、低い声で言った。
『もちろん、存じ上げておりますよ。この山に御用がおありなんでしょう。まずは、こちらでご一服を』
京弥がそう言うと、竹藪は一瞬にして瀟洒な洋館に変わった。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




