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宵のハコブネ  作者: 朔蔵日ねこ
異変

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異変①

「体調、大丈夫か?学校には行けそうか?」

 父親が少し気がかりな様子で訊く。

「うん。なんとか」

 まだ体の重い感じは残っているが、瑞貴はそう答えた。高校の陸上部の有志が参加した柄掛山(からかけやま)の山トレーニングの最中に倒れ、その後、三日間高熱が続いた病み上がりだ。高山病だろうと言われたようだが、瑞貴自身はあまり腑に落ちない。トレーニングは毎年参加しているし、頭痛も吐き気もなく、ただ熱だけが出た。倒れた時のことは記憶にないが、当日の朝も体調は悪くなかった。それに、他に気になる症状もある。

「一応、弁当は作っておいたからな。無理はするなよ」

 瑞貴の家は父子家庭だ。父親は化粧品メーカーの研究員をしている。

「卵焼き入ってる?」

「ああ、ほうれん草入りだ」

 料理は瑞貴の方が得意だ。父親の焼く卵焼きはだし味でよく焼き。瑞貴は甘めで半熟の卵焼きの方が好きだった。

「そっか。うん。ありがとう」

 山トレーニングは日曜日だったから、四日も学校を休んでしまった。瑞貴の通う綾山(りょうざん)高校は中高一貫の私立の進学校で、授業の進度が速い。あまり休むとまた試験がつらくなる。

「じゃ、父さん先に出るから。しんどかったら早退しろよ」

「わかった」

 父親は慌ただしく玄関に向かい、出掛けようとして一旦引き返してきた。

「そうだ、瑞貴。これを持っていきなさい」

 弁当と一緒にダイニングのテーブルの上に置いてあったものを、わざわざ取り上げて、瑞貴の手に握らせる。

「体が楽になるハーブだが……、まぁ、お守りのようなものだ」

「へぇ」

 父親は、化粧品の研究の一環で、漢方やハーブなども扱っている。家でも時々こうやって、ハーブを使うことがあった。

「病み上がりだからな。香りで少しすっきりするだろう」

 渡されたのは、小さな麻の巾着だった。鼻を近づけると、清涼感のある草の香りがした。

(ああ、熱が出てた時にしてたのは、この匂いか)

 高熱に浮かされていた中、この香りでよく眠れたことをぼんやりと思い出した。確かに、気持ちがすっきりして落ち着く香りだ。

 父親は、再度足早に玄関に向かい、行ってきます、と家を出ていった。瑞貴も出かけなければいけない。陸上部の朝練は休むが、遅くなると電車が混むので、いつもと同じ電車で行こうと思っていた。瑞貴は弁当と匂い袋を鞄に入れ、登校の支度をした。


 早朝の教室は人もまばらだ。いつもは鞄を置いてすぐに朝練に行くが、だいたいその時間に教室にいるのは二、三人だ。

上条かみじょうくん、おはよう。大丈夫?」

 隣の席の藤田風子ふじたふうこは、いつも瑞貴より早く登校して本を読んでいる。

「おはよう。うん。まぁ、大丈夫」

 瑞貴の机の上には、欠席の間に配布されたと思われるプリント類がきれいにまとめて置かれている。

「配布物、それね。あと、もし休んでた間のノート、コピーしたかったら言って」

 風子は眼鏡を押し上げながら、にこりともせずそう言うと、また読んでいた本に目を落とした。風子と瑞貴はこれまで何回か同じクラスになっているが、特別親しいわけではない。風子は中学の頃からあまり目立たず、真面目できっちりしている印象だ。

「うん。助かるわ」

 風子のノートなら、男友達のノートより読みやすそうだ、と瑞貴は思う。

「おい、瑞貴、やっと来たかー」

 その時、教室の後ろのドアから、長身の男子生徒が覗き込んで、大きな声で名前を呼んだ。瑞貴と同じ陸上部の衛藤海斗えとうかいとだ。海斗はドアの前に立ったまま、大声で続ける。

「いやー、お前、離れて走ってるのかと思ってたら、突然知らん人に抱えられてきて、びっくりしたわ」

「えっ、そうだったんだ」

 倒れた時のことは詳しく聞いてはいなかった。てっきり、皆と一緒にいるところで倒れたのだと思っていた。

「そうそう。なんか、派手な感じのデカい女とその連れの男が運んできてさ」

「登山客かな」

「うーん、多分な。吉田先生と話してたよ。先生も心配してたから、あとで顔出せよ」

「あぁ、うん」

 それだけ言うと、海斗は手を振って朝練に向かった。大柄な背中を見送りながら、瑞貴は神妙な顔をしていた。

 柄掛山は四月の日曜日とはいえども、それほど人出の多い山ではない。山菜採りの地元住民らしき人に遭遇することはあるが、登山客は少ない。自分がどこでどんな風に意識を失って、どれくらいの時間倒れていたのか。思い返そうとしてもまったく思い出せないことに、改めて瑞貴は不安を覚えた。それに、気がかりなことはもう一つある。熱が下がって間もなく気づいた『症状』だ。右のてのひらに、うっすらと赤く傷がある。傷、というか、焼き印のようなあと。痛みも痒みもないが、妙にきれいな、描いたような桃の形の痕が掌の真ん中についている。倒れた時についたのだろうか。しかし、何故。熱が下がってその痕に気づいてから、手を洗っても風呂に入っても消えなかった。それどころか、だんだん色濃くなってきているようにも思える。高熱の原因だって、実際のところよく分からない。

(あとで吉田先生にも話を聞きに行こう)

 陸上部の顧問である吉田先生なら、自分が倒れていた時の状況について何か知っているかもしれない。もやもやする気持ちを抱えながら、瑞貴はそう思った。

※カクヨムでも同じ作品を掲載していますが、カクヨムでは章ごと、なろうでは1-2パラグラフごとに更新します。

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