妖怪の生業①
その日の夕方、瑞貴はゴスロリファッションのまま、いちかのサロンを後にした。風子は驚きつつも、いちかに頼んでドレスの貸し出しの許可を取ってくれた。瑞貴は外に出ると、さっそく六花に電話する。二時間後に新宿駅東口で待ち合わせ。そして自分は一旦自宅に戻り、管狐の入った竹筒を携えて新宿に向かう。千歳が仕事の日で良かった。何事にもあまり偏見のない千歳ではあるが、さすがにここまでの恰好を見たら面食らうだろう。案の定、六花と蒼も、瑞貴のあまりの変貌ぶりに、待ち合わせでなかなか瑞貴と認識できなかったほどだ。
「珍しく瑞貴の方から来てほしいって連絡来たと思ったら、その恰好、なんなの?」
「ええ。ちょっと、試してみたいことがあって」
目を丸くしている六花に、瑞貴は妖艶に微笑む。黒いレースのスカートカバーのついたモスグリーンのコルセットドレスは三段フリルのスカートで、アッシュグレーの姫カットのウィッグに、リボンがいくつも付いている。陶器肌に、黒く縁取った眼には大袈裟なほどのつけ睫毛。
「……方向性、合ってるか?」
蒼が眉をひそめて尋ねるが、瑞貴は澄ました顔をしていた。
「行きましょう」
土曜日午後六時の歌舞伎町はごった返している。駅から歩く雑踏の中、瑞貴のことを気にする者はいない。瑞貴の気持ちは高揚していた。まったくの別人になった気分。誰からも見破られず、何者でもない自分を演じる不思議な感覚。これまで、変身願望なんて微塵も感じたことはなかったが、案外悪くないと瑞貴は思っていた。
新宿ゴールデン街、人々が行き交う通りの真っ只中で、瑞貴は足を止める。
「この辺ですね」
「えっ、瑞貴、こんなところに出入りしてるの?」
その界隈にはカラオケ店やネットカフェの他、居酒屋やガールズバーなどがひしめき合う狭いビルが立ち並んでおり、高校生が立ち入るような場所ではなかった。
「ちょっと待っててください」
と、瑞貴はビルとビルの間の、人一人がぎりぎり通れるほどの路地に踏み込み、持っていた竹筒を取り出すと、その側面を指で軽く三回叩いてから栓を開けた。六花と蒼が、瑞貴の背後から覗き込んでいる。筒の中から、するりするりと管狐が無言で出てきて、二匹は並んで地面に座った。いつも『主さま!』と元気よく登場する管狐だが、こんな時のために合図を覚えさせたのだ。
「タカネ、フウロ。外での初仕事だ。この辺のビルから、妖怪を探し出して」
タカネとフウロはいつもと様子の異なる主を見ても、まったく動じない。見た目ではない何かで、主を判断しているのだろう。
『『御意』』
二匹は異口同音に言うと、その場でピョンと宙返りをして、大きな鼠に姿を変えた。よくよく見ると、鼠にしては手足が長かったり、尻尾が短くふさふさしていたり、微妙に不恰好だが、暗がりで一瞬姿を見るくらいなら分かるまい。
「さぁ、行け」
二匹はビルの壁のパイプやメーターボックスを伝ってするすると登っていき、ダクトのようなところから、左右のビルに分かれて入っていった。
「どういうこと?瑞貴」
背後から、六花が声を掛けた。
「都会の妖怪がいそうなところを、いちかさんに教えてもらったんです。うまくいけば、確保できるかもしれませんよ」
三人は、狭く薄汚い路地裏に佇み、しばらく待っていた。民保協はいつも情報収集と事前調査を行ってから妖怪確保に動いているため、突然のことに六花と蒼はやや落ち着かない様子だ。三、四十分ほど経って、鼠姿のフウロだけが戻ってきて、瑞貴に報告する。
『兄様が妖怪を発見しました。こちらから二つ向こうの灰色の建物です』
と、左のビルの方を見上げる。瑞貴は頷くと、身を翻した。
「僕たちも行きましょう」
瑞貴は路地を出て、フウロが示した雑居ビルの正面の入り口に回った。無機質でくすんだタイル張りのエントランス。右の壁にテナントのサインが並んでいるが、ところどころ空きがある。正面に扉の塗装の剥げかかったエレベーターがあり、その横に階段があった。
「入るのか?」
いつも冷静で感情を出さない蒼も躊躇する。
「虎穴に入らずんば虎児を得ずって言いますよね」
虎児どころか、もっと恐ろしいものを得てしまうかもしれないが、瑞貴は強気だった。電気が点いてはいるが薄暗い階段を登り始める。別人になりきっているせいか、かなり大胆だ。
「えっ、ちょっと、いちか狸はどんな妖怪がいるって言ってたの?」
慌てて瑞貴の後を追って階段を上りながら、六花が訊く。
「都会でも元の姿のまま、妖力を維持して棲んでる妖怪がいる、ってことだけです」
「都会に棲む妖怪……」
「いちかさんが言ってました。妖怪の妖力を強くするのは、人間との関わりだって。人間を、脅したり怖がらせたり騙したりすることで、彼らは妖力を維持してるんです」
瑞貴の履いたエナメルのストラップパンプスのヒールがコツコツと音を立てる。一番後ろで、覚悟を決めたのか、蒼が懐の中で刀の鍔音をさせた。
四階までは、エレベーター横とその向かい側のテナントに、いくつか店が入っているようだった。普通の居酒屋も、見るからにいかがわしそうな店も、マッサージ店を名乗る業態不明の店もある。客なのか従業員なのか、何人かとすれ違ったが、誰にも見咎められることなく、三人は階段を上っていった。建物は六階建てで、五階へ上がる階段にはチェーンが張られ、立ち入り禁止の札が掛かっている。三人は一旦そこで立ち止まり、階上を窺った。そこへ、路地裏からビルの中を経由して内側から回ってきた鼠姿のフウロと合流した。
『主さま、この上です』
周囲に人がいないことを確認すると、瑞貴は長くボリュームのあるスカートをたくし上げ、チェーンを跨いで越える。六花と蒼は顔を見合わせたが、何も言わず、瑞貴の後に従った。
五階に上がる階段の電気は消えていた。窓のないビルは暗くじめじめしており、むっとして澱んだ空気の中、ふっと生臭いような匂いが鼻を突いた。瑞貴に続いて階段を上っていた六花は、目の前の背中を見て目を細める。薄暗くてよく分からないが、瑞貴の身体から、黒い靄のようなものが立ち昇っているように見えた。
階段を上る三人の歩みがやや慎重になる。何かが出現する予感に、一歩一歩息を詰める。と。先頭の瑞貴の目の高さに、五階のフロアの床が見えた瞬間。
ドーンと天井から巨大な塊がぶら下がり、けらけらとけたたましい笑い声を上げた。瑞貴の目の前には、暗がりの中、大きな顔がぶらぶらと揺れている。古いお化け屋敷の演出みたいだが、本物の妖怪にはさすがにリアルな重厚さがある。しかし、予想していただけあって、瑞貴は動じなかった。
『おや、驚かないとはね。あんた、術士かい』
妖怪の第一声に、瑞貴は内心ほくそ笑んだ。宝珠だと、バレていない。六花と蒼も、いつもとの違いを察知したようだった。
「天井下がりか」
『ふふ、アタシだけじゃないよ。ここはアタシらのアジトだからね』
天井下がりは、天井から逆さまに身を乗り出し、髪を振り乱した大きな顔に狡猾な笑みを浮かべている。妖怪画で有名な浮世絵師の鳥山石燕が書いていた通り、お世辞にも美人とは言えない。
瑞貴が五階の階段の上に仁王立ちになると、奥の空いたテナントの前に高く積まれた段ボール箱の上で妖怪を見張っていたらしいタカネ鼠が床に跳び下りる。
『主さま!』
瑞貴の元に走り寄ろうとしたタカネを、真っ黒な毛むくじゃらの何かが途中で遮り、拾い上げた。暗がりの中で、目だけが黄色い光を放つ、毛だらけの塊。周囲の闇に輪郭がぼやけて、大きさが分からない。タカネはその口に咥えられ、ジタバタ暴れている。
『兄様!』
一緒に階段を上がってきたフウロも慌てて叫んだ。
『へぇ、式神を使うのかい。やるじゃないか』
天井下がりの言葉を聞いて、瑞貴は唇の端に不敵な笑みを浮かべる。その時、六花に見えていた、瑞貴の纏う黒い靄が一気に晴れた。
「僕の式神を返してもらおう」
そう言うと、瑞貴は身を低くして天井下がりを躱わし、その向こうにいる毛だらけ妖怪の方に乗り出すと、右の掌を向けた。妖怪から、青い光が掌に吸い取られ、毛むくじゃらはキュウと哭いてタカネを放し、床に縮こまった。
『こやつ、宝珠か⁉』
そこでようやく、天井下がりは気がついた。解放されたタカネは、床の上で鞠のように弾むと管狐の姿に戻り、一目散に瑞貴に駆け寄った。瑞貴は天井下がりの方に向き直り、その鼻先に掌をかざして睨み返す。天井下がりは顔を歪め、悔しそうに歯噛みした。
「お前たちはここに棲みついて、人間に悪さをしてたんだな」
『行儀の悪い酔漢をちょっと脅かしたり、揉め事を起こさせたりしていただけさ。そんなに悪いことをしちゃいないだろう』
「お前とその毛羽毛現の他にも仲間がいるのか?」
やはり蒼は抜け目なく、取りこぼしがないよう妖怪確保に回る。瑞貴は天井下がりに向けた掌の宝珠を脅すように白く光らせた。天井下がりは舌打ちをする。
アジトに棲みついているのは、髪切り、天井嘗め、屏風覗き、小豆はかりなどだった。屏風覗きは深夜や明け方に近くのネットカフェに出掛けては、衝立の中を覗き込んで客を驚かせたりしているらしい。泥酔して記憶の曖昧な人間にちょっかいをかけたり、見間違いかと思う程度に姿を晒す。こんな裏社会に近い都会の繁華街での夜の出来事は、それほど深く追及されることもないだろう。脅かす相手に不足はあるかもしれないが、人間を脅かすことで妖力を維持するという意味では、なんとか成り立つのかもしれない。瑞貴はいちかの言っていたことが、なんとなく理解できた気がしていた。
六花と蒼はデータベース登録のための調査を始めている。天井下がりと毛羽毛現をはじめ、アジトにいた妖怪たちも、退治されるわけではないことを知って、しぶしぶ調査に応じているようだ。瑞貴は、管狐に戻ったタカネとフウロを竹筒に戻しながら、それを眺めていた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




