化け狸 保守と革新①
「どっちから聞こえる?もっと南か?」
歩きながら、蒼が音の聴こえる方角を確かめようとする。南側の門から入って外周の道を歩いてきて、薔薇の庭園はやや東寄りに位置している。庭園の両脇にプラタナス並木があるが、それを越えて南側には池がある。三人は庭園を離れ、池に向かって歩いていた。
音は一瞬、近づいた感じがしたかと思うと徐々に遠のき、一旦静まって、急に別の方角から聞こえたりと、定まらない。新宿御苑の南東方向に延びる中の池と下の池の周りを往きつ戻りつ、何度か繰り返したが、音は近づいたり遠ざかったり、その源には辿り着かなかった。
「言い伝えの通りですね」
途方に暮れて瑞貴は言った。
「よし。三人で手分けしよう」
メッセージアプリで三者通話をつないだ状態で、瑞貴は中の池の南側、蒼は中の池の北側、六花は下の池周囲へと別れていった。
『風の流れでちょっと分かりにくいね。今は北から聴こえる気がする。プラタナスの並木の方かな』
『そうだな。俺も北側から聴こえる。瑞貴は?』
『僕も、さっきの薔薇の庭の方面だと思うんですが……あっ、今、下の池の方に移動した感じがします』
『ほんとだ。私、近いな』
『複数いるのか?それとも、瞬時に移動するのか?』
スピーカーで通話しながら、三人はそれぞれ池の周りを移動する。瑞貴も軽やかに続く太鼓の音に注意深く耳を傾けながら、中の池に面した小道を歩いていた。瑞貴が樹々の蔭でやや暗くなった池のほとりを通りかかった時。鼓の軽快な音とは別に、平手で太鼓を叩くような、鳴りの弱い、ベチ、ベチ、という音が聞こえてきた。その音は、鼓の音に合の手を入れるように続いている。距離は近い。柵で囲まれた池のほとりの木立を、柵から身を乗り出すようにして見上げ、覗いてみる。
「あの、今、中の池で別の音が……」
『えっ?』
瑞貴は見回して、音の主を探す。池に続くなだらかな斜面から、水面に向かって伸びる緑の枝。木の幹を下から辿っていき、二つ目の木の俣まで追ったところで、瑞貴は狸と目が合った。狸、だ。ほぼ動物の狸のような風貌だが、大きく膨らませてなめし皮のようになった腹と、目が合って明らかに『まずい』という表情をしたその様子から、妖怪に間違いない。
「狸、いました!」
瑞貴がスマホに向かって叫んだ途端、狸がドサッと木から落ちた。体は少し小さい。子狸だろうか。尻に白い半月模様がある。捕まえようかと咄嗟に瑞貴は身構える。
「あっ、すみませーん!お兄さーん!」
数メートル離れたところから、特徴的な可愛らしいアニメ声で呼ばれ、瑞貴は振り返った。同じように柵越しに池の方に身を乗り出していたのは、ゴスロリ服に身を固め、畳んだレースの日傘を腕に掛けた少女だった。黒とブルーグレーの凝った装飾のワンピース姿で、陶器のような肌に深紅の唇、大きなグレーの瞳に吸い込まれそうだ。
「お兄さん、ちょっと、落し物しちゃって。拾ってもらえませんか?」
少女は柵の内側を指さしている。その先には、リボンやチュールで飾られ、薔薇の花をあしらった小さい帽子が落ちている。周囲を見回してみるが、あいにく瑞貴以外に通行人はいなかった。
「ヘッドドレスが落っこっちゃって。取りに行けないんですぅ」
少女の足元は、白いタイツにかなり厚底の編み上げブーツで、確かに柵を越えて斜面に入るのは危険だった。瑞貴は、木から落ちてもがいている狸にも気を取られながら、戸惑う。
『瑞貴?聞いてる?今、そっちに向かうから』
スマホから六花の声がする。女の子にこんなに名指しで頼まれて、断るわけにもいかない。瑞貴は少女の方に近づき、サッと柵を跳び越えて、一メートルほど先の草の上に落ちているヘッドドレスを拾って少女に渡した。その時、少し向こうの繁みから、さっきの子狸がダッと走り出すのが見えた。
「あっ、逃げた」
「お兄さん、ありがとう!」
すぐに瑞貴は狸の後を追おうとしたが、少女が思いのほか強い力で瑞貴の手首を握って離さない。
「あの……」
「助かりましたぁ。お兄さんのメイク、素敵ですね」
「え、あ、どうも」
瑞貴はなんとか振り切って狸の後を追いかけたかったが、少女はなおも瑞貴を引き留める。
「これ、お礼です」
そう言って、瑞貴の手にオーロラ色の包装紙に包まれたキャンディを二つ握らせる。
「僕、急いでるんで」
ようやく少女が手を放したので、瑞貴はキャンディをポケットにねじ込んで、狸の逃げた方に駆け出した。
「瑞貴!」
小道を走っていると、六花が合流する。
「狸は⁉」
「ちょっと、別件で捕まっちゃって……あっちに向かって逃げました」
二人は、狸が逃げた南側の道の方へ走った。狸の姿は見失ったが、木から落ちてしばらくもがいていたところを見ると、怪我でもしているのかもしれない。六花と瑞貴は、中の池から下の池へとつながる小道を突き抜け、外周の道へと差し掛かった。その時。
『六花、瑞貴、こちらで狸囃子を確保した』
つながっているスマホから、落ち着いた蒼の声が聞こえた。
※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。




